思惟を埋め尽くす[5]
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雑貨屋でクッションを購入し、ついでに買うつもりのない食器や文房具のコーナーを冷やかしてから店を出ると、すっかり日が暮れていた。
どこかで夕食を、という流れになり、再びナマエの案内で歩き出す。
向かったのは、下神町駅の反対側にある隠れ家のようなレストランだった。
路地裏のその店は、指摘されなければ気付かず通り過ぎてしまいそうなほどに主張がなく、看板すら出ていない。
木製のドアに掛けられたOPENというサインプレートだけが、辛うじてそこが客にサービスを提供する店であることを示していた。
店内は暖色の照明が優しい北欧風で、異国情緒溢れる調度品がバランスよく配われている。
他に客はおらず、店員の女性がまるで家族を迎え入れるような雰囲気で席に案内してくれた。
ナマエの口振りから、初めて訪れたわけではないことを察する。

「こんな店、よくご存知ですね」

ゆったりとしたソファチェアに腰を下ろして、秋山は素直に感心した。
向かいに座ったナマエが、小さく笑う。
その笑みの理由は、促されて開いたメニューを見た途端に把握することが出来た。
聞いたこともないような料理が並んでいるのかと思えば、そんなことはない。
ここはどうやら、平たく言えば洋風の創作料理レストランということになるのだろう。
シーザーサラダ、グリーンカレー、チキンのトマト煮込みなど、日本人にも馴染みのある料理ばかりだ。
そんな中、メイン料理となるピザやパスタの一覧以上に項目が多いのは、オムライスのメニューだった。
ぱっと見ただけでも十種類以上ある。
思わず視線を上げれば、ナマエが親に悪戯が見つかった子どものような顔をしていて、秋山は思わず噴き出した。

「ふっ、……あ、ははっ、ははははっ」
「………秋山ぁ、」

不服げな口調にナマエが拗ねているのだと分かり、余計に面白くなる。
しばらく、笑い声が大きくならないよう堪えながらも声帯を揺らしていると、やがてナマエが諦めたように苦笑した。

「……そんな笑い方、するんだ」

どこか穏やかな口調で零され、秋山はようやく落ち着いた笑いの残滓を滲ませながら首を傾げる。

「秋山も、そんな風に思いっきり笑ったりするんだなあって」

ナマエの所感に、秋山は納得した。
こんなに笑ったのは、いつ以来のことだろうか。
自分でも思い出せなかった。
普段、笑わないわけではない。
仕事中はともかく、プライベートになれば笑うこともある。
だがそれは小さく喉を鳴らしたり、苦笑したり、微笑んだり、少し噴き出したり。
そんな、言ってしまえば控えめな笑い方だ。
たとえば道明寺や日高のように爆笑するなんてことはまずなかった。
必死で声を抑えなければならないほど笑ったのは、何年、という単位で久しぶりな気がした。

「一緒にいてさ、君はそれでいいって言うだろうけど、でも気が休まらないんじゃないかと思ってた」
「……ナマエさんと、ですよね?」
「君は気を遣いすぎるし、何かとネガティブだし。私といるのって、大変だろうなって」
「そんなことは、」

秋山は慌てて首を振る。
ナマエが微かに笑った。
その仕草で、ナマエの言いたいことは分かってしまった。
秋山にとって、たとえばナマエと弁財を比較した時、共にいて何の遠慮もしないのはどちらかと問われれば、答えは後者だ。
弁財と一緒にいる時、秋山は何の気兼ねも緊張もなく、当然恐怖することもなく、全く自分を取り繕わずに好き勝手な言動を取れる。
その気安さをナマエに対しても感じることは、確かに出来なかった。

「だからどうって話じゃないよ。ただ、色々押し込めてたら疲れるんじゃないか、とは思ってたから。そんな風に笑えるなら、よかったって」

そう言って、ナマエが水の入ったグラスに手を伸ばす。
秋山はテーブルの上で咄嗟にその手を掴んだ。

「……秋山?」

冷えた手の甲を、ぎゅっと握り締める。
秋山の手で包み込んでしまえる、華奢な手だった。

「……確かに、全く何の遠慮もしていないとは、言えません。嫌われたらどうしようとか、傷付けたくないとか、そういうことを考えると臆病にはなります」

微かに驚いた様子ながらも、ナマエは真っ直ぐに秋山を見つめている。
こういう時、視線を逸らさずにいてくれるナマエの真摯さが好きだと思った。

「でも俺は、貴女といる時間が一番幸せで、大切です。何があっても、貴女を抱き締めたら全てが幸福になる。だから、疲れるなんて、あり得ないんです」

緊張することも、恐怖することも、情けない話だが号泣することもある。
だがそれ以上に幸せで、恋しくて、愛おしい。
こんな風に笑えるのも、ナマエがいるからだった。

「……俺だけ、ですかね?」

秋山も、ナマエが思い切り笑ったところなど目にしたことがない。
ナマエは、秋山といて楽しいだろうか。
無理をしていないだろうか。

「……多分、君といない方が今まで通りで楽だったんだろうなあ、とは思う」

静かな声に、手を握る力が強くなる。
いつもこうだな、と思った。
縋ってしまうことは、ナマエの負担になっているのだろうか。

「スカート珍しいって話になった時さ、普段はあんま着ないからって言ったじゃん」
「……え、あ……昼間の話ですか?」

不意に話題が飛び、予想していなかった単語に戸惑った。
そんな秋山を置き去りに、ナマエが淡々と言葉を続ける。

「実はスカートってドレス以外一着も持ってなかったんだよね」
「え……?でも、じゃあ今着てるのは、」
「こないだ非番の日に買った」

目を瞬かせた秋山の前で、ナマエが苦笑した。

「……男のために服を買ったのは初めてだったな」

思考に空白が生まれる。
時間をかけて意味を咀嚼し、やがて弾き出されたのはあまりにも都合の良い解釈で、秋山は焦った。

「まあ、そういうことするのも悪くないって思う程度には、私も楽しんでるよ」

追い討ちをかけられ、秋山はいよいよ一つの答えに固執してしまう。
他の選択肢を探せなくなる。

「………俺のために、それ、買ってくれたんですか……?」

違ったら、思い上がるなと笑い飛ばしてくれればいいと思った。
それなのに、ナマエはあっさりと秋山の問いを肯定する。

「君のためにっていうか、君が驚くのを見たい自分のためにっていうか。まあ何にせよ、わりと絆されてるよねえ」

くすり、とナマエが喉を鳴らした。
きっと、ナマエの日常を崩したのは秋山なのだろう。
他人との間にある一定の距離感、負の感情を認識しない予防線、張り巡らされた警戒心。
ナマエに特別はなく、感情の起伏も変化もなかった。
それが当たり前で、それが楽だったのだろう。
それを、秋山が強引に壊して内側に入り込んでしまった。
面倒なことも、戸惑うことも、煩わしいことも増えただろう。
だがナマエは、そこまで含めて良しとしてくれているのだ。

「……私、ビーフシチューオムライス。秋山は?」
「えっ、あ、……えっと、」

話は終わりとばかりに注文を決められ、秋山は慌ててメニューに視線を落とした。

「俺もオムライスにします。ナマエさん、他に何か気になっているものってありますか?」
「んーー、トマトクリームかデミグラス」
「じゃあ、トマトクリームにしますね」

店員を呼び、オムライスを二つとシーザーサラダを注文する。
早々に出てきたサラダを突きながら待っていると、十五分後、真っ白なプレートに乗ったオムライスが運ばれてきた。

「……あ、美味しいですね」

ナマエが贔屓にしている店とあって、味に間違いはない。
バターライスと、とろとろの半熟卵。
トマトクリームソースは濃厚でありつつも、決してしつこくない絶妙な塩梅だった。

「こっちも食べますか?」

何口か食べたところで皿を持ち上げようとすれば、ナマエがナチュラルに口を開ける。
食べさせろ、ということだろう。
秋山は慌ててオムライスを掬った。
バターライスと卵、ソースのバランスを整え、どぎまぎしながらナマエの口元にスプーンを運ぶ。
他に客がいないからこその行動なのだろうが、こんなことは部屋の中にいてもしたことがなかった。

「ん、美味しい」

口の中のものを嚥下したナマエが、満足げに笑う。
秋山も食べる、と今度はナマエがビーフシチューオムライスを掬ったスプーンを差し出してきた。
盛大な照れ臭さに叫び出しそうになりながら、秋山は慎重に口を開ける。

「ど?美味しくない?」

正直、味を感じるどころではなかった。
もごもごと口を動かしながら、秋山はとりあえず首を縦に振る。
そんな秋山の心境を見透かしているのか、ナマエは楽しげに唇を緩めた。





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