胸底に秘めた思い[1]
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弁財が逆らいきれず、渋々開けたドアの隙間から部屋を覗き込んだナマエの第一声は「わぁお」だった。

「だから言ったじゃないですか……」

片手で顔を覆い、弁財は項垂れる。
居た堪れなさと申し訳なさ、ついでに後悔と自分を棚上げしての秋山に対する批難。

「なるほどね。想像以上だったわ」

アップにした髪の毛先を揺らしてくすりと笑われ、弁財は身体を一層小さくした。

部屋の中央に鎮座する炬燵。
天板の上は、使用済みの丸まったティッシュ、酒の空き缶、グラス、菓子の袋。
さらに、炬燵を取り囲むように散乱した脱ぎっぱなしの服や靴下、雑誌、ビニール袋、ゴミ箱。

この人にだけは知られたくなかった、と思う。

「まあ、私は別に気にしないんだけど。そうは言っても君は気にするんだよね」

ナマエは一瞬考え込むと、ああ、と弁財を見上げた。

「コーヒー、淹れて来る」

七分ね。
そう言って入ったばかりの部屋から出て行くナマエを見送った弁財は、惚けている場合ではないと慌てて靴を脱ぎ捨てた。


事の発端は、三十分程前に遡る。

本日早番だった弁財は退勤後、私服に着替えてから食堂に顔を出した。
そこには同じく早番だったナマエが、こちらも弁財と同様に部屋で着替えてきたのかシャツにカーディガンを羽織った姿で椅子に腰掛けており、弁財はシチューを乗せたトレーを持ってナマエの向かいに腰を下ろした。

「お疲れ様です」
「ん、お疲れ」

その時点でナマエの前に並んだ食器は全て空だったのだが、ナマエは弁財が食事を終えるまで席を立たなかった。
珍しいな、と弁財は首を傾げた。
ナマエは基本的に、食堂のような不特定多数の人間が利用する場所でゆっくり寛ぐ人ではなかった。
最初は秋山を待っているのかとも思ったが、秋山は遅番だ。
予定通り仕事が片付くとしても、退勤までにはまだ三時間以上あった。

「何かあったんですか?」

ぼんやりとタンマツを弄るナマエに問い掛ければ、顔を上げたナマエが「それがさ、」と僅かに苦い表情を浮かべた。

「部屋のエアコン壊れちゃって」
「ああ、なるほど。そういうことでしたか」

女子寮は男子寮と異なり、各部屋にエアコンが設置されている。
部屋のエアコンが壊れ、それならばと空調の効いた食堂に長居していたのだろう。

「まあ、耐えられないほどじゃないし、明日の朝一で修理入るから問題はないんだけだね。ただ、ここがあったかいから帰る気失せて」

つい長居してしまった、とナマエが苦笑した。

「それなら、俺の部屋に来ますか?エアコンはありませんが、炬燵があるので結構暖かいですよ」

本来であればエアコンが完備された女子寮の他の部屋、つまり淡島の部屋が良いのだろうが、淡島は昨日から出張中で不在だ。
食堂は確かに暖かいが、人の出入りが激しく落ち着かないだろう、と弁財が提案すれば、ナマエは一瞬思案するように目を細めてから微笑んだ。

「ありがと。じゃあお邪魔する」
「はい」

しかし、そこで弁財は思い出した。
その炬燵のせいで、部屋が女性、しかも以前からずっと敬愛している元上官を招き入れるには不適切な状態である、ということを。
弁財は部屋を片付けたらタンマツに連絡する、と申し出たのだが、ナマエは気にした様子もなく椅子から立ち上がってしまった。

「気ぃ遣わなくていいよ。男の二人部屋なんて普通散らかってるもんでしょ。エロ本探したりしないって」

ひと昔前の冗談をわざとらしく口にしたナマエの笑みに、弁財は冷や汗を掻いた。
ナマエの言葉は、受け取りようによっては非常に寛容だ。
しかし弁財にとっては死刑宣告に他ならなかった。

その後、部屋までの道中で弁財はしつこいほどに食い下がったのだが、結局ナマエが弁財の意見を聞き入れてくれることはなく。
そして冒頭に戻るわけである。


流石のナマエにとっても、想定以上の散らかりようだったのだろう。
それはそうだ、と弁財は空き缶を袋に詰め込みながら溜息を吐いた。
初冬の頃に拾った炬燵のせいで、正確にはその炬燵の魔力に取り憑かれた秋山と弁財のせいで、青雲寮一号室はごみ屋敷さながらの様相を呈している。
加茂に窘められて炬燵で寝ることはなくなったが、横着をして炬燵に入ったまま不便なく暮らせる状態を作り上げてしまう習慣までは直っていなかった。
炬燵は人を堕落させる。
この冬の名言であり、この冬を象徴するキャッチフレーズでもある。
弁財は袋を縛り、その他、雑誌やら菓子の空箱やら服やらと一緒に全て二段ベッドの上段に投げ入れた。
ちなみにそこは秋山の寝床であるが、今の弁財にそれを気にする余裕はない。
もし秋山が逆の立場だったとしても、同じことをしただろう。
文句など言わせるつもりはなかった。


恐らくきっちり七分後、弁財が何とか部屋を片付け終えたところでノックが二回。
弁財はざっと部屋を見渡し、少なくとも見た目は綺麗になっていることを確認してからドアを開けた。
そこには苦笑を浮かべたナマエが、マグカップを二つ持って立っている。

「すみません、お待たせしました」

弁財はドアを大きく開け、ようやくナマエを部屋に招き入れた。







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