その花はどんな色だろうか[1]
bookmark


「あーー……合コン行きてえな………」

その、切実かつ哀愁滲む独り言は、男臭い部屋の中心を間抜けに漂った。
誰かの重々しい溜息が、そこに重なる。
書類の確認をしながらそれらの音を拾った秋山は、いよいよ限界が迫っていることを感じずにはいられなかった。
師走とはよく言ったもので、なんていう常套句さえ、今の状況を表現するには不十分だ。
元々セプター4の特務隊は公務員にあるまじき超過勤務がデフォルトだが、この一ヶ月半は常に輪をかけて多事多端、最早地獄の様相を呈していた。
それは、室内を見渡すだけで一目瞭然だろう。
徹夜続きで目の下にくっきりと刻まれた隈、何日着替えていないのかも分からない草臥れた制服、これまた何日風呂に入っていないのかも分からない汗臭さ、だらしなく曲がった背筋に欠伸と溜息の連発。
そして極め付けが、それらに対して何の注意もしない淡島。
もうこの時点で、状況は最悪だった。
それは日高も、勤務中に不謹慎な発言を零すものだろう。

「俺今度の非番で合コーン!」

疲労が溜まりすぎて一周回ったらしい道明寺の、いっそ憐憫を誘うような明るい声が虚しく響いた。

「ええぇ、マジっすか?いいなあ」
「ま、次の非番がいつか分かんねーけど?」
「ですよね……」

然もありなん。

「あああ女の子と遊びてー!デートしたい!」
「先に彼女作れよ」
「だから合コン行きたいんじゃないっすか!」

明らかに職務に無関係かつ不謹慎な私語だが、部屋の隅でキーボードを叩く淡島は何も言わない。
普段は年下の同僚を窘める役回りを担うことが多い弁財も、聞こえない振りで黙したままだ。
ここに伏見がいれば舌打ちの一つや二つ飛んだのかもしれないが、彼は今外に出ていた。

「いちゃいちゃしたいなあ、手作りの料理とかさあ、一緒に映画観たりさあ」

半ば譫言のように、テーブルに上半身を伏せた日高の口から欲望が垂れ流される。
流石にそろそろ止めようかと秋山が書類から顔を上げかけた時、別の方向から声が掛かった。

「日高ぁ。今度合コンでも何でもセッティングしてあげるから、早くさっきの報告書頂戴」
「えっ、ナマエさんマジっすか?」
「十分以内に提出したら東東京総合病院勤務の美人看護師、それ以上掛かったら国防軍の趣味が筋トレとかいう男勝りな軍人ね」
「今すぐ!書きます!」

跳ね起きた日高が、何かに取り憑かれたかのように猛然とペンを動かし始める。
一連の流れを見守っていた秋山は、ナマエのやり口にこっそり笑いを噛み殺した。
相変わらず、人を動かす術に長けた人である。
この分なら日高は間違いなく、十分以内に報告書を仕上げるだろう。
だが、聞き捨てならない単語がその口から飛び出したのは事実だった。
合コンとはどういうことだろうか。
セッティングするだけならまだしも、幹事としてナマエも参加するというのなら、それを快く容認出来るほど秋山の器は大きくなかった。
今度詳しく話を聞かせてもらわなければと、脳内にメモを貼り付ける。
再び忙しないタイピング音とペンの滑る音に支配された空間で、秋山も書類に視線を落とした。

面白いほど予想通り、日高は九分で報告書を書き上げた。
余程、看護師との合コンが楽しみならしい。
または、自分よりも筋肉質かもしれない女性との合コンを回避したかったのだろうか。
椅子に腰掛けたナマエに向かって大袈裟なほどに頭を下げながら両手で恭しく紙を突き出す日高を横目に秋山が小さく笑っていると、隣で弁財も苦笑を零したのが視界に入った。
報告書を提出し終えた日高の「よっしゃあ合コン!」という場違いな快哉が、良くも悪くも皆のなけなしの集中力を見事に霧散させる。
時刻はすでに二十二時。
今となってはもう何時に出勤だの元々の勤務シフトがどうだの、そのような瑣末事は誰も気に留めておらず、食べられる時に出来るだけ食べて寝られる時に少しでも寝る、が暗黙の了解だった。
珍しくサイレンの鳴らない夜、誰のテーブルにもまだ仕事は山積みだが、一晩徹夜したところで終わる量でもない。
今日はもういいだろう、と諦めモードが漂うのは致し方ないことだった。
それは淡島も例外ではなかったらしく、きりの良いところで休むようにとお達しが下る。
合コンだ看護師だと騒ぎながら日高と道明寺が情報処理室を出て行けば、終わるはずもない仕事に辟易した他の面々もそれに倣い、ゾンビのように不安定な歩調で後に続いた。
それを見送っていると、真面目だ何だと評される秋山も流石に帰りたくなってくる。
秋山は短く嘆息し、手元に視線を落とした。
チェックしている報告書は、後二枚で捺印が終わる。
霞む視界を瞬きで誤魔化しながら読み進めていると、不意に、視界の片隅に見慣れた青色が映り込んだ。
顔を上げて、驚く。
そこには、秋山の作業するテーブルの端に浅く腰掛けたナマエがいた。

「え、あ……」

慌てて周囲を見渡してみれば、もう他には誰も残っていない。
もう一度ナマエに目を向ければ、上体を軽く捻ったナマエと丁度視線が重なった。

「もう終わる?」
「あ、はい、あと一枚です」
「そ」

短く答えたきりナマエは秋山から視線を逸らし、両手を上げて背筋を伸ばす。
んん、と気怠げな声が漏れ聞こえた。
その姿をぽかんと眺めていた秋山は、どうやらナマエが秋山の退勤を待っていてくれるつもりらしいということに遅れて気付き、急いで書類に目を落とした。
しかし、視界の端に映る青色の存在に思考を乱される。
だってつまり、それはナマエの臀部なわけだ。
ご無沙汰だとか疲労だとかその理由はいくつかあれど、有り体に言ってしまえば秋山は欲求不満だった。
文字面を上滑りしかける意識を掻き集めた集中力で何とか繋ぎ止め、確認欄に印を捺して書類を仕舞う。

「お待たせしました」
「お疲れ、帰ろ」

テーブルの端に預けていた腰を浮かしたナマエに促され、秋山はその後ろに続いて何時間篭っていたのかも忘れた情報処理室から逃げ出した。
廊下に出るだけで若干空気が澄んでいるように感じられるのは、きっと気のせいではないはずだ。

「つっかれたねえ」

実感のこもりすぎた台詞に、秋山はしみじみと頷いた。
ナマエがこうして直截的な表現で以て自らの状態を白状するのは珍しいことだが、無理もない。
勤務中、まるで何でもないことのように常の飄然とした態度を貫いていられることの方が、秋山には信じ難かった。
日々発生する事件の数は右肩上がりで、そうなれば当然忙しさもそれに比例する。
相変わらず、ナマエの抱える仕事量は端から見ても常軌を逸していた。

珍しく言葉にしてしまったほど、本当に限界が近かったのだろう。
秋山を連れて寮の自室に戻ったナマエは、ブーツと制服の上着を乱雑に脱ぎ捨てるなりベッドに倒れ込んだ。
先程まで日高相手に軽口を叩いていたとは思えないほどの切り替わり方は、まるで電源を落としたかのようである。
部屋に戻って気が抜けたのか、それとも秋山相手に取り繕う必要などないと思ってくれたのか。
秋山は、ナマエが脱いだブーツを揃え、上着を拾ってハンガーに掛け、さらにエアコンのスイッチを入れてから、ベッドの脇に胡座を掻いて座った。
コンフォーターに身体を、枕に顔を沈めたナマエを、黙って見下ろす。
上着を脱いだ姿を久しぶりに目にしたが、少し痩せただろうか。
ここ最近、休んでいる姿は元より、食事を摂っている姿さえまともに見た覚えがなかった。
秋山がこの部屋を訪ねるのも、凡そ二週間ぶりである。

「お疲れ様でした、ナマエさん」

秋山も、精一杯に尽力しているつもりだった。
だが秋山とナマエでは根本的に得意とする分野が異なり、だからこそナマエが担う仕事の中には秋山が全く手出し出来ない事柄も多い。
助力したくとも叶わない、そんなもどかしい思いをこれまでに何度繰り返しただろうか。
平然と振る舞うナマエが、常と変わらぬ態度の裏で疲弊していくさまを見ていることしか出来ない無力感。
それでも想いだけは伝えたくて、秋山は声音に目一杯の労いを込めた。

「………髪、」
「かみ?」
「……後ろ、とって」

俯せに力尽きたナマエの辿々しい言葉からその意味を汲み取るならば、髪を後頭部で纏めているヘアクリップを外してほしいということだろう。
従順にその要望を聞き届けようとした秋山はしかし、ナマエの頭に伸ばした手を硬直させた。
よくよく考えてみれば、ナマエが髪を下ろす瞬間は幾度も目にしたことがあれど、秋山が髪留めを外してあげるのは初めてのことである。
そう認識した途端に緊張してしまうのは、仕方のないことではないだろうか。
生まれてこのかた、女性の髪を弄ったことなどないのだ。
例えヘアクリップを外すだけとはいえ、相手がナマエだという事実に指先が震えそうになる。
秋山はナマエの頭の真上、彼女の視界に入らない位置で一度手を握り締めてから、そっと指を開いてヘアクリップに触れた。
女性の髪留めになど詳しくないため、ナマエの愛用しているそれが何という名称のものかは分からないが、どこを摘めば外すことが出来るのかはもう知っている。
秋山はナマエの髪を巻き込まないよう、慎重にヘアクリップを抜き取った。
途端に、纏められていた髪がさらりと流れるように零れ落ち、枕やブラウスの上に散る。
包まれていた柔らかなシャンプーの香りが開放されたのか、嗅ぎ慣れた匂いが鼻腔を擽った。
ああ、綺麗だ、と秋山は唐突に思う。
疲れ切っていても、だらしなく寝転んでいても、声から艶が失われても、秋山の恋人は美しい。

「ん……ありがと、」

そして、秋山の前でだけ身体中の力を抜いてくれるナマエが、とても可愛らしく感じられるのだ。
こんなナマエの姿を知っているのは己だけだと、甘やかな優越感が秋山を満たしていく。
秋山はヘアクリップをローテーブルに置き、ナマエの頭をそっと撫でた。
抵抗ひとつせず、ナマエがそれを受け入れてくれる。
なんて幸せなことなのだろうかと、秋山は頬を緩めた。

「お腹、空いてますよね?何か作って来ますから、休んでいて下さい」

秋山自身も、疲れていないと言えば嘘になる。
徹夜三日目、手足は鉛のように重かった。
だが今はそれよりも、ナマエを労い、目一杯に甘やかしてあげたい。
それは秋山にだけ許された特権であり、そして秋山が抱える情愛をナマエに伝えることの出来る大切な術の一つなのだ。



prev|next

[Back]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -