思惟を埋め尽くす[6]
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「ああ、やっぱりちょっと混んでるね」
「この時間だと仕方ないですよね」

到着した電車をホームから眺め、ナマエが小さく嘆息した。
慣れと好き嫌いはまた別の話だ。
人混みが好きという人はあまりいないだろう。
特に普通の人よりも格段に周囲を警戒するナマエにとって、満員電車は窮屈というよりも疲弊する状況のはずだった。
鮨詰めとまではいかないが、立っていれば周囲との接触は免れない程度の乗車率。
乗り込むなりさっと周囲を確認し、秋山はドアの脇にナマエを誘導した。

「そこに寄り掛かっていて下さいね」

向かい合う体勢で立ち、ナマエの背後にある壁に手をつく。
背中に掛かる圧力を膂力で押し返し、ナマエが誰とも触れ合わないようスペースを確保した。

「大丈夫ですか?」
「別に平気なのに」

すぐ目の前にあるナマエの顔に苦笑が滲む。
秋山はつい視線を逸らしてしまった。

「いえ……その、……俺が、嫌なだけです」

他の誰かが、貴女に触れるということが。
秋山が飲み込んだ補足を察したのか、ナマエはそれ以上何も言わなかった。
真正面、今にも抱き締めてしまえそうな距離。
ほんの少し顔を寄せるだけで、キスだって出来てしまう。
夜になっても漂う甘い香りと、すぐ傍で感じる息遣いに、秋山は今日何度目かの緊張を覚えた。
脈拍が速くなる。
呼吸が少し浅くなる。
どきどきと暴れる心臓の音がナマエに届いてしまいそうな気がして、電車の騒がしい走行音に感謝した。


椿門で電車を降り、駅前のスーパーでインスタントコーヒーを購入してから帰途につく。
官公庁の並ぶ静閑な夜道にヒールの音が響いて、それが新鮮だった。
右手にナマエから半ば強引に奪った雑貨屋のショップバッグを持ち、左手でナマエの手を握り締める。
思い返せば、今日一日は殆どずっと手を繋いでいた。

「今日はありがとうございました。デート、凄く楽しかったです」

少しくらい意識してくればいいのに、という浅はかな願いを込めて用いた単語だったのに、ナマエは一日中デートらしい雰囲気を作り続けてくれた。
普段とは異なる格好をし、手を繋ぎ、身体を寄せて、行きたい場所に秋山を誘ってくれた。

「……また、誘ってもいいですか?」

きっと、疲れただろう。
らしくないことをしたと、思っているだろう。
だから、毎回ではなくてもいい。
たまに、気が向いた時だけでいい。
またこんな風に、特別な時間を共有させてほしかった。

「今度は服買いに行きたい」
「はい、もちろん付き合いますよ」
「そうじゃなくて。秋山が選んで」
「……俺が、ナマエさんの服を、ですか?」

荷物持ちではなくて、と隣を見れば、ナマエの横顔が緩む。

「秋山が着せたい服、ね」

女の服の好みくらいあるでしょ、と付け足され、秋山の心臓は飛び跳ねた。
それは、あれか。
恋人を自分好みに染めて云々、というやつか。
唇から喘ぐような息が漏れた。

「……俺は、それがナマエさんなら、どんな格好でも好きです、けど、」
「けど?」
「……夏ですし、ミニスカート、とか」
「秋山って脚フェチ?」
「ナマエさんの脚だけですよ?!」
「叫ぶな馬鹿」

呆れたようにナマエが笑う。
すみません、と秋山は顔を背けた。

「まあ何でもいいよ」
「ナマエさんは何でも似合いそうですからね」
「ふりっふりのスカートとかはやめてね」

似合わないわけではないだろう。
だが、確かにイメージとはかけ離れている。

「ナマエさんはないんですか?」
「男の服装の好み?」

これまでにナマエから私服についてのコメントを貰ったことはないが、果たして秋山の普段の格好はナマエにどう思われているのだろうか。

「特にないねえ」
「ですよね」
「まあ、似合ってりゃいいんじゃない、ってくらいかな」

返ってきた答えは予想通りで、秋山は苦笑した。

「ああ、でも。秋山のスーツは見たいかも」
「スーツですか?一着だけ持ってますけど」

成人式の時に買った一揃いが、クローゼットに眠っている。
軍でもセプター4でも着る機会はないので、もう随分と長く袖を通していなかった。

「じゃあ、今度はそれでホテルのフレンチでも」
「分かりました。……なんか、想像すると気恥ずかしいですね」
「ついでにそのまま部屋取ってみる?」
「っ、………はい、」

頬が熱くなる。
誤魔化すように天を仰ぎ、今が夜であることに安堵した。
この仕事をしていては難しいだろうが、いつかそんなデートもしてみたい。
情景を想像し、秋山は口元を緩めた。

そんな会話をしているうちに、屯所が見えてくる。
正門の手前で自然と離れた手に寂しさが募るが、仕方ない。
秋山はナマエに続いて女子寮に入り、合鍵でドアを開けた。
玄関で、脱いだパンプスを仕舞おうと屈みかけたナマエの腰に背後から腕を回す。
そのまま身体を反転させて引き寄せ、ようやく唇に噛み付くようなキスを落とした。
やっとだ。やっと触れることが出来る。
秋山は形振り構わず夢中になった。
手順を踏む余裕などなく、すぐさま舌で歯列を割る。
ナマエを壁に押し付け、水音を立てて咥内を弄った。

「……ん……っ、……出来れば、シャワー浴びたいんだけど?」

長い口付けを解いてその顔を見つめれば、ナマエが苦笑する。
秋山は、滲んだルージュを指先で拭った。

「すみません、限界です。今日、凄く楽しくて幸せでしたけど、本当はコンビニの前で見た時からずっと、部屋に連れ帰って滅茶苦茶にしたかったんです」

壁とナマエの身体との間に手を差し込み、腰の辺りを撫でる。

「その格好のまま、抱かれて下さい。お願いします」

ナマエの手を掬い上げ、頭を垂れてその掌に口付けた。
秋山の懇願に、頭上から小さな笑声が零される。

「ここじゃやだよ、氷杜」

顔を上げれば、赤い舌先で煽情的に唇を舐めるナマエがいた。
ベッドまで待てなくなるから、そういう煽り方をしないでほしい。
秋山は、薄く開いた唇にもう一度噛み付き、ワンピースの裾に手を伸ばした。






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