傷付いては傷付けて[1]
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しゃかしゃかと、小気味の良い音が鳴る。
鼻孔を満たす、深い抹茶の匂い。
聴覚と嗅覚を支配するそれらを一掃するべく、ナマエは鼻から強めに息を吐き出した。
だが生憎と、視覚までは誤魔化されてくれない。
ナマエが見せたせめてもの抵抗など気にも留めず、宗像は呑気に茶筅を動かしていた。

「ーー はい、お待たせしました」

やがて顔を上げた宗像が、ナマエの前にある座卓の上に茶碗を乗せる。
待った覚えは全くないそれを見下ろし、ナマエはこれ見よがしに溜息を吐き出した。

「餡子もいりますか?」
「結構です」

甘味は苦手だとか、そういう問題ではない。
ナマエは、ノートパソコンやら書類やらが所狭しと並ぶ卓上の僅かなスペースに置かれた茶碗を渋々取り上げた。
全く、悠長なことである。
感謝の気持ちを込めて茶碗を捧げ持つだの、正面を避けるだの、そのような作法は一切無視し、ナマエは機械的に中身を喉の奥に流し込んだ。
味わう気も楽しむ気もまるでないその暴挙に対し、宗像は何も言わない。
ただ、ニコニコと笑うだけだった。

「いかがでしょう」
「……秋山の淹れるコーヒーの方が美味しいですよ」
「おや、意地悪ですね。怒っているのですか?」

正直に言えば、怒ってはいない。
こんな些細なことで苛立っていては、四六時中宗像の側にいることなど到底出来ないのだ。
ただ、少しばかり呆れているだけだった。
ついでに、私兵と言う名の部下に仕事を全て押し付けて気儘に茶を点てている宗像のことが、若干恨めしい。

「まさか。点茶を楽しむ余裕が出来たのなら喜ばしい限りですよ」

嫌味ったらしい口調は意識した。
だがその内容については、強ち偽りでもなかった。

年が明けて、早数日。
クリスマスに決行されそして失敗したjungle迎撃作戦から、二週間程が経過していた。
セプター4は以前にも増して多忙な状況にある。
それも当然だろう。
件の作戦でドレスデン石盤を緑の王に奪われ、それまで宗像が何とか抑え込んでいた力が徐々に解放され始めたのだ。
新年早々から、ニュースは各地で頻発する特異能力関連事件ばかりを垂れ流し続けている。
最早情報規制はその機能を失い、名ばかりの専門家がああでもないこうでもないと好き勝手な持論を展開する特別番組にも飽きてきた頃だった。
関東全域で毎日発生する異能暴走事件にセプター4が対応しきれるはずもなく、秩序とやらは疾うに碧落の彼方だ。
それでも特務隊以下隊員達は日々奔走しているのだが、圧倒的な人員不足は如何ともし難かった。
元々、一日に十件も二十件も処理出来るような組織ではない上に、今は宗像も伏見も前線にいないのだ。
前者はヴァイスマン偏差の限界値手前で何とか踏み止まっているような状態なので無闇に力を行使出来ないため、後者はセプター4を離反したことになっているため。
そしてさらに、ナマエもまた宗像の私兵として動くことが多く、殆ど現場には出ていなかった。
主戦力のうちの三人も欠けば、人手不足はいよいよ深刻だろう。
それでも目の前の事件に対応しようと隊員達は奮闘しているが、数の暴力に対してかなり疲弊している様子は容易に見て取れた。

車が飛んだ、家が燃えた、水道管が破裂した、信号が消えた、突然道端に見えない壁が出来た、エトセトラ。
多種多様な事件が、日常を脅かしている。
まだ大規模なパニック状態には至っていないが、それも時間の問題ではないだろうか。
ナマエはすでに、政府内にセプター4の対応を疑問視する声があることも、急遽別の対策チームが設置されようとしていることも知っていた。
恐らく今月中にも、当局の特別対策チームとやらは発足するだろうというのがナマエの予測である。
そうなれば、セプター4は現在の立場を追われることになるはずだった。
総理大臣含め、政府高官の中にはjungleの息が掛かっている人物が多数存在する。
まだその完全なる特定には至っていないが、宗像という王権者の存在を疎んでいる人間が多いことは言うまでもなかった。
政府にとってこの大混乱は、セプター4という組織を解体させ、厄介な青の王を玉座から引き摺り下ろす絶好のチャンスなのだ。
あちらもこちらも、敵ばかりである。

そんな中、不幸中の幸いとも言うべきか、宗像の療養は順調だった。
皮肉にも、石盤を奪われその力の制御に尽力する必要がなくなったおかげで、悪化の一途を辿っていたヴァイスマン偏差が限界に達する直前で止まったのだ。
灰色の王との戦闘で負った怪我も快方へと向かい、宗像はここ数日、かつて石盤の間にこもっていた頃よりも余程顔色が良かった。
一時はかなり刺々しかった雰囲気も鳴りを潜め、宗像に似合いの悠然たる面持ちを取り戻している。
昨日、宗像が執務室でジグソーパズルを始めた時は伏見に倣って舌打ちを零しかけたナマエも、実は心のどこかで少し安堵していた。
仕事の合間に遊ぶ宗像を再び見ることになるとは、正直思っていなかったのだ。
街の状況を考えれば、その治安を守るべき組織の長としてはお気楽にも程がある行為だが、だからと言って今宗像に現場で力を発揮されても困るわけで、合理的な見方をすれば宗像が本調子を取り戻したことは喜ばしいと言わざるを得なかった。
それがたとえ職務中のジグソーパズルであっても点茶であっても、だ。

「君もあまり根を詰め過ぎないよう、適宜休憩して下さいね」

優雅に茶を啜る宗像を見遣り、ナマエは苦笑した。
休ませてくれない張本人が何を言い出すのか、理不尽にも程がある。
この二週間、ナマエは表立って動けない宗像の代わりにそれはもう特別手当を支給して貰わねば割りに合わないほどの仕事をこなしたのだ。
昼は室長執務室に、夜は宗像の私室にほぼ軟禁状態で、私兵と言うよりはむしろ秘書と側近と侍従を全て兼ねているような状態である。

「室長がもう少し働いてくれたら考えますよ」

ナマエは苦言を呈しながらも、宗像の命に従うべく座卓に上体を倒した。
正確には、閉じたノートパソコンの上に頬を押し当てた。
ちなみにこの座卓は、宗像から仕事を執務室で共にするよう言い渡されたナマエが倉庫から引っ張り出して来たものである。
ここ二週間、ナマエは室長執務室の座敷に胡座を掻いて座卓に向かっていた。
疲労と寝不足で、今なら宗像さえ黙ってくれれば三十秒で眠れる気がするが、勿論そんなに都合よく物事は進まない。

「ご苦労様です」

くしゃりと頭を撫でられ、ナマエは目を閉じたままゆっくりと息を吐き出した。
宗像の手が悪戯にナマエの髪を弄ぶ。
恐らく労ってくれているのであろう手の感触を享受しながら、ナマエはふと、秋山のことを考えた。
二人とも、手の大きさ自体は然程変わらない。
だがナマエの感覚が正しければ秋山の手の方が宗像のそれよりも武骨で太く、皮膚が硬かった。
一般的に見れば、より美しい手の持ち主は宗像ということになるのだろう。

「……繊細、ですねえ」

でもナマエは、今触れることの叶わない男の手の方が、好きだと思うのだ。

「ふふ、比較していますか?」
「まあ」
「構いませんよ。比べて、比べ切って、その結果私の方が良いと思って欲しいものですが」

冗談とも本気ともつかないような口説き文句を、ナマエは黙したまま聞き流した。
返事は用意しない。
宗像がどのような顔をしているのか、ある程度想像出来たがそれよりも、例えばこの状況を秋山が目にしたらどれほど表情を歪めるだろうかと、その方が余程鮮明に思い描けた。
この二週間、ナマエと秋山は殆ど顔を合わせていない。
最後に会ったのは一週間前、年が明けてすぐのことだった。



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