ごめんねが言えなかったことを[2]
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そうして開幕した舞台で、ナマエは裏方に徹するつもりだった。
しかしその後、事態は予想外の展開を迎える。
主演男優様が何の気紛れか、裏方のナマエを舞台に上げてしまったのだ。
宗像に呼ばれて立ち入った、救護車両の中。
ナマエの耳元に囁かれた命令は単純でありながら複雑でもあった。

「この件が片付くまで、私の私兵になって下さい」

その瞬間にまずナマエは、自身がプランBに気付いているということが宗像に知られたことを理解した。
どこに悟られる様子があったのか、己の行動を振り返っても思い当たる節はない。
伏見が芝居の中にアドリブを混ぜて暗に伝えたのだとしたら、その優秀さには脱帽だった。

それはともかくとして、宗像から下された命令を、ナマエは臣下として承服した。
私兵とはまた、都合の良い単語である。
この命令はたった一つでありながら、宗像の望む全てを叶えるという万能な呪文のようだった。
しかも期限の曖昧さときたら、他にないだろう。
どの段階で"この件が片付いた"ことになるのか、それもまた宗像の裁量次第というわけである。
掛けられた身としては堪ったものではない術だが、致し方ない。
つまるところ、その際に諾と答えた結果が今の状況を招いたこともまた、致し方ないのだ。


「まだ起きていますか?」
「……室長、寝かせる気あります?」

手慰みのごとくナマエの指先を弄る宗像をずっと無視していたのだが、話し掛けられてしまっては寝たふりもしづらく、ナマエは渋々瞼を持ち上げた。
目の前に、この世の美しいものを全て掻き集めて作ったかのような造形の顔があるのは、少しばかり心臓に悪い。

「ふふ、すみません。力を使いすぎたせいなのか、少し寝付きが悪いみたいで」
「巻き込まないで下さいよ」
「まあまあ、そう言わずに。とりあえず一本いかがですか?」

音もなく上体を起こした宗像が、ベッドサイドから煙草のケースを引き寄せた。
夜更かしを楽しむ子どものような顔をして非喫煙者に煙草を勧めてくる辺りが、宗像の面倒なところである。

「ほんっと、もう、色々後悔するなあ……」

ナマエは今にも上下のくっ付きそうな瞼を無理矢理抉じ開け、宗像に倣って身体を起こした。
宗像がケースから取り出した一本目を自ら咥え、二本目をナマエに差し出す。
ナマエは素直にそれを唇で受け取った。
宗像が自身の煙草に火をつけ、薄く笑みを浮かべてからナマエに顔を近付ける。
意図を察し、ナマエは顔を顰めてから咥えた煙草に指先を添えた。
煙草の先端同士が触れ合い、ナマエが息を吸い込めば火種が移る。

「……室長って、シガーキス好きなんですか」
「おや、憶えていてくれましたか」
「上司に不法侵入されたことを忘れる人間ってのもそうそういないと思いますけどねえ」
「懐かしい逢瀬の思い出をそんな単語で片付けてしまうのは無粋ですよ、ミョウジ君」

不法侵入の時点で粋でも何でもない、という反論が言うだけ無駄だと知っているナマエは返事の代わりに煙を吐き出した。

「……まあ、確かに懐かしいですね」

もう、あれから一年半だ。
セプター4としては、怒涛の日々だったように思う。

「ふふ、今夜は随分と優しいですね」
「そこまでが命令の範疇かと」
「なるほど」

わざとらしく頷いた宗像が、その表情から笑みを消した。

「では、命令だと言えば君は私を慰めてくれるのでしょうか」

その意味が理解出来ないほど、ナマエは鈍感でもなければ幼稚でもない。
この人にも雄の顔があるのだなと、場違いな感想が思考の真ん中に漂った。
宗像の問いに対する答えは、一つしかない。

「……それが貴方の大義に必要ならば、臣下である私は何でもしますよ、王様」

ナマエはそう答え、灰皿の上で煙草を弾いた。
部屋を訪れた時から気付いていたが、その灰皿は、かつてナマエが備品庫から引っ張り出し、そして最終的に宗像へと差し出したものだ。

「困りましたね。そう言われては手が出しづらい」

ちっとも困っていなさそうな顔で、宗像が宣った。
それでいい、とナマエは思う。
今更大事にするようなものではないし、生娘のように恥じらう年でもないので必要とあれば自分の身体などいくらでも使うが、だからと言って誰彼構わず召し上がれと脚を開くほど安くもないのだ。

「意外ですか?」
「いえ、分かっていましたよ」

そう言って宗像が、不意にナマエの左手首を掴んだ。
ワイシャツ越しに、その指先がナマエの腕時計をなぞる。

「秋山君ですか?」

その慧眼にナマエが驚いている間に、宗像の指は器用に動くと袖をずらして腕時計を露出させた。
四方に配われたダイヤモンドが、ナイトランプに照らされて淡く輝く。

「聞くまでもありませんでしたね」

黙り込んだナマエの返答を待つことなく、宗像が笑った。
ナマエは肺の底まで届くように深くニコチンを吸い込み、じっくりと吐き出してから苦笑する。
つくづく、恐ろしい相手だった。
ナマエは宗像の他に、自身を不本意なる沈黙へと陥れる人間を知らない。
今回の不意打ちに対抗出来なかったのも、寝不足だけが原因ではないのだろう。

「ほんと、いい性格してますねえ」

なんと苦し紛れな暴言か。
ナマエは、発言の稚拙さに頭を抱えたくなった。

「先程、君は気が付きましたか?」
「……秋山が、サーベルに手を伸ばしかけたことですか」

ええ、と宗像が愉しげに微笑む。
今度こそ本気で、いい性格だと思った。

「彼にとって、青の王や室長は忠義を尽くすべき上官です。しかし、宗像礼司個人に限れば余程憎いらしい」
「今回に関して言えば、室長がそう仕向けたんじゃないですか」
「……ほう?」
「すっとぼけないで下さいよ。わざと、隊員の不信感を煽ってるんでしょう?」

僅かに目を瞠った宗像が、やがて眼鏡の奥でゆっくりとその双眸を細める。
白々しい、とナマエは鼻を鳴らした。
宗像は、セプター4という組織と自らを切り離そうとしている。
セプター4の室長と青の王は、イコールではないからだ。
宗像は室長としての責務ではなく、青の王としての運命を全うしようとしていた。
だからこそ敢えて、隊員たちの間に反感が生まれそうな行動を選んでいるのだ。

「君は本当に優秀ですね、ミョウジ君」
「そりゃ光栄ですけどね。あんまり手荒な真似はやめてあげて下さいよ。室長と違ってみんないい子たちなんですから」
「おや、私は除外されるのですか?」

当然だろう、とナマエは思った。
深層心理に反発心を植え付けるためだけに純粋な恋心まで利用するのだから、なかなかの悪質っぷりである。
しかし人のことが言えない以上、ナマエはそれを口に出しはしなかった。
それでも、宗像には粗方伝わったらしい。

「心外ですね。あの時、君を抱き締めたかったのもまた、私の本心ですよ?」
「だとしたら余計に性質が悪いですよ」

奸計に私欲が混じった時点で、道徳的な見方をすれば間違いなく許容範囲外だろう。
悪怯れた様子もなく言い切る宗像に、ナマエは苦笑せざるを得なかった。



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