同じ時を歩んで行こう[4]
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職業柄、死という単語を軽々しく使いたくはない。
だが恐らく、死にたくなるほどの後悔とは、こういうことを言うのだろう。
秋山は、覚束ない足取りでナマエの部屋を訪ね、ドアの前で廊下にしゃがみ込んだ。

酔いなど、屯所までの十五分で残滓もなく消え失せていた。

酩酊感とアルコールのせいで迫り上がった瞋恚が吹き飛べば、秋山の中に残るのは後悔だけだ。
何てことをしたのだろう。
何てことを言ってしまったのだろう。
嫉妬に駆られ、自制心を失い、事情も聞かずに責めて八つ当たりをしたのは、これで二度目だ。
あの時、もう二度とこんなことはしないと固く誓ったはずなのに、またナマエを傷付けてしまった。
怒らせてしまった。
酒に酔っていたから、など何の言い訳にもなりはしない。
秋山は膝頭に顔を埋めて頭を抱えた。

本当に疑っていたわけではない。
でも、黙って他の男に会われたことがショックだった。
何の抵抗もなく触れさせることが、それを許されているのが秋山だけではないという事実が、耐えられなかった。
だがそれは秋山の事情であり、ナマエには関係がなかったのに。
また、傷付けてしまった。

どうしてこうなってしまうのか、秋山自身にも分からなかった。
愛しているのに、大切にしたいのに、何からも傷付かぬよう守りたいのに。
傷付けてしまうのは、いつも秋山だ。
そうしたいわけじゃない。
怒らせたいわけでも、悲しませたいわけでもないのに、自制出来ず口が勝手にナマエを傷付ける言葉を吐き出してしまう。
優しく、一つの痛みも与えぬよう、抱き締めていたいのに。

自己嫌悪と後悔に苛まれて項垂れる秋山の鼓膜がブーツの音を拾ったのは、ナマエの部屋の前に辿り着いてから三十分後のことだった。


「………ナマエ、さん………」

廊下の角を曲がって現れた姿に、秋山はゆっくりと立ち上がる。
先程駅前で別れた時の姿のまま、ナマエはコートの裾を翻して近付いて来た。
秋山は、太腿の横でぎゅっと拳を握り締める。

「……ナマエさん、あの、……さっきは、」
「邪魔、退いて」

すみませんでした、と続くはずだった秋山の台詞は、ナマエが発した短い言葉に遮られた。
息を呑む。
硬直した秋山に視線を合わせることなく、ナマエは手振りだけで秋山に退くよう促した。
呆然としたまま秋山が脇に身体をずらすと、ナマエが取り出した鍵を鍵穴に差し込んで回す。

「……ナマエさ……っ」

ドアを開けたナマエに追い縋って声を掛けたが、ナマエは秋山の声など聞こえなかったかのように無視してそのまま部屋の中に消えた。
視線が合うことは、一度もなかった。

がちゃん、と閉められたドア。
次いで、中から鍵を掛ける音。

確かに秋山は、この部屋の合鍵を持っている。
許可を得ることなく開けることも出来る。
だが、敢えて秋山の目の前で鍵を掛けるということは、拒絶の証に他ならなかった。

「ナマエ、さん……」

君の顔、しばらく見たくないな。

駅前でナマエに突き付けられた台詞を思い出す。
あれは、本気だったのだ。
いつも秋山の失態を笑って許してくれたナマエがいま、本当に秋山の顔さえ見たくないと思うほど怒っているのだ。
秋山は膝から力が抜けていくのを感じ、目の前のドアに凭れ掛かった。
冷たい金属に額を押し当てる。

「ナマエさん……っ」

喉の奥から絞り出した声が震えているのは、寒さのせいではなかった。
力なく握り締めた両手の掌外沿をドアに押し付け、秋山は項垂れる。

「……ごめ、なさい……、すみません……、ナマエさん、すみません……」

扉一枚に阻まれたこの距離で、きっと秋山の言葉は届いていないのだろう。
それでも唇から懺悔が溢れていく。

「疑ってなんてないんです……信じてないわけじゃないんです……ごめんなさい……」

投げ捨ててしまったプレゼントを思い出した。
何日も前からネットで調べ、喜んでもらえる物は何か必死で考えた。
アクセサリー、洋服、鞄、口紅などの化粧品、それともインテリア、食器、花束。
誕生日に引き続き、やはり何がいいのか全く分からなかった。
結局、腕時計にしたのはそれならば仕事中でも身につけておいてくれるのではないかと期待したからだ。
シンプルで機能的な物を選べば、いつでも手首に嵌めておいてくれるのではないか。
秋山が贈った物を、いつも側に置いておいてくれるのではないか。
そんな下心で、プレゼントを決めた。
でも、実際に贈るたった一つの腕時計は、店を何軒も回ってナマエに似合いそうなものを選んだ。
ナマエが好きな黒をベースに、シンプルだが決して貧相ではない、スタイリッシュなのにどこか女性らしい、そういうものにした。
弁財が指定した予算を大幅に上回ったが、そんなことは気にならなかった。
喜んでほしかった。
いつもその手首に巻いて、時間を確認する度に自分を思い出してほしかった。
そのプレゼントはもう、川の底だ。
衝動的に投げ捨ててしまった腕時計がナマエの手元に届く日は来ない。

「……すみません、ナマエさん……。傷付けて、すみません……」

この声と同様に、ナマエには届かないのだ。




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