笑え、全てが終わるまで[1]
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「どうぞ」

ナマエはそう言って、物憂げに窓の外を眺める麗人の背後から缶のミルクティーを差し出した。
あろうことかセプター4の美人副長は、ナマエの気配に全く気付いていなかったらしい。
唐突に掛けられた声と、後ろから顔の真横に現れた缶の存在に肩を跳ね上げた。

「きゃあ!」

なんとも女性らしい悲鳴を上げて勢いよく振り返った淡島に、ナマエは小さく喉を鳴らす。
缶を受け取りながらも恨めしげに睨み付けてくる視線に、ナマエは肩を竦めて形ばかりの謝罪を口にした。

「驚かせないで頂戴」
「簡単に背後を取られるくらい疲れてるなら、少しは休んだ方が効率的ですよ」
「わざと気配を消したくせに」
「それはあれですよ、職業病ってやつです」

淡島はナマエの言葉が机上の空論であることを知っているし、ナマエもまた己の発言がそうであることを理解している。
生憎と今、セプター4は幹部クラスの人間が容易に休みを確保出来るような状況ではなかった。
淡島が缶のプルタブを引き開けたことを確認し、ナマエもそれに倣って手に持っていたもう一本を開封する。
無糖のカフェオレが、舌の上をほろ苦く滑った。

「今帰り?」
「ええ。これで、各省庁への粗方の手続きは完了しました」

第三王権者と第四王権者の合意を以て宗像に委ねられた、御柱タワー及びドレスデン石盤の管理権。
それはつまるところ、現時点で行方どころか生死すら不明である國常路大覚がこれまで担ってきたものの一切を宗像が引き継いだことになる。
属領や石盤の管理だけでなく、国の行政や司法に至るまで、宗像の有する権限はまさに国家の王そのものになった。
今この国の治安を支えているのは間違いなく、宗像礼司その人なのだ。
しかしそれを頭の固い官僚連中が大人しく聞き分けるかと言えばそれはまた別の話であり、そのためにナマエはこの半月、裏で手回しに奔走する羽目に陥った。

「ご苦労だったわね」
「まあ、室長の人使いの荒さは今に始まったことじゃありませんから」
「ミョウジ、」
「失礼しました。こっちはどんな調子です?」

一応聞いてはみたものの、淡島の疲弊した様子を見れば状況が芳しくないのは一目瞭然だ。
案の定淡島は、美貌も台無しな深い溜息を吐き出した。

「サイバー攻撃が引っ切りなしよ。伏見を筆頭に対応してもらっているけど、まるで鼬ごっこね。外の治安も悪化傾向にあるわ」
「jungleですか?」
「ええ、ネットの方は間違いないわ。現場は、jungleの下位ランカーによる軽犯罪も見られるけど、単純にストレイン犯罪も増加しているみたい」

困り果てた様子の淡島を横目に、ナマエは缶の中身を傾ける。
jungleの動向については、大方予想通りと言ってよかった。
行方不明の白銀の王、恐らくもう亡くなっていると考えるのが妥当な黄金の王、誕生したばかりの赤の王、そして石盤の管理権を引き継いだ上に唯識システムを所有する青の王。
jungleの当面の標的がセプター4であることは、疑いようもなかった。
サイバー攻撃も、数を撃てば当たるの寸法で頻発する細々とした事件も、全てはセプター4を疲弊させるための嫌がらせだ。
しかし、ストレイン犯罪の増加については話が別だろう。
なぜこうも嫌なタイミングで事件が重なるのか、それは果たして運の問題なのかそれとも。

「室長は、今日も御柱タワーに?」
「……ええ、」

淡島の表情がより一層沈痛な面持ちに歪む様子を、ナマエは黙って見つめた。

「石盤の調査ということだけど、一体何をされているのか……」

上官を慮る右腕は、まるで自らの不甲斐なさを嘆いているかのようだ。
敬愛が過ぎるのか、それともただ単に淡島が謹直なのか。
両方だろうなと、ナマエは薄く笑った。
その姿が性別さえ越えて、身近な人物に重なったからだ。

「元々働いてばかりの方だけど、最近は息抜きすら全くされていないみたいで……心配だわ」
「ヴァイスマン偏差のことも?」

憂いの込もった言葉尻にナマエが付け足すと、淡島は鋭く息を飲んだ。
分かりやすく正直な反応に、ナマエは苦笑を禁じ得ない。
淡島の手が、缶をきつく握り締めた。

「……どうして、それを?」
「特務隊情報班を舐めて貰っちゃ困りますよ」

最近はイレギュラーな任務にばかり就いていたが、本を正せばナマエは国防軍情報分析官の出身である。
情報と名の付くものは、全てナマエの領分だった。

「そうね、そうだったわ」
「副長は、伏見さんから聞きましたか?」
「ええ。まだ誤差の範囲内ではあるけれども、気になる数値だと」

伝え聞いた伏見の意見に、ナマエも同意を示す。
確たる証拠はなくとも、ナマエは今の宗像が不安定な状態にあることを感じ取っていた。
宗像が石盤の力を國常路のように抑え込めていないのだとすれば、あるいはそれこそが、ストレイン犯罪の増加に繋がっているのかもしれない。

「……まあ、あんまり思い詰めないで下さい。美人が台無しですよ?」
「もう、貴女はいつも緊張感がないわね」

王権者だの石盤に秘められた力だのは、ナマエたちが考えても詮無きことである。
呆れたように苦笑した淡島に、ナマエも笑い掛けた。

「なるようにしかなりませんて。今はとりあえず、いつ貰えるか分かりゃしない非番で美味しい酒でも飲むことを楽しみにもうひと踏ん張りしようじゃないですか」

ええ、そうね、と淡島が応える。
その口調が先程までよりも柔らかくなったことに安心していると、余計な一言が付いてきた。

「今度一緒に飲みに行きましょう。餡子をストックしておいてくれるお店をまた見つけたのよ」
「………ええ、楽しみにしてますよ」

返事が棒読みになったことは、どうかうっかり聞き逃してほしい。
藪蛇だったかと自らの発言を後悔しながら、ナマエはカフェオレを飲む振りをして豪奢なシャンデリアのぶら下がった天井を仰いだ。



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