同じ時を歩んで行こう[1]弁財が自室のドアを開けると、予想に反して、先に退勤したはずの秋山がいなかった。
玄関にサンダルがないということは、トイレにでも行っているのだろう。
ついでにコーヒーか何か淹れて来てくれないだろうか、などと都合の良いことを考えながら、弁財はブーツを脱いだ。
「……仕事か?」
炬燵の天板に、ノートパソコンが開かれた状態で無造作に置かれている。
わざわざ見るつもりはなかったが、モニターがドア側に向けられているので、弁財は無意識のうちに表示された画面を見遣ってしまった。
そこに仕事関連のテキストはなく、代わりに一目で女性物だと分かるアクセサリーの画像が並んでいる。
その瞬間、弁財は思わず苦笑した。
秋山が何を思ってアクセサリーについて調べているのかなど、考えるまでもない。
今は二月末、ということはつまり、これはホワイトデーのプレゼント用だろう。
秋山がナマエへのプレゼントをネット通販で用意するとは思えないので、買いに行く前に下調べをしておこう、という心算だろうか。
相変わらずだ、と弁財は心の中で相棒を揶揄いながら制服を脱いだ。
「あ、弁財お疲れ」
数分後、秋山が部屋に戻って来た。
その手には、弁財が勝手に期待した通りマグカップが二つ握られている。
「そろそろかと思って」
そう言って差し出されたコーヒーに気を良くした弁財は、話くらい聞いてやろうかとパソコンを指差した。
「ホワイトデーか?」
「え?……ああ、うん、そういうこと」
僅かな含羞を滲ませて、秋山が微笑む。
男の照れた顔なんて見れたものではないと、弁財はすぐさま視線を逸らした。
「だがお前、バレンタインに貰ったのはポッキー一本だろ?それのお返しにアクセサリーか?」
「俺が貰ったのは全部で七本だった」
「論点はそこじゃない」
ホワイトデーのプレゼントはバレンタインデーの三倍返し、などとは言うが、ポッキーに対してアクセサリーでは差がありすぎる。
ポッキー七本なんて、恐らく二十円くらいだろう。
確かに、恋人へのプレゼントにそれは安すぎる。
その三倍で六十円の菓子、というわけにはいかないだろう。
しかし、殆どなきに等しいチョコレートのお返しに、わざわざアクセサリーを用意するだろうか。
否、するよな。
弁財は、それが秋山ならば迷いなくアクセサリーでも何でも用意することを知っていた。
前例として、誕生日だ。
去年、秋山の誕生日にナマエが差し出したのはインカム越しの「おめでとう」一言だけだったのにも関わらず、秋山は先月、ナマエの誕生日にきちんとプレゼントを用意したのだ。
秋山にとって、記念日のプレゼントはギブアンドテイクではない。
自分が祝いたいから祝う、買いたいから買う、それでナマエが喜んでくれるならば秋山は満足なのだ。
「まあ、ちょっと重いかなとは思ったんだが。でも、来月で一年なんだ。だから、その記念も兼ねれば貰ってくれるかなって」
「一年?……ああ、もうそんなに経つのか」
交際を始めてから一年。
つまり、秋山が「ミョウジさんに告白してしまった」と泣きながら帰って来てから、もうすぐ一年も経つのだ。
弁財は妙な感慨に耽ってしまった。
「だから、次の非番で買いに行こうと思ってて。でも、何がいいのか分からなくてな」
「予算は?」
「……どのくらいだろう?二十万くらいか?」
「馬鹿か」
弁財は思わず、蟀谷に曲げた指の関節を当てて溜息を吐き出した。
この男は基本的に常識人なのだが、時折こうしてとんでもないことを言い出すのだ。
一般的に考えて、この年で、付き合って一年の記念に二十万のアクセサリーをプレゼントする男はいない。
それは余程の高給取りだ。
確かに弁財も秋山も、使う暇がなくて毎月の給料は貯まる一方だが、しかし実際は一介の公務員に過ぎない。
馬鹿みたいな給料を貰っているわけではないのだ。
「せめて四、五万に抑えろ」
「え、そんなに安いものなのか?」
弁財は今、熟々と思う。
例えばナマエが恋人に物を強請る女性だったら、秋山はこの一年で破産していただろう、と。
「そんなものだ。こういうのは、少しずつ値段を上げていくものなんだ。最初から飛ばしすぎるな。まだこの先もあるんだぞ」
「この先……」
弁財の言葉から一部を拾い上げ、秋山がぽつりと復唱した。
嬉しそうに緩んだ頬を見て、変わったな、と実感する。
一年前なら、秋山はきっとナマエとの未来どころか一ヶ月後にも希望など見出せず、今ある全てを賭けようとしただろう。
だが今はこうして、共に在る先のことまで考えて、それを楽しみに思うようになった。
それは、大した進歩に感じられた。
「そうだな。じゃあ、そのくらいで考える」
「ああ。具体的には何にするつもりだ?」
「腕時計にしようかと思ってたんだ。でも、五万くらいなら、ネックレスとかの方がいいのかな」
「……お前、それ、仕事中も着けておいてほしかったのか」
なるほど、と弁財は納得した。
秋山は、予算から考えていたのではない。
仕事中に身につけておける物は何かを考えていたのだ。
「……まあ、そういうこと」
「なるほどな。なら、腕時計にしろよ」
「え、でも、」
「別に、そう高級なものにしなくてもいいだろ。普段使いなら、逆に高すぎるとミョウジさんも困るだろうし、五万くらいのシンプルなものなら仕事中でも使えるんじゃないか?」
流石は独占欲の塊、といったところか。
秋山はナマエに、仕事中でも自らが贈ったものを身につけていてほしかったのだ。
「そうか。うん、そうだな」
納得したように頷く秋山を眺め、弁財はふっと笑った。
「なあ、弁財。明後日って弁財も非番だよな?」
「ああ、そうだが」
「なら一緒に、」
「行かないぞ」
要望を途中で遮れば、秋山が恨めしそうな目付きで見てくる。
なぜ男の買い物に、しかも恋人へのプレゼント選びに付き合わねばならないのか。
「何でだよ。俺、恋人にこういう、アクセサリーとか時計とか買ったことないから分からないんだ」
「だとしても嫌だ」
「いいじゃないか。弁財はそういうのに詳しいんだし」
「別に詳しくない」
確かに、秋山よりは詳しいだろう。
だがそれは、弁財が自ら進んでリサーチしたわけではないのだ。
ただ、五つ年下の妹が毎年誕生日にあれやこれやと弁財にプレゼントを強請るため、自然と慣れてしまったに過ぎない。
「夕食、奢るから。寿司でも酒でも、何でも」
「………今回だけだぞ」
二十五の男に必死で懇願され、弁財はわざとらしく溜息を吐き出すと鷹揚に頷いた。
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