悪戯な誘惑[2]
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日付が変わってバレンタインデー当日、屯所はどこか浮ついた雰囲気に包まれていた。
セプター4は殆どの課が男所帯なのだから、庶務課や経理課に所属する数少ない女性職員が一体誰にチョコレートを渡すのか気にしたりするのだろう。
どこかふわふわとした空気の中を、秋山は脇目も振らずに情報室まで突き進んだ。
当然秋山は、誰がチョコレートを多くもらっただの、誰が誰にチョコレートを渡しただの、そんなことには一片の関心もない。
気にかけていることはただ一つ、ナマエが特務隊宛にどのようなチョコレートを用意してくれたのか、ということだった。
全員平等に同じものか、それとも皆が自由に取れるような箱詰めのものか。
さらに、市販品なのか手製なのか。
気になって仕方がない。
秋山としてはナマエから何かを贈られるのならば何でも嬉しいが、確かに手製というのは魅力的だ。
しかし秋山が手製の菓子を受け取るとなると、即ち特務隊の全員が同じく手製のものを受け取ることになる。
それは控えめに言っても歓迎出来ることではない。
むしろ絶対に嫌だ。
特務隊のメンバーに渡すものは、出来るだけ簡素でまさしく義理チョコ、といった雰囲気が前面に押し出されたものであってほしい。
秋山もそれを受け取ることになるのだが、この際ナマエの手作り菓子が誰か他の男の口に入るよりはずっとましだ。

どうか、ナマエさんが手作りなんてしていませんように。

秋山は祈るような思いで情報室の扉を押し開けた。

まだ始業時間には随分早いが、室内には大半のメンバーが揃っていた。
扉の音に気付いて振り返った面々が、秋山の姿を認めるや否や、あからさまにがっかりした顔をする。
誰を待っているのかなど、一目瞭然だった。
普段は遅刻ギリギリの日高までそわそわと落ち着かない様子で立っているのだから、ナマエからのチョコレートが相当楽しみなのだろう。
普段からこのくらい早く来い、と言いたい衝動を抑え込み、秋山は平静を装って椅子に腰掛けた。
秋山が入室した数十秒後に、弁財と加茂が入って来る。
これで特務隊は伏見とナマエ以外全員揃ってしまった。
まだ始業三十分前である。
その五分後に情報室の扉を開けた伏見は、普段のこの時間と比べれば二倍になった人口密度に眉を顰めた。

「……なんだお前ら。何かあんのか?」

訝しげな視線を向けられ、秋山はやんわりと苦笑する。
ありのままを説明するべきか、少しは誤魔化すべきか。
判断に迷ったところで再び扉が開き、今度こそナマエが出勤してきた。
その途端、道明寺以下元剣四組から拍手が沸き起こる。

「はあ?」

伏見が呆気に取られ、弁財と加茂が苦笑した。
一部から盛大な歓迎を受けたナマエは入口で足を止め、呆れたように笑う。
秋山は、ナマエの手に提げられているものが思わせぶりな紙袋ではなくコンビニのビニール袋であることに気付き、ほっと安堵の息を漏らした。
どうやら、秋山の祈りは通じたらしい。

しかし、である。
そのビニール袋は、全員分のチョコレートが入っているにしては随分と小さかった。
精々一つ二つしか入っていなさそうなサイズである。
不思議に思いながら見守っていると、ナマエはビニール袋を手近なテーブルに置いて中身を取り出した。
案の定、箱は一つである。
それはコンビニやスーパーで年中見掛ける、赤い箱が目印のポッキーだった。
願った以上に適当なチョイスに、秋山はそっと笑う。
もうこの際、自分の貰う分が云々という問題はどうでも良かった。
これならば、ナマエからの贈り物の形跡が他の男の手元に残ることもない。
ナマエが誰かにチョコレートをあげた証拠など、飲み込まれてすぐに消えてしまう。

「はい、伏見さん。バレンタインです」

パッケージを開封したナマエは、中から二袋のうちの片方を破り、開いた口をまず伏見に向けて差し出した。
立場的にも、潔癖のきらいがある伏見の性質的にも、それは適切な判断だろう。

「そういうことかよ」

その段になってようやく異常事態の原因を理解した伏見が忌々しそうに舌打ちをしながらも、素直にポッキーを一本引き抜いた。
伏見は四口ほどで全て口の中に収め、咀嚼しながらもごもごと礼を言う。
それに笑ったナマエが、顔を上げて流れ作業とばかりに室内を見渡した。
呆気に取られていた日高らが、我に返ったのか情けない声でナマエを批難する。

「ちょ、ナマエさん……!一人一本って!」
「確かにどういうのが欲しいとは言わなかったけどさ、もう少しなんかこう、」

その反応は、ナマエの予想通りだったのだろう。

「昨日残業が終わったらもう一時でそれからわざわざコンビニに行ってでもタイミング的に全員分がなかったから平等に一人一本にしたんだけどご不満なら貰ってくれなくてもいいですよ」

ノンブレスの説明とその静かな迫力に、日高らは一瞬で低姿勢になる。

「いりますいります!ほんとすんません!」
「ミョウジさんまじ女神!めっちゃ嬉しいっ」

あからさまな態度に苦笑しながらも、ナマエはパッケージを持ったまま道明寺に近付いた。

「まあ、悪いとは思ってるんだ。だからはい、」

ナマエが自らポッキーを一本取り出し、あろうことかそれを道明寺の口元に突き付ける。

「えっ?食わせてくれんの?」
「鼻に突っ込まれたくなかったら黙って口開ける」

満面に喜色を浮かべた道明寺が、素直に大口を開けた。
ナマエが、その口にポッキーの先端を入れる。

ぴしり、と。
秋山の中に大きな亀裂が走った。

「隊長ずりぃ!ナマエさん、俺も俺もっ」

無駄に挙手をして進み出た日高にも、ナマエは同じようにポッキーを咥えさせる。
日高が唇で挟んだことを確認したナマエが手を離すと、締まりのない顔をした日高が自分でポッキーを持ってそのまま食べ進めた。
秋山は、あまりの光景に唖然とするしかない。
そんなボーナスが付くなんて知らなかった。
秋山はナマエに、はいあーん、なんて言われたことはないのに。
否、ナマエはそんなことは一言も言っていないのだが。

榎本、布施、五島、とそれぞれが同じ方法でナマエからポッキーを受け取る。
三人とも気恥ずかしそうな、しかし満更でもない顔をするものだから、秋山はそのまま喉の奥にポッキーを突き刺してやりたくなった。

「加茂ー。はい、まあ甘いの苦手だろうけど、形式だと思って」
「お前は全く。なぜこういう方法になるんだ」

呆れ顔の加茂が、渋々といった体で薄く唇を開く。
ナマエは苦笑しながらそこにポッキーを差し込んだ。

「はい次、弁財」
「えっ?いや、あの、俺はっ!」

ナマエに呼ばれた弁財は、盛大に慌ててもげそうなほどに首を振る。
弁財がここまで取り乱すというのは珍しいことで、普段の秋山ならばそれを笑っただろう。
だが今の心境では生憎そうもいかない。
横目で相棒を睨み付けた。
よりによってお前がそれを受け入れるつもりか、という秋山の瞋恚を、弁財は余すところなく感じ取ったのだろう。
引き攣った苦笑でナマエに抵抗している。
だが秋山は、ナマエがやると決めたならば誰にも止められないことを知っていた。

「弁財、二択。無理矢理口の中に指突っ込んでこじ開けられるのと、素直に自分で口を開ける。どっちがいい?」

にやりと深い笑みを浮かべたナマエに観念し、弁財がおずおずと口を開ける。
ほんの僅かな隙間だったが、ナマエは難なくそこにポッキーを押し込んだ。
ナマエの手が離れた瞬間、弁財が震える手でポッキーを支えながら椅子に崩れ落ちる。
その顔が微かに赤くなっていることを、秋山は見逃さなかった。

「はい、秋山」

そんな弁財には目もくれず、ナマエが最後の一人となった秋山にポッキーを差し出す。
十分前の秋山ならば、間違いなく盛大に照れただろう。
恥ずかしくて、でも嬉しくて堪らなかっただろう。
だが、七人分とのやり取りを見せ付けられた後では、羞恥や喜悦よりも嫉妬の方が圧倒的に大きかった。
この浮ついた時間を一刻も早く終わらせたくて、秋山は機械的に口を開ける。
与えられたポッキーを唇で挟み、ナマエの手が離れるなりすぐさま噛み砕いて飲み込んだ。


袋の中に残った分が、ナマエのデスクの抽斗に消える。
もう一袋は、その後現れた淡島に丸ごと手渡された。




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