未成熟かつ絶対的なそれ[3]
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「……あの、今日、楽しかったですか?」

官公庁の立ち並ぶ静かな区間に入ってようやく、秋山は口を開いた。

「ん?まあまあかな」
「そう、ですか……」

ナマエの声音はいつもと変わらない。
若干素っ気なく感じられるのは秋山の受け止め方の問題であり、実際は恐らく平素通りだ。

「……息抜き、出来ましたか?」
「え?」

それまで前を向いていたナマエが、首を捻った。
視線を向けられ、今度は逆に秋山が目を逸らす。

「……少しでも、仕事のことを忘れて楽しんでほしかったんです。この仕事だと、気を緩める暇があまりないから。学生時代の友人となら、息抜きが出来るのかと思って」

斜めに落とした視線の先、黒のストッキングに覆われたナマエの脚が見えた。
多分何人もの男が、同じものを目にした。

「でも結局、俺の知らない誰かと貴女が楽しく過ごしているのだと思うと、嫌になって。疑っているわけじゃないんですけど、気分が悪くて。それで、つい……」

馬鹿正直な告白に、ナマエは何も言わなかった。
黙って、話の続きを待ってくれる。

「………見栄を張ったんだと、思います。余裕とか、自信とか、包容力とか。そういうものを持った大人に、見られたくて」

淡々とした声が、自身の唇から零れていった。
感情のままに吐露せずとも、何度も憧れた男性像など容易に説明出来てしまう。

「……今更?」

ようやく返された一言は痛烈に胸を抉り、秋山はぎこちなく苦笑することしか出来なかった。
全くもって、その通りだ。

「ははっ、そうですよね……」

強張った口元に、無理矢理笑い声を乗せる。

「ずっと、そういう男になりたかったんですよ。貴女と対等になりたかった。……まあ、俺にはどう足掻いても無理そうですが、」

一つの年齢差とは、こんなに大きなものなのだろうか。
否、そうではない。
現に宗像は秋山よりも歳下だが、出来の良し悪しなど比較の対象にさえなりはしない。

「貴女には、与える愛を持っていたいのに。実際は、見返りを求めてばかりです」

それはもう、愛とは呼ばないのかもしれない。

「あのさあ、秋山、」
「……はい」

再び前に向き直ったナマエに呼ばれ、秋山は恐る恐る返事をした。
呆れられたのか、それとも機嫌を損ねてしまったか。

「君がね、行けって言うから行ったの」
「……はい?」
「そりゃまあ、それなりに楽しかったよ」
「……えっと、」
「でも私は、部屋で秋山とコーヒー飲んでる方が好きだな」
「………ナマエ、さん……?」

真正面を見据えて歩くナマエから、思いがけない言葉が飛び出してくる。

「君といれば楽しいし、息抜きも出来てる。ついでに言うと、一方的に与える愛情なんて要求した覚えはないよ」

夜道に響く微かなヒールの音と、静かなナマエの声。
鼓膜を揺らした言葉に、秋山は息を飲んだ。

「君が聖人君子になりたいって言うなら、別に反対はしないけど。でも、余裕だの自信だのは意識して身につくものじゃなくて、それこそ経験値でしょ」

感情の乗らない声音で、淡々と語られるナマエの持論。
秋山は言葉を挟むことも出来ず、黙って耳を傾けた。

「いつかそういう男になったら、それはそれ。今は別に、わざわざ本心偽って武装しなくてもいいんじゃないの。疲れるでしょ、そういうの」

そこでようやく、フォローされているということに気付く。
ナマエの言葉が正論だと頭では理解出来ているのに、そんな時でも見せ付けられた差に焦燥感が募った。

「私は君が今の君じゃなくなったら、結構寂しい気がするな」
「………え?」

きっとそれも、ナマエには見通されているのだろう。

「そのまんまの君が好きだって話」

何でもないことのように、淡々と、そして当然のように。
ナマエは、秋山の心を掬い上げてくれるのだ。
長所も短所も、一途な愛も醜い悋気も。
詰まらない意地も、下らないプライドも、情けない自己嫌悪も。
何一つ取り零すことなく拾って、全てに向き合ってくれる。
この優しさは、一体どこから来るのだろうか。
ナマエはお人好しとは程遠い性格の持ち主で、誰にでも手を差し伸べるわけではないし無闇矢鱈と情に厚いわけでもない。
そうするとこれは、相手が秋山だからという理由から来るのだろうか。
特別だと自惚れても、良いのだろうか。

「ね、秋山」
「は、い……っ」

あまりの喜悦に、喉が詰まる。
そんな秋山を、ナマエが肩越しに振り返った。

「迎えに来てくれてありがと」

笑った横顔があまりに綺麗で、秋山は言葉を失くす。
足を動かすことさえ忘れて棒立ちになれば、苦笑したナマエに手を引かれた。

「ほら、帰ろ」
「っ、はい……!」

秋山のそれよりも、小さな手。
短く切り揃えられた爪、内側に出来た剣胼胝、少し太くなった関節。
もしかしたら、一般的にはこの手を綺麗とは言わないのかもしれない。
でも秋山にとってそれは、世界で一番愛おしい手だった。
努力し続け、戦い続け、守り続けた証。
この手がいつも道を示し、切り拓き、そして秋山を導いてくれた。
救ってくれた。

「……ナマエさん、」
「ん?」

好きだ、と思った。
この人が、好きで好きで堪らない。
それは決して今だけでなく、いつも感じていることではある。
でもたった今この瞬間、他ごとなど何一つ考えられないほど強烈に、激しい情愛だけが胸裡を占めていた。

「今夜は、一緒にいさせて下さい」

繋いだ手に力を込める。
ん、という短い音が、その応えだった。





未成熟かつ絶対的なそれ
- 掬い取って名付けるならば愛 -






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