この哀しい罪を抱いて[1]
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R-18







青のクラン、セプター4は秩序の番人と呼ばれている。
聖域に乱在るを許さず、塵界に暴在るを許さず。
隊員たちは、幾度となく耳にしたその口上を骨の髄まで叩き込まれていた。
有事の際にも一糸乱れず整然と行動し、組織として最高の統率力を誇る。
それが当然であり、それこそが必然でもあった。

つまり、今のこの状況を一言で言い表すならば、異常ということになるのだろう。

秋山は、明らかに浮き足立った隊員たちが騒然と行き交う現場を見渡した。
誰も彼もが、顔に信じられないと書いてある。
驚愕、疑念、不信、困惑、焦燥。
ありとあらゆる不穏な空気に満ちた夜だった。
任務中は慎まれるべき私語が飛び交い、指揮系統は混乱し、誰もが暗闇の中を何かに追い立てられるかのごとく駆けずり回っているようだ。
無理からぬことだろう。
つい先程、組織の頂点に立つ王が、敵に敗北したのだから。

秋山にとって、そして全ての隊員にとって、宗像礼司が負けを喫するという事態は前代未聞だった。
宗像がセプター4の長になって三年と半年、初めての敗戦だ。
誰も、こんな日が来ることを想像したことはなかった。
隊員たちの中で、青の王は唯一無二の絶対的勝者だったのだ。
人間であれば当たり前に起き得るはずの敗北や過失などには一生無縁なのだと、盲信していた。
よくよく考えれば、可笑しな話だ。
宗像は世界で唯一の王ではなく、七人いるうちの一人なのだから、対等な存在が少なくとも他に六人いることになる。
単純な論法を用いれば、他色の王と敵対した時点で絶対などあり得なかったのだ。
だが、誰しもが信じて疑わなかった。
自らが冠する王は敵がどんな相手であろうと、常の静謐な微笑を湛えて全てを秩序の元に返すのだ、と。
その結果、隊員たちは絶対という常識を覆されて拠り所を失った。


「駄目だな、やはり追跡は不可能だ」

指揮情報車の中、立ったままモニターを睨み付ける弁財が溜息と共に腕を組む。
その隣で、秋山も同意を示すべく顎を引いた。

「灰色の王、か。厄介な能力だな」
「ああ、目視どころかレーダーも通らないなんてな」
「ヘリでの捜索は?」
「今、第一小隊を鈴ヶ谷の基地に回しているが……」

皆まで言う必要もないだろう。
追うべき敵がどこにいるかも分からない状況で夜空を闇雲に飛び回ったとて、発見に至る確率はほぼゼロだ。
淡島より全力で捜索を続けろという命を下されたからにはやれるだけやってみるが、成果が得られるとは思えなかった。
敵は見事に雲隠れしてしまった、というわけだ。

そう、敵ながら見事な手腕だった。
情報が錯綜しているせいで正確なところはまだ秋山の耳に届いていないが、すでに判明しているだけでも、敵の方が数枚上手だったことを理解するには十分だ。
まさか、敵の切り札が十四年前に死んだと思われていた灰色の王だったなんて、誰一人として予想だにしなかった展開だろう。
大ボスだと思われた緑の王さえ道を切り開くための駒の一つにして登場した最終兵器は、五本目の剣を宙に掲げた。
秋山らが石盤の間へと向かう途中で唐突に辺りを包み込んだ謎の霧の正体は、灰色の力だったのだ。
形勢は一気に逆転され、宗像は灰色の王に敗れた。
その戦闘すらも彼らにとっては時間稼ぎと陽動だったらしく、石盤はヘリによって空から奪取され、今はもうその行方さえ分からない。
疑問や釈明を差し挟む余地などどこにもない、叩き付けられたのは作戦失敗の四文字だった。

「……もう拠点に隠れている頃かもしれないな」

弁財の推測は、恐らく正しい。
秋山は思考を切り替えることにした。

「ああ。となると、いよいよ何も出来なくなる。方針を考え直すべきだな。……副長は、まだ現場の指揮を?」
「ああ、崩落箇所の封鎖を仕切っているはずだ」
「そうか。なら、先に伏見さんかミョウジさんに、」
「伏見さんはさっき室長のところに向かうと仰っていた。ミョウジさんは……見てないな」

そうなのだ。
御柱タワーを下りてから、秋山はまだナマエと顔を合わせていなかった。
作戦中、ナマエは伏見や榎本と共に指揮情報車に残っていたはずなのだが、戻ってみればそこにナマエの姿はなく、凄まじく不機嫌な顔をした伏見とその後ろで狼狽える榎本に出迎えられたのだ。
ナマエが今どこで何をしているのか、一緒にいたはずの伏見や榎本ですら知らなかった。

「……分かった。室長は救護車両だな?」
「ああ、行こう」

秋山と弁財は車両から飛び降り、足早に宗像の元へと向かう。
宗像は、灰色の王と交戦した際に負った怪我の治療を受けていると聞いていた。
それだけで、相手がどれほどの手練れだったのかは推して知るべしだ。
秋山は、姿を眩ませたままの恋人を脳裏に浮かべ、忸怩たる思いに歯噛みした。
宗像のことも淡島のことも、ナマエから頼まれていたのに秋山は結局何も出来なかった。
無論、王同士の戦いに介入して何かを成せるなどと身の程知らずなことは考えていない。
だが、それよりも前の段階で、もっと他にやれることがあったのではないだろうか。
本当に秋山は死力を尽くしただろうか。
霧の中、灰色の王をみすみす逃したのは、秋山ら特務隊の失態ではないだろうか。
結果は一目瞭然、護るべき上官は怪我を負い、組織は惨敗、秋山に現場を託してくれた恋人は恐らく何らかの後始末に奔走している。
くそ、と短く毒付いた秋山の肩を、隣に並んで歩いていた弁財の手が強く叩いた。
弁財の表情もまた、苦渋に歪んでいる。
それを横目に秋山は、自らの敗北をより強く実感した。


「……秋山、弁財、」

救護車両の近くには、特務隊の殆どが集まっていた。
秋山と弁財が近寄ると、加茂が振り返る。
その顔から明らかな動揺が見て取れ、秋山はそれを訝しんだ。
勿論、宗像の怪我に作戦の失敗にと異例なことばかりが続いているため無理からぬことではあるのだが、ある程度の時間が経過した今、特務隊の隊員たちならば既に常の冷静さを取り戻しているだろうと踏んでいたのだ。

「どうした、また何かあったのか?」

秋山と同様に疑問を覚えたらしい弁財が、その場に揃った面々を見回す。
そのうちの何人か、道明寺や日高らが顔を見合わせた末、結局再び口を開いたのは加茂だった。

「……伏見さんが、出て行った」
「出て行く?どこから?」
「セプター4から、ということになるんだろう」
「………は?」

唐突に告げられた情報の意味が理解出来ず呆気に取られた秋山と弁財に、加茂が衝撃的な理由を添える。

「室長と、口論になってな……」

唖然とし、秋山は他のメンバーの表情を窺ったが、すぐに加茂の説明が真実だと理解するに至った。
それほど、皆が困惑していたのだ。
そして何よりの証拠は、加茂が指差した救護車両だった。
側面にセプター4のサーベルが突き刺さり、そこに伏見専用の隊服が無造作に引っ掛かっている。
つまり、激昂した伏見がクランズマンたる証のそれらを宗像に叩き返したということだろう。
冷気ばかりを含んだ風に吹かれて揺れる青い隊服が、伏見のセプター4からの離反を明白に物語っていた。

二の句も継げずに棒立ちとなっていた秋山は、呆然と救護車両の内部に視線を送る。
そこには、薄暗い車内で治療台に腰掛け、前屈みになった宗像の姿があった。
治療は既に終わっているのか、胴まわりに包帯が巻かれ、肩には隊服の上着が掛けられている。
そこに秋山のよく知る完璧な青の王はおらず、宗像からは焦燥感のようなものが滲み出ているように見えた。
常の不敵な余裕や玲瓏たる気配は感じ取れない。
秋山から、組んだ両手を見下ろすように俯く宗像の表情は窺えなかったが、恐らくかつて見たこともないような顔をしているのだろうと思った。

「……室長は何と?」

秋山は、宗像の耳には入らないよう声を潜めて加茂に問う。
しかし返って来たのは納得し難い答えだった。

「……放っておきなさい、と」

つまり宗像は、伏見の行動を容認したことになる。
この危機的状況で、情報課の優秀な人材を、かつて宗像の私兵とまで言われた存在を、手放したのだ。
口論になったということだが、それほど宗像の逆鱗に触れるようなことを、伏見は言ったのだろうか。
伏見の態度が部下として不適切であることなど日常茶飯事で、いつも宗像はそれを咎めるどころか愉しんでいる節さえあったというのに。
それとも、今回の敗北は秋山の想像以上に宗像を打ちのめしたのだろうか。

「……我々へのご指示は?」
「伊佐那社の指示に従え、と」

加茂の口調が、さらに重くなった。
明らかに不服だと、その声音が訴えている。
秋山も同感だった。
確かに本作戦では白銀の王の指示に従ったが、それは宗像が彼らに協力すると明確な意思を示したからだ。
まさか今更になって、青のクランズマンに対し、他色の王に従えと言うのだろうか。

宗像の負傷、作戦の失敗に加え、伏見の離反に宗像の指揮権放棄というさらなる問題が発生し、流石の特務隊員たちもいよいよ途方に暮れたのだろう。
現場の一般隊員たちが必死に駆けずり回る中、救護車両の周辺だけが通夜のような沈痛な空気に包まれている。
しかし、ここで何もせず立ち尽くしているわけにはいかなかった。
宗像から指示が貰えず、伏見とナマエも不在ならば、まずは淡島の任を肩代わりするのが秋山のなすべき最優先事項だろう。
そう自己判断し、御柱タワーに戻ろうとしたその時だ。
不意に、それまで微動だにしなかった宗像が沈黙を破った。

「秋山君」

秋山は一瞬、誰に呼ばれたのか分からなかった。
それほどまでに、普段とは掛け離れた声色だったのだ。

「ーー はっ」

一拍遅れて応えた秋山に対し、宗像は顔を上げることなく続ける。

「ミョウジ君をここへ」

それは端的な指示だった。
意味を問う必要も、方法を問う必要もない、至って簡潔かつ容易な命令だ。
しかし秋山は、即座に諾と答えることが出来なかった。
理由はただ一つ、何か嫌な予感が胸中で騒めいたのだ。




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