視線一つが強さに変わる[2]
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見られている、ということを、秋山は全身で感じ取っていた。

土曜日の午後、合同稽古。
突如現れたナマエの姿に、道場は騒ついた。
今日はナマエが稽古に参加する日ではないし、見たところ火急の用件という様子もない。
もちろん、基本的にナマエが稽古を免除されているのは情報班として取り扱う仕事量が他の隊員に比べて多いからであり、時間が空けば稽古に参加しても何ら問題はないのだが、ナマエがこうして自主的に顔を出すことは珍しかった。
制服姿であることから推測するに、淡島に用事があったのか、それとも単なる見学なのか。
秋山は相手をしていた隊員たちを手で制し、竹刀を左手に持ち替えてからナマエに一礼した。
百名を超える隊員たちで埋め尽くされた空間でも、ナマエがきちんと秋山に気付いて頷きかけてくれることが嬉しい。
秋山は思わず頬を緩めた。

どうやらナマエの目的は本当にただの見学だったようで、乱闘が再開された道場の端を、まるで散歩をするように飄然と歩き出す。
少しずつ距離が縮まっていくことに些か緊張していると、ナマエが秋山の数メートル先で足を止めた。
そのまま壁に凭れ掛かり、真っ直ぐに秋山を見つめてくる。
目線の先を誤魔化そうともしない明確な観察に、秋山は驚いた。
日頃、職務中にここまであからさまな視線を向けられることはまずない。
横から与えられる視線に、秋山は困惑と緊張、そして同時に喜悦を覚えて口元を引き締めた。

向かってくる元部下たちを相手に、竹刀を振り抜く。
もちろん全力は出さないし、その必要もないが、いつもの三割増しで気合いが入ってしまったことは仕方なかったと思いたい。
敬愛する人に、そして恋人に、戦う姿を見られているのだ。
もちろん普段から稽古は真剣に取り組んでいるが、より一層本気になってしまう。
身も蓋もない言い方をすれば、格好付けたいのだ。
好きな人の前で、無様な姿など見せるわけにはいかない。
褒められることはなくとも、せめて「なかなか悪くない」程度には認められたい。
竹刀を振りかざす隊員の腹部を蹴り飛ばし、その身体を壁に叩き付けた。

「秋山さん、今日容赦ねえ……」

周囲を取り囲む隊員たちの一人が、独り言のように呻く。
秋山は思わず苦笑しかけ、それを隠すように竹刀を構え直した。
もちろん、この稽古で元隊長格に求められるのは腕っ節の強さだけでなく、隊員たちを良く観察し指導することでもある。

「佐伯、左ががら空きだ」
「根本、もう少し脇を締めろ」

秋山はぶれることなく向けられる視線を意識しながらも、隊員たちに指摘を飛ばした。
この人に、認められたいのだ。
秋山がナマエに対して抱く承認欲求は、底をつくことがなかった。

「秋山さん!俺もいいっすか!」

不意に、周囲の熱量よりもさらに圧倒的な存在感を放つ声に呼ばれ、秋山は振り向く。
好戦的な目をした日高が、床に倒れ伏す隊員たちの間を縫って近付いて来た。
感じるプレッシャーはなかなかのもので、秋山は目を眇める。

「来い、日高」

挑戦を受けて立てば、日高がにっと笑った。
小隊の隊員たちを相手に、秋山が一本を取られることはまずあり得ない。
しかし特務隊の同僚、特に同じ元隊長格や膂力の強い日高が相手の場合、そう易々と勝てるわけではなかった。

「お願いします!」

礼儀正しく一礼してから、真っ直ぐに向かってくる太刀筋に迷いはない。
長身から繰り出される渾身の初撃を頭上に構えた竹刀で受け止め、秋山は歯を食い縛った。
高い身長、それに見合うリーチの長さ、そして膂力は日高の武器だ。
単純な腕力勝負をすれば、秋山は日高に敵わないだろう。
だが、この稽古で負けるわけにはいかなかった。
特に今日、ナマエの見ている前では。

竹刀がぶつかり合う。
先程までとは桁外れに素早く力強い攻撃を仕掛けられ、秋山の額に汗が滲んだ。
竹刀を持つ手が衝撃に痺れる。
馬鹿力め、と秋山は内心で呻いた。

「へへっ、やっぱ秋山さん強いっすね!」
「無駄口を叩いている余裕があるのか?」

楽しそうに勝負を挑んでくる日高は、まるで本能に忠実な獣のようだ。
秋山はすっと腰を落とし、意識を集中させた。
振り下ろされる竹刀を躱し、懐に入り込んで足を引っ掛ける。
バランスを崩した日高に一撃を見舞おうと竹刀を突き出しかけたところで、秋山は視界の端に捉えたものに意識を吸い寄せられた。
まずい、と身体が勝手に反応する。
日高に向けるはずだった竹刀を左手に持ち替えて腕を目一杯に伸ばし、秋山はどこからともなく飛んできた竹刀を叩き落とした。
恐らくは、隊員たちの誰かの手からすっぽ抜けたのだろう。
秋山は、咄嗟に阻止しなければ竹刀が直撃したであろう背後を振り返った。
そこには、腕を組んで苦笑いを浮かべたナマエがいる。
秋山が防ぐことを知っていたのか、動こうとする気配はなかった。
その信頼に、秋山は思わず笑みを零す。

「ナイトみたいっすね、秋山さん」

体勢を立て直した日高が、竹刀を下ろして無邪気に笑った。
余計なことは言わなくていい、とその脇腹を竹刀で小突く。
それと同時に、淡島の乱闘稽古終了を告げる声が響き渡った。


稽古の最後は、開始時と同様に全員で正座をし、淡島の訓辞に耳を傾ける。
列を成して隊員たちが座した頃にはもう、ナマエの姿は道場からいなくなっていた。
秋山は特務隊の列の先頭で正座をしながら、真っ直ぐに向けられていたナマエの視線を思い返す。
みっともない姿は晒さなかったと自負しているが、果たしてナマエの目にはどう映っただろうか。
合格ラインに到達していただろうか。
ナマエにとっては単なる休憩の暇潰しだったかもしれないが、秋山にとっては勤務査定に等しかった。

「ありがとうございましたっ!」

稽古終了の合図に、全員の声が揃う。
野太い声が道場全体を揺らし、やがて隊員たちは立ち上がるとロッカールームに向けて歩き出した。
秋山も同様に腰を上げる。

「秋山、」

少し汗もかいたしシャワーを浴びてから情報室に戻ろうかと思案したところで名を呼ばれ、秋山は振り返った。
淡島が、凛とした表情を浮かべている。

「はい」

何かあっただろうかとすぐさま近付けば、淡島がさっと周囲に視線を走らせた。
皆、真っ直ぐに戸口へと向かっており、淡島と秋山を気にする者はいない。
内密なことかと少し身構えた秋山の側で、淡島が声を潜めた。

「ミョウジから、貴方についての評価を預かってるわ」

不意を突かれ、秋山は言葉に詰まる。
確かに自分にとっては査定みたいなものだ、と評したが、まさかナマエがそのつもりだったとは思わなかった。

「……ミョウジさんは、何と?」

聞くのが怖い。
だが、耳を塞ぐわけにもいくまい。
恐る恐る問うた秋山の側で、淡島が珍しくも少し柔らかな笑みを浮かべた。
鉄仮面の外れた表情に、秋山は視線を奪われる。

「惚れ直したそうよ」
「……、ーーーっ、えっ?!」

言葉の意味を理解するのに二秒、それを嚥下するのにさらに三秒。
ようやく唇から漏れたのは、喫驚を表す単音だけだった。
呆気に取られた秋山を置き去りに、淡島はクスリと笑うと出口に向かって歩き出す。

惚れ直したそうよ。

淡島の口から伝えられた、ナマエの言葉が脳内を駆け巡った。
惚れ直した。惚れ、直した。惚れ直した?!
秋山の戦う姿を見て、ナマエがそう言ったというのか。

「もう……、どうしてくれるんですか……っ!」

じわりと胸懐から欣悦が込み上げる。
誰よりも認めて欲しい人に認められたという、幸福感と満足感。
ここにはいない人を甘く詰りながら、秋山は道場の床にしゃがみ込んだ。






視線一つが強さに変わる
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