思惟を埋め尽くす[4]
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ナマエが最初に向かったのは、清宿デパートの六階と七階、ツーフロアに渡って展開している書店だった。
蔵書数が多く、児童書から専門書まで幅広く取り揃えている。
平日の昼間とあって、客足は疎らだった。

「今時ネットでも買えるし、電子書籍が主流だけどさ。本屋、好きなんだ」

ナマエの言いたいことは、秋山にも理解出来た。
秋山も、たとえば時事雑誌のトピックや料理のレシピ等は電子書籍で済ませてしまうが、小説は紙媒体で読みたいと思う。
部屋に置き場所がないためここ数年は購入していないが、本を読むことは好きだった。
読書が趣味の弁財も、電子書籍では味がないといってよく図書館から本を借りて来る。

「どういうジャンルが好きなんですか?」

ナマエは本屋と読書が好きだということを、秋山は今初めて知った。
また、知らなかった一面を見つけることが出来た。

「わりと何でも読む。小説なら、ミステリーでもSFでも歴史でもいいし、恋愛小説とかもたまに。純文学も好きだし、面白そうだったら専門書も読む。多読家っていうか、乱読家?」

なるほど、と秋山は納得した。
ナマエの博識は読書量に起因するのかもしれない。

「ああ、これ。弁財がこの間読んでました」
「へえ。感想聞いた?」

平積みされた本の中から一冊を取り上げてパラパラと捲れば、隣からナマエが秋山の手元を覗き込んできた。
その近さと、鼻腔を擽る甘い香りに鼓動が速まる。

「……秋山?」
「え、あ……、聞いて、ないです」

無防備に見上げてくる視線に、息が詰まりそうだった。
ふうん、と呟いたナマエが視線を戻す。

「今度、聞いておきますね」
「ん」

どうやらスパイスリラーらしい、ということまで確認したところで本を閉じた。

「秋山は?どういうの読むの?」
「そう、ですね……」

何気なく問われ、秋山は頬を緩ませる。
ナマエのことを一つずつ知っていく過程も嬉しいが、こうしてナマエに自分のことを問われる瞬間もまた嬉しかった。
秋山はあまり自分自身のことを語るタイプではないが、ここで重要なのはナマエが興味を持ってくれているということだ。

「俺もあまり、ジャンルは拘らないかもしれません。ここ数年は弁財に勧められるものばかり読んでいますね。学生時代は、亡くなった祖父の影響で歴史小説が好きでした」
「お祖父さん?」
「はい。俺は子どもの頃、両親と母方の祖父母と一緒に暮らしていて。剣道を始めたのも祖父の影響なんです」
「へえ、そうなんだ」

ずらりと並ぶ書籍を眺めながら、少し潜めた声で言葉を交わす。
時折目に留まったものを引っ張り出してはページを捲ったり、そこから派生する会話を小声で楽しんでいる間に、時間は一瞬で過ぎ去って行った。


「お茶しよっか」

今日はどうやら、本当にナマエがデートコースを決めてくれるらしい。
ナマエの提案に頷き、秋山はエスカレーターを目指した。

デパート内にあるカフェで、それぞれコーヒーを注文する。
店が丁度建物の角に位置しているため、窓から外の景色が見えた。
秋山の向かいに腰掛けたナマエが、ぼんやりと窓の外を眺めている。
視線が向けられていないことをこれ幸いと、秋山はナマエの横顔をまじまじと見つめた。
白皙の頬、瞬く長い睫毛、艶やかな唇。
肩から滑り落ちた髪のカールが新鮮だった。
見慣れたストレートヘアも好きだが、初めて見た今日のふんわりとした雰囲気も愛らしい。
柔らかく波打つ毛先に指を絡めてみたいと思った。
そして出来れば、そのまま頭を引き寄せてキスをしたい。
そんなことを考えていると、不意にテーブルの下で足を踏まれた。

「見過ぎ、穴開く」
「ははっ、すみません」

テーブルに片肘をついたナマエが、横目で秋山を睨む。
尖った唇に、きゅん、と胸が締め付けられた。

やがて店員によって運ばれてきたコーヒーに、ナマエは白磁のミルクピッチャーを傾ける。
流れるような手つきに、また視線を奪われた。
ナマエは、指先の所作がどこか優美なのだ。
勿体ぶった上品さではない。
魅せるための作り物でもない。
竹刀やらサーベルやらを振り回す、とても淑やかとは言えない人なのに、華奢な指が生み出す流れはいつも秋山を惹きつけた。
その指に触れられる瞬間が、秋山はとても好きだった。
クリーム色になった液面に満足したらしいナマエが、カップを口元に運ぶ。
秋山も、それに倣ってカップを持ち上げた。

「……ああ、変な感じ」
「何がですか?」
「インスタントに慣れすぎるとさ、美味しいコーヒーが分からなくなるよね」
「ああ、確かに」

秋山は苦笑する。
恐らく普段よりも美味しいコーヒーを飲んでいるはずなのだが、正直違和感しかなかった。

「秋山が淹れてくれるやつの方がいいな」

何でもないことのように呟かれ、僅かに瞠目する。
そうやって稀に投げられる爆弾に、秋山はその都度振り回されている気がした。

「……インスタント、ですけどね」
「愛情でカバー、みたいな?」
「っ、……だったら、俺のコーヒーが一番美味しいですよ」
「うん。知ってる」

ナマエの冗談に本気で返せば、それを上回る威力で打ち返される。
敵わない、と秋山は眦を下げた。
もちろん、勝てたことなど一度もない。
恐らくこの先も、秋山の勝率はゼロパーセントのまま変わらないのだろう。
それが嫌ではないのだから、自分も大概である。

「そういえば、残り少なかったよね」
「そうでしたね。帰りに買いましょうか」

同じインスタントコーヒーの残量を把握しているということが、そんな些細なことが擽ったいほどに嬉しかった。
まるで、同じ家に住んでいるようで。
同棲、なんて甘酸っぱい単語が脳裏を過ぎり、秋山は緩んだ口元を誤魔化すためにカップを押し当てた。


その後、電車で下神町に移動した。
お気に入りの雑貨屋があり、そこでシートクッションを買いたいのだと言う。
目的地に向かう途中、道沿いのゲームセンターに視線を止めたナマエが「あれ秋山に似てる」とクレーンゲームの筐体を指差した。
近寄ってガラス越しに見下ろすと、可愛いのか否か判定に窮する、犬を模したキャラクターのぬいぐるみだった。
全力で否定した。
楽しげに喉を鳴らすナマエは恐らく、半ば冗談のつもりだったのだろう。
結局、秋山も一緒になってくすくすと笑っていた。
二人でいれば、何でもない移動時間さえ特別だった。





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