[9]門出
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「本当に駅まで送らなくていいのか?」

自室で荷物の最終確認をしていると、背後から掛けられた声。
保科が膝をついたまま振り向くと、開けっ放しにしていたドアに、次兄の聖也が凭れかかっていた。

「はい、大丈夫です。荷物も、殆どは先に送ったので、持って行くのはこれだけですから」
「ん、まあ、ならいいんだが」
「それより、今日は練習ではないのですか?」
「お前の見送りをしてからな」

兄の言葉に、保科はふっと頬を緩める。
保科にとって、聖也は昔から優しい兄だった。
勿論長男の満が優しくないわけではないのだが、彼には些か強引なところがある。
こうと決めたら梃子でも動かない、絶対的な王様気質。
頑固なのは保科も同じだが、長兄と末弟とで決定的に違うところは、他人を巻き込むか否かという部分にあった。
満は昔から、相手の意思などお構いなしだ。
でもそれは最終的に良い結果を生むことが多いから、周囲が彼を身勝手だと評することはない。
だが兄弟間に限っていえば満の行動はたまに度がすぎていて、性格が真逆の保科は子どもの頃からよく彼に振り回された。
そんな時いつも間に入ってバランスを取ってくれたのが、次男の聖也だ。
我儘な長男を宥め、不器用な三男を気遣ってくれた。
兄弟三人、いつも仲が良かったのは、間違いなく聖也のおかげだと家族は皆思っている。

「お前なら心配はないと思うが。遠慮なんてせず、お前のやりたいようにやって来いよ」
「はい」
「保科の弟、なんて気にするな。お前は保科拓己っていう、一人の選手だ。下らないことを言う奴等なんか、纏めて蹴散らしてやれ」
「はい」

聖也はいつも、保科のネームバリューによる重圧を気にかけてくれていた。
中学、高校、そしてプロ。
兄弟の中で常に満が一番最初に新しい世界に飛び込み、そしてそこで結果を残してきた。
聖也も保科も、いつだってそれを追う立場だ。
新しいチームに入れば必ず、あの保科満の弟だ、という視線があった。
保科は当然、あの満と聖也の弟だ、と言われ続けたわけだ。
これは、兄弟の中でも、次男と三男にしか分からない感覚である。
聖也はいつも、保科にかかるそのプレッシャーを気にしてくれた。
満は逆に、そうだ俺の弟たちだといつも大声で自慢した。

「確かに、身の引き締まる思いですが。でも俺はずっと、そう言われることを誇りに思っています」

そんな兄たちだからこそ、保科は、あの保科兄弟の弟だと呼ばれることを、誇りに思うのだ。
プレッシャーは確かにある。
兄たちに恥じぬ選手でいなければならないと思う。
だが、それこそが目標なのだ。
兄弟三人で、いつか同じチームで世界を獲る。
幼い頃に三人で誓った夢を、三人ともが目指し続けていた。
いつか、必ず。
今日、保科の旅立ちは、その夢への一歩だ。

「ああ。行って来い、タク」

くしゃり、と頭を撫でられる。

「はい、行って来ます」

保科は立ち上がり、エナメルバッグを肩に掛けた。


「身体に気を付けてね」
「頑張れよ、拓己」

玄関で、父と母にも別れを告げる。
十八年間育った実家を出て行くことに、寂しさが全くないと言えば嘘になった。
だが、不安はない。
今から向かう先には満がいるから、というのは、大きな理由の一つだろう。
なんだかんだ、末っ子の自分は甘やかされていると、保科は思った。
そして何よりも、また、新しい土地で、新しいチームメイトとサッカーが出来る。
しかも、これからはプロの選手として、戦える。
子供の頃、兄弟三人で同じ夢を語り合った時にはすでに、プロ入りは絶対条件だという共通認識があった。
ついに保科は、そのステップをクリアする。

「では、行って来ます」

勝負はこれからだ。


しばらく目にすることはなくなるであろう見慣れた景色の中、一人駅へと向かう。
卒業式の頃はまだ裸だった桜の木に、蕾がつき始めていた。
そういえば海も浦も花見が好きだったと、そんな他愛のないことを考えながら、最寄り駅の階段を登った。

「お!来たな、タク!」

そう、他愛のない、なんでもない、ちょっとした思い出を振り返っただけのはずだったのに。
駅の改札前に、保科がたった今思い浮かべたばかりのチームメイトたちが立っていた。
驚いた保科は、大股で二人のもとへと歩み寄る。

「海、浦、どうして」

別れは、卒業式の日に済ませていた。
式の後、サッカー部の後輩たちから花束を貰い、別れを惜しんでくれる彼らを叱咤激励し、それ以上に感謝の言葉を述べてから、保科は海藤と浦と三人で学校を後にしたのだ。
いつもよりうんとゆっくり歩いて話をし、結局、帰宅途中にある公園で戯れのようにボールを蹴り合い、そして別れた。
海藤は無事合格した外部の大学に進学、浦は東院の大学に、そして保科はプロとして大阪へ。
それぞれの道に進む三人の別れは、あの時にもう済んだはずだったのに。

「見送りはいらないと、言ったはずだが」
「そう言うなよタク」
「そうだよ。なんてったって、我らがキャプテンの記念すべきプロ入りだ。見送りくらいしたって、バチは当たらないだろう?」

いつもそうだったと、保科は思う。
基本的に一人でいることを苦としない保科を、こうして海藤や浦、チームメイトたちがいつも輪の中に引っ張り込んでくれた。
そうしてほしいと保科が望んだわけではなかったが、今にして思えば、彼らがそうやって常に保科の側にいてくれたからこそ、キャプテンとしてチームを纏めることが出来たのだろう。
そして何よりも、そうやって皆と過ごした時間は居心地が良かった。
楽しい楽しくないで部活をやっていたわけではない。
それでも、振り返ってみれば、皆でボールを追いかけたあの日々は、ひどく輝かしいもののように思えた。

「うん、……ありがとう」

ほら行こうぜと、浦が保科の肩を叩く。

「東京駅まで、一緒に行ってやるよ」
「練習はいいのか?」
「聖也さんには言ってあるから大丈夫だ」
「海もか?忙しいんじゃないのか?」
「やっと受験戦争から解放されたんだ。しばらくは好きにさせてくれよ」

いいからいいからと流され、気が付けば三人ともICカードで改札を抜けていた。
そこまで言ってくれるのならと、保科もこの状況を受け入れ、大人しく一緒にホームへと向かう。
一度きちんと別れを済ませたつもりだったので、何を話せばいいのかと悩んだが、何のことはない。
この三人で集まって、話すことなどいつも大抵一緒だった。

「昨日の試合、テレビで観たか?」
「うん、観た」
「凄かったよなあ、あのシュート!」
「もう他人事じゃないな、タク」
「そうだよ、俺、Jリーガー保科拓己の試合観んの、楽しみにしてるからな」
「うん」
「合コンのネタにするから、女の子がキャーキャー言うくらい活躍してくれ」
「それは、関係ない」
「そう言うなって!保科拓己と一緒のチームでプレーしてたんだって自慢させてくれよ」
「お前のサッカーは、それだけで充分に自慢出来るだろう?」
「ははっ、これはタクに一本取られたな、浦」

六年間ずっと、一緒にやってきた。
高校の三年間、保科と海藤は、ぎくしゃくしていた部分もあったと思う。
互いに真正面から向き合うことを避けていた。
保科は今でも、中学最後の試合で起きた出来事は、自らの罪だと思っている。
エースを信じきることが出来ず、そしてチームを勝たせることも出来なかった。
いっそ責めてくれればと、思ったこともある。
でも海藤は、保科を恨んでいたわけではなかった。
ただずっと、パスを待ってくれていた。
恨まれていると思っていた保科と、信じてもらえなかった海藤と。
互いに、臆病になっていたのだ。
そして三年の時を経てようやく通ったパスは、二人の蟠りを溶かしてくれた。
思い返せばいつだって、保科はあの時取った自身の行動を肯定しきれず、悔やむだろう。
それでも、あの日自ら打って外したシュートが、記憶の中で最も強烈な瞬間ではなくなった。
中学時代を振り返れば、今より幼い三人が、チームの勝利を喜び肩を組む姿を思い出す。
懐かしく、かけがえのない日々だ。

東院に行って良かったと、保科は思った。



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