君がくれる愛情[1]
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「……は?秋山が隊員に怪我を負わせた?」

ちょっといいかしら、と淡島に呼び出された休憩室。
自販機で購入した缶コーヒーのプルタブを開けたところで、ナマエは思わず指の動きを止めた。

「ええ、そうなのよ」

レモンティーの缶を握り締めたまま、淡島が苦い表情を作る。
淡島がこの手の冗談を言う人ではないことを知っているナマエは、それを事実として受け止めた。

「そりゃまた何とも。随分気合いの入った稽古ですねえ」

確かに、隊員同士の剣術稽古で怪我人が出る場合はある。
しかし秋山を含む元隊長格が止めどころを見誤るのは極めて珍しいことだった。
その上、副長である淡島がわざわざ首を突っ込むほどの怪我を負わせたとなると、もしかしたら初めてのことかもしれない。
集中力を切らしていたのならば問題だな、とナマエが眉を顰めたところで、淡島が言いづらそうに補足した。

「……それが、稽古じゃなくて私闘なの」

さらに大問題である。
流石のナマエも頭を抱えたくなった。

「詳しく説明してもらえます?」

ええ、と淡島が重々しく頷く。
説明は以下の通りだった。

一時間程前、淡島が昼食を終えて本棟に戻ると、廊下の向こうから何かが壁にぶつかったような重い音が聞こえた。
それと重なるように男の呻き声がしたので、淡島は急いで現場と思しき方へ駆け付けた。
廊下の角を曲がった先に、男が三人。
二人は壁に背を預ける形で座り込んでおり、一人はその前に立っていた。
崩れ落ちるように脱力して呻く男二人は、淡島も良く知る撃剣機動課第四小隊の隊員。
そして、恐ろしいほどに冷然とした視線で二人を見下ろしていたのが、秋山だった。
淡島は即座に間に割って入り秋山を問い質したが、秋山は黙したまま何も語らず。
淡島は一先ず秋山を別室に待機させ、隊員二人を医務室まで運んだ。


「幸い、怪我の程度は大したことないわ。骨も折れていないし、明日にでも復帰出来るのだけど……」

しかし、そういう問題ではない。
淡島の言いたいことを正しく理解し、ナマエは溜息を吐いた。

「特務が一般の平隊員を廊下で暴行、ですか。大スキャンダルですねえ」
「ミョウジ、真面目に話してるのよ」
「私も大真面目ですよ、淡島副長」

缶を傾け、カフェオレを口に含む。
砂糖入りにすれば良かった、と数分前の選択を後悔した。

「隊員二名の事情聴取は、元隊長の道明寺に任せているわ。念の為、弁財にも同席させている。多分、……そろそろ始めているはずよ」

淡島が、ちらりと腕時計に視線を落とす。

「それで、秋山の方なんだけど……」
「査問にかけるつもりですか?」

言葉を濁した淡島に、ナマエは真っ直ぐ問い掛けた。

「……いいえ。正式な場を設けるつもりはないわ、今のところ」
「今のところ、ね」
「この件は、まだ室長には報告していない。知っているのは貴女と弁財と道明寺、あとは秋山の監視をしている加茂だけよ」

なるほど、とナマエは頷く。

「それで、貴女が秋山から話を聞いてもらえないかしら」
「……私に任せるつもりですか?」

意外な指示に、ナマエは微かに目を細めた。
いくら公私混同をしないと言っても、ナマエと秋山の関係は宗像と淡島を含むセプター4の幹部クラスが全員知っている。
ナマエが秋山から証言を取っても、その信憑性は限りなく低いと判断されるはずだった。

「正直、大事にはしたくないわ。貴女だって、秋山が何の理由もなくそんなことをするとは思っていないでしょう?」
「副長。それは私情ですよ」

ナマエの切り返しに、淡島が息を呑んだ。

「日頃の勤務態度だとか素行だとか、そんなものを考慮する必要はないはずです。副長が、状況証拠から秋山が隊員二名に暴行を加えたと考えておられるなら、そこに如何なる理由があれ問答無用で処分を検討するべきかと」

言葉を失くした淡島が、呆然とナマエを見つめる。
ナマエはその視線を受け、まだ若いな、と胸の内で苦笑を零した。

「っていうのがまあ、組織の人間としての意見ですが。私個人としては、秋山がそんな馬鹿をやらかすとも考えにくいので。とりあえず、話聞いてきますよ」

へらりと笑って見せれば、淡島がようやく安堵したように表情を崩す。
それを確かめてから、ナマエは休憩室を後にした。


淡島が指定した第三会議室まで、歩いて二分。
ナマエは思考の圧力を上げ、様々な可能性を検討した。
だが、そもそも、秋山が隊員に暴力を振るった理由が全く思い当たらない。
秋山は決して喧嘩早い性格ではないし、暴力を振りかざすことも好まない。
武術を嗜む人間らしく、他者より強い力の使い方をよく心得ていた。
その秋山が、仲間の、しかも部下に当たる隊員に手を上げるだろうか。
自分よりも立場の弱い人間に、暴行を加えるだろうか。
もしそれが事実だとしたならば、どのような理由で。
あの理性的な男を、何が突き動かしたというのか。

本人に聞く前にある程度の仮説を立てておきたかったのだが、生憎思考は纏まらないまま、ナマエは第三会議室のドアを押し開けた。

ドアのすぐ脇、壁に凭れて腕組みをしていた加茂が姿勢を正す。
秋山は、乱雑に置かれた椅子の一つに腰掛けていた。
緩慢に顔を上げた秋山が、ナマエの姿を認めて僅かに眉を下げる。
しかし何を言うこともなく、再び俯いた。
ナマエは加茂に視線を向ける。
何か聞けたか、と無言で問えば、同じく黙したまま首を横に振られた。

「……外してもらえる?」
「ああ」

小さく顎を引いた加茂が、部屋を出て行く。
ナマエは扉が閉まる音を聞き届けてから、秋山に近付いた。
テーブルを挟んで秋山の向かいに腰を下ろし、手に持っていた飲みかけの缶コーヒーを秋山の前に置く。

「秋山」

静かに呼び掛けると、秋山が再び顔を持ち上げた。
無表情の中に、微かな憔悴が滲み出ている。
淡島の状況判断は適切だったのだろう、と悟った。

「これは公式の査問じゃない。記録はされないし、報告は私の一存で行う。答えられる範囲で答えてくれればそれでいい。何か質問は?」

秋山が静かに首を振る。

「約一時間前、淡島副長が君と剣四の池田、芹沢が一緒にいるところを見た。状況から、君が池田芹沢両名に暴行を加えた、と判断された。これは事実?」
「はい」

秋山がこの場で初めて発した声は、凡そいつもと変わらなかった。

「それは、上官としての制裁?君からの一方的な暴力?それとも、正当防衛?」
「自分の一方的な暴力です」

恐らく秋山は処分を覚悟しているのだろう。
返答に迷いはなく、誤魔化そうという意思も見受けられなかった。

「理由は?」

しかしそこで、二つの問いに即答した秋山が口を噤む。
しっかりと黙秘権を行使され、ナマエはどうしたものかと溜息を吐いた。
だがこれで、秋山が全面的に悪いわけではないことが分かった。
もしも完全に非があれば、秋山は正直に認めて理由まで白状しただろう。
そうしないということは、何らかの事情があるのだ。

「……分かった。後でもっかい来る」

本人にも頭の整理をさせる時間が必要だと判断し、ナマエは部屋を後にした。





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