君に望む答えはひとつ[2]
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「やあ色男。最近モテモテなんだって?」

夜六時の情報処理室。
外務省から戻ったナマエが室内に入ると、秋山が一人で残業をしていた。
その後ろ姿に声を掛けると、弾かれたように振り返った秋山が困ったように眉を下げて情けない顔を晒す。

「勘弁して下さい……」

弱り切った声を出され、ナマエは思わず笑った。
どうやら、件の彼女の熱烈アピールに心底参っているらしい。
昼食の度に相席を申し込まれ、経理課に書類を提出する度に呼び止められ、そのようなことを毎日繰り返せば流石に辟易とするのだろう。

「いいじゃん。あの子、可愛いって人気らしいよ」
「興味ありませんよ」

間髪入れずに冷めた声音で返され、ナマエは苦笑した。
まったく、外面の良い男である。
勿論、恋人の手前、他の女に気のある素振りを見せるなんて不誠実だ、という認識もあるのだろうが、ナマエは秋山が本当に彼女に対して何の関心も寄せていないことを理解していた。

「そ?私と違って胸おっきいよ?」
「ミョウジさん!」

戯れを続けてみれば、秋山が声を荒げる。

「やめて下さい、怒りますよ」

すでに瞋恚の滲む声で制され、ナマエは苦笑と共に肩を竦めた。
どうやら、この手の話題は冗談として相応しくないらしい。
まあ分かりきっていたことかと、ナマエは椅子に腰を下ろした。
ノートパソコンの電源に手を伸ばす。

「……気に、ならないんですね」

しばらくの沈黙の後にぽつとり零され、パスワードを入力しようとしていたナマエは振り向いた。

「何が?あの子のこと?」

秋山が何か言いかけ、結局言葉を発しないままに唇を噛んで目線を下げる。
それだけで粗方の事情を察したナマエは、どうしたものかと腕を組んだ。
恐らく秋山は、嫉妬して欲しかったのだろう。
ナマエが感情を乱す姿を、見てみたかったのだ。

今更言うまでもないことだが、秋山は非常に嫉妬深い男だった。
非番の日の外出先や交友関係を把握したがり、他の男の前では髪を下ろすなと我儘を言ったり、ナマエが男と二人きりになるだけで機嫌を損ねる。
愛情ゆえの悋気だと知っているから、ナマエもある程度譲歩してその度に互いの落とし所を見つけてきた。
対してナマエは、これまでにたったの一度でも秋山に娼嫉という感情を晒したことがない。
愛しているからこそ嫉妬するのだという秋山にしてみれば、それは、ナマエが秋山を愛していないということになるのだろうか。
愛情を丸ごと否定することはなかったとしても、程度が物足りないとは思うのかもしれない。

これまでは、その機会がなかったのだ。
ナマエは、秋山が淡島以外の女性と仕事以外の会話をする場面なんて殆ど目にしたことがなかった。
しかし今回、秋山に近付く女性が現れたことで、秋山は初めてナマエが嫉妬しないことを知ったのだろう。
そしてそれが、秋山を不安にさせた。
きっと秋山にとって、嫉妬されるということは愛されるということの同義なのだ。

「気にする理由はないよ」

ナマエが言葉を選ばず正直に答えれば、秋山が目に見えて傷付いた顔をした。
それは秋山に対する信頼の証でもあるのだが、今それを説明するとただの口八丁に聞こえてしまうのだろうか。

「彼氏がモテる男だってのはそれなりに嬉しいけどねえ」

拗ねた男の扱いに悩み、ナマエは一応のフォローを入れてみたのだが、秋山の表情が晴れることはなかった。


その後も、経理課の彼女による秋山への熱心なアピールは続いた。
どうやら随分と押しが強い女性のようで、秋山の充分に配慮されたやんわりとした断り文句などどこ吹く風。
ついには秋山に手作りの弁当まで持って来る始末で、その現場をナマエと共に目撃した弁財は珍しくも声に出して笑ったものだった。
ふわふわと波打つ茶髪、小さな弁当を抱える家庭的な印象、足も手も折れそうなほどに細く、まるで庇護されるために存在するかのような、か弱い女の子。
見事にナマエの対極と呼んでも過言ではないようなその女性は、ナマエからしても非常に可愛らしかった。
人の話を聞かないところは難点かもしれないが、恋の弊害だとすればそれもまた思慕の一つだ。
健気で愛らしく、ついでに胸も大きい、男の理想を詰め込んだような女性。
秋山もこういう子を選んでおけば然程苦労しなかっただろうにと、ナマエは他人事のように思った。
だがナマエは、過去に遡った仮定の話ならばともかくとして、現状で秋山が彼女を選ぶことは万一にもあり得ないことを確信している。
人はもしかしたら、それを傲慢や自信過剰と呼ぶのかもしれない。
秋山に対する信頼と言ってしまえば、単なる綺麗事だ。
だが、それでもナマエは知っていて、そしてその認識を覆すつもりは毛頭なかった。
不安になる要素など皆無である。
秋山に対して熱心に話しかける彼女を嫉みも恨みもしないし、嫌悪感も抱かない。
秋山は絶対に、ナマエ以外の女を選ばないのだ。



「あの、次のお休みっていつですか?」
「………」
「もしよかったら、一緒に出かけませんか?私、秋山さんと行きたい所があって、」

ある日の午後、ナマエが領収書の束を片手に経理課を訪ねれば、見慣れた光景が広がっていた。
秋山をデートに誘う彼女の顔は、恋する乙女そのもの。
秋山は彼女の前に立っていて、ナマエからはその後ろ姿しか見えないが、どのような表情を浮かべているのかは分かりきっていた。

「いえ、すみません、自分はそういうことは、」

相手が年下でも、女性である以上秋山の口調は丁寧だ。
女が硝子細工や砂糖菓子のように脆い存在でないことなど、ナマエを見ていれば分かるだろうに、秋山はどこまでも不器用に紳士であろうとする。
ナマエは、そういう男が嫌いではなかった。
差別ではなく、区別している。
その必要性を、秋山は知っている。

「でもここ、凄く綺麗なんですよ」
「……すみません、ご一緒出来ません」

秋山の声音が、僅かに尖った。
基本的には温和な秋山も、流石にそろそろ限界だろうか。
温厚で人好きのする笑みを浮かべることが得意な秋山だが、実は意外と好き嫌いがはっきりしていることをナマエは知っていた。
そして秋山は、理解力の低い人間が嫌いだ。

「何か予定があるんですか?」

それでも必死で、取り繕っている。
職場で問題を起こさないように、事が大きくならないように、精一杯に気を遣っている。
恋人がいると、特務隊のミョウジナマエと交際していると、そう言ってしまえば事は簡単に済むだろうに、ナマエのことを慮ってそれを隠している。
確かに、職場恋愛を誰彼構わず吹聴するのはナマエとしても頂けない。
彼女の性格上、話してしまえば翌日にはその話題は隊内を駆け巡るのかもしれないと思うと、若干憂鬱ではあった。
ナマエがそう考えるだろうと予想して、秋山は迷惑をかけないよう気を付けているのだろう。
まったく、相変わらず献身的な男である。

「お取り込み中失礼、これ、清算してもらえますか?」

ならばその献身に、応えようかと思った。
第三者の声に彼女が驚き、秋山もまた慌てて振り返る。

「ミョウジ、さん……」

秋山にとっては、見られたくない状況だったのだろう。
表情に焦りが滲んでいた。

「あ、はい!お預かりします」

小柄な彼女の華奢な手が、ナマエから領収書を受け取る。
隣で秋山が居心地悪そうに身動いだ。

不安は、ない。
怒りや嫉みも、勿論ない。

「……それからね、可愛いお嬢さん、」

でも、正直に言えば少しだけ、少しだけ面白くないと思うのも、事実だった。

「この男は私のものなんだ。だから、ごめんね?」

彼女に視線を向けたまま、わざとらしく秋山の肩に手を乗せてにこりと笑う。
視界の端、秋山が驚愕に目を見開く様子が映った。
当然と言えば当然のことだが、視線の先では彼女がぽかんと口を開けて二人を見ている。

ああ、すっきりした、とナマエは思った。

いつの間に、こんなことをする女になったのだろうか。
ナマエとしては、自身の取った行動に首を捻るしかない。
さらに言えば、後悔していないこともまた、その驚きに拍車をかけた。
だが不思議と、この合理性の欠片もない感情的な自分が、嫌いではなかった。
ここまで来てしまえば最後まで貫き通してみようかと、ナマエはもう一つ付け加える。

「行こうか、氷杜」

そう言って秋山の肩から手を離し、踵を返した。
硬直していた秋山が、一拍遅れてバタバタと騒がしく付いて来る。

「ーー あのっ、ナマエさん!」

呼ばれた名前に、上出来だとナマエは口角を上げた。





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