わがままロマンス[1]
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二十六年ほど生きてきて、自分が欲深い人間だと気付いたのは、実はここ最近のことだ。
幼い頃から秋山は、あまり我儘を言わない子どもだった。
勿論記憶にもないほどの幼少期となると、親に対して玩具を強請るようなことはあったかもしれない。
だが学生時代の友人からも欲がないと評された通り、基本的に物事にあまり執着心を見せない性格であったことは事実だ。
分かりやすい例の一つとして、今となってはすでに記憶が曖昧ではあるものの、大学時代に交際していた恋人から振られた時の文句がある。
卒業間際に秋山は彼女から、貴方の求めているものが何か分からない、という旨のことを言われたのだ。
曰く、会いたいと言ってくれない。
デートに誘ってもどこに行きたいのか、何をしたいのか教えてくれない。
他の男と遊ぼうとしても引き止めてくれない、等々。
彼女が秋山と別れるための言葉は確か、本当に好かれているのか分からなくて寂しい、と締め括られた。
当時の秋山としては勿論、彼女に対する好意をきちんと抱いていたつもりだったのだ。
だからこそ告白されて付き合ったわけだし、そういう関係になれば当然、身の回りにいる他の女性よりも特別に感じていた。
デートに誘われれば他に予定がない限り応じたし、メールにも出来るだけ早く返信したり、相手を思いやったキスやセックスをしたりと、それなりに優しい恋人であったつもりだ。
だが彼女にとって、それでは物足りなかったのだろう。
当時はいまいち理解出来なかったそれが、今ならばよく分かる。
秋山はナマエに焦がれるような恋をしてから、求められることによって得られる安心感というものがあることを知ったのだ。
秋山にとって間違いなく人生で最後の恋人となるナマエは、以前の秋山以上に淡白な性格をしている。
付き合いたての頃など特に、恋愛のプロセスにおいてナマエからの能動的な行為は一切なかったのだ。
秋山の提案に対して首を縦に振るか横に振るか、それだけだった。
その時にようやく秋山は、大学時代の彼女の言い分を理解したのだ。
なるほど、相手から求められないということは、好かれていないということの同義になってしまうのか、と。
勿論今では、秋山を受け入れることこそがナマエの愛だと知っている。
一人に慣れ、そして一人でいることの方が気楽だと感じるナマエが誰か他人を身近に置く時点で、それはもう十分なナマエからの好意なのだ。
そこに積極的なナマエの意思が混ざれば僥倖だが、そうでなくたって秋山はもう、ナマエの愛情を疑ったりはしない。
だがこの境地に至るまで、憂懼を抱えた不安定な時期が長く続いたこともまた事実だった。
好かれていないのではないか、興味を持たれていないのではないか、いてもいなくてもどちらでも良いのではないか。
傍から見るとナマエはそれこそ昔の秋山以上に何を求めているのか分かりづらい人で、秋山は随分と煩悶した。
それでも必死で追い縋り、たくさんの言葉を重ね、無理矢理にでも時間を共有し、今に至ったのだ。
そう、自分でも驚くほど貪欲に、そして我儘に、ナマエとの関係性を築き上げてきた。
秋山が自身の持つ強欲さを自覚したのは、間違いなくナマエとの出会いが原因だった。
この二年間、それまでの二十数年分を全て取り戻すかのような勢いで我儘だった気がする。
やれ休日の予定は全て教えてほしいだの、やれ他の男と二人きりになる時は先に伝えてほしいだの。
さらに、ナマエに伝えることなく心に留め置いた願望まで数えたらもうきりがないだろう。
よくぞナマエが露骨に嫌がって首を横に振らなかったものだと、秋山はその、受け入れてくれる大きな愛情に感動するばかりだ。
秋山はナマエが絡むとどこまでも欲深く、そして我儘になった。

そう、まさに今この瞬間もだ。

少し遅めの夕食を終えた、午後九時過ぎ。
秋山はマグカップ片手に床に座り込み、ベッドを背にしてナマエを眺めた。
そのナマエは、部屋に一つだけ置かれたデスクに向かってノートパソコンのキーボードを叩いている。
つまりは仕事中というわけであった。
先月からセプター4の勤務体制が官公庁らしく整えられ、事件のない日は当直を除けば午後五時が退勤の定時となったわけだが、生憎とまだ特務隊に関しては残業が多い。
それでも以前とは比べるべくもないほどに職場環境が改善されたのは事実だった。
基本的に六時七時には寮に戻り、さらに、そこから翌朝まで、緊急出動で召集される確率もぐっと激減。
事件が全く起きないわけではないが、二、三日に一回という頻度は、かつて一日に五件も六件も対応していた時期を考えれば平和そのものだった。
そうして普通の生活環境を手に入れれば当然のことながら、空いた時間を有効に活用しようとするのが人間というものだろう。
秋山は、退勤後にナマエの部屋を訪ねる機会が増えた。
以前は互いの勤務シフトを考慮したり、そもそも都合が合わない日も多かったが、今は基本的に毎日同じスケジュールで動いているのだ。
遅番だの何だのを気にする必要はなくなり、言ってしまえば、当直勤務の日以外は全て会えるのである。
会えるのであれば、会いたい。
そう考えるのは、秋山としては当然の心理であった。
だが、ここに落とし穴があった。
秋山がほぼ毎日会いに行くということはつまり、それだけナマエから一人の時間を奪うということである。
これまでは秋山がいない時に堪能していたであろう趣味、たとえば読書やネットサーフィンでの情報収集にかける時間をなくしたナマエは、ならばと二人きりでいても秋山を放置しておくことが増えた。
これは仕方のないことだし、ある意味当然のことだと思う。
例えば同棲している恋人同士が、四六時中互いのことだけを考えているなんてことは普通ありえない。
それぞれが己の生活を送り、その中で共有出来るもの、すべきものを互いに擦り合わせていくのだ。
同じ部屋にいて、片や読書をし片やTVを観ていたって、それは各々が趣味の時間を満喫しているだけであり、愛情が希薄だの関係性が冷めているだの、そういった話にはならないだろう。
そう、分かってはいるのだが。
秋山は、椅子に腰掛けるナマエの涼しげな表情を斜め下から眺め、そっと唇を噛んだ。
食後のコーヒーを飲み始めた頃からだから、おおよそ一時間ほど、ナマエはずっとパソコンに向き合っている。
その間、秋山との会話はゼロ。
有り体に言うと、秋山は拗ねていた。

頭では、理解しているのだ。
半同棲に近いほどの頻度で部屋に来られたら、ナマエだって、自分のしたいことをする時間を見つけられずに困るだろう。
その結果、秋山がいる状況でも遠慮せずしたいことをするようになるのは当然の流れだ。
それに納得し、秋山は秋山で本なり何なりを持ち込み、ナマエの隣で自分の時間を満喫すれば万事解決することも分かっている。
同じ空間で、互いの気配を感じながらそれぞれの時間を堪能する、それはそれでとても贅沢なことだ。
だが生憎と秋山は、ナマエが絡むととても我儘なのだった。
相手をしてほしい、と思ってしまう。
同じ部屋にいるのにナマエの興味が他に向かっていることが、寂しかった。
親に構ってもらえない子どもみたいなことを言っているのは百も承知だが、実際、心境としては全く同じである。
秋山はナマエに対し、どれほど言葉を交わしてもどれほど触れても足りないのに、ナマエはそうでもないのだと明確に突き付けられる構図が寂寞を煽った。
寂しい、悲しい、つまらない、物足りない。
だがナマエの邪魔をして機嫌を損ねたくはないから、秋山はこうして只管に黙って待っているというわけである。
しかし秋山は自認している通り、然程利口な犬ではないのだ。

「ナマエさん、」

放置されて一時間半ほど経った頃、秋山は折を見て声を掛けてみた。
我慢しきれずに名前を呼んでしまった、と言った方が正しいかもしれない。

「…………んー?」

それに対する返答は、随分と緩慢かつおざなりだった。
いいことだと、思う。
ナマエが秋山の存在を丸っきり意識の外側に置いているからこそ発生するタイムラグだ。
そもそもここにいるのが秋山でなければ、ナマエは仕事があるから出て行けと部屋から追い出していただろう。
気を許されているということは、喜ばしい。
だが生憎と今の秋山にとってそれは慰めにならなかった。

「まだ掛かりそうですか?」

暗に、もう随分と時間が経っていることを告げる。
立ち上がってナマエの背後からノートパソコンを覗き込めば、作成途中の文書が画面に並んでいた。

「……ああ、もうこんな時間なんだ」

ナマエが、凝り固まった身体を解すように背凭れに身体を預けて背筋を反らす。
そのまま顎を上げたナマエの顔を真上から逆さまに見下ろし、秋山は思わず屈んで唇を寄せた。
上下反対の口付けは、普段とは少し異なる感触を秋山に与える。

「変な感じ」

同じことを感じたのか、唇を離したナマエが笑った。



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