たとえば、その刹那[5]それは、唐突だった。
ぶわりと、身体の底から自らの青が膨れ上がる。
疲労や焦燥を覆い隠すように、静謐な青が空間を満たす。
秋山は、否、全員が確信した。
これは、青のクランズマンが王と仰ぐ宗像礼司の力だと。
恐らく今、この病院の真上にダモクレスの剣が掲げられているのだろう。
沸き起こる力に、秋山は神経を研ぎ澄ませた。
展開されたサンクトゥムの内側で、与えられた力を意のままに操る。
『チッ……ようやくお出ましかよ』
伏見の気怠げな、しかし数十分振りに聞くいつも通りの声音。
『終わらせんぞ』
合図は一言だった。
秋山は地を蹴り、シールドを展開したまま光の筋に向かって突き進む。
先程まで拮抗していたパワーバランスが傾いた。
緑の光を押して進み、ストレインに肉薄する。
これまで一人ずつ攻撃を仕掛けていたストレインが、焦ったのか二人揃って力を放った。
「っしゃ、もらった」
秋山の隣で道明寺が唇を吊り上げる。
これで、相手が二人同時に丸腰となる瞬間が発生するはずだった。
そうすれば、勝てる。
秋山はシールドを展開したまま、その時を待った。
先に、一分間レーザーを放出し続けた右側の男が、力をなくして後退る。
その二十秒後、後から加勢した男の手からも攻撃が途絶えた。
「逃がすかぁっ!」
その瞬間、三人は同時に障壁を消し去り、逃げ出そうとするストレインの後を追った。
一方を道明寺が、もう一方を秋山が背後から取り押さえる。
榎本が、それぞれにストレイン拘束用の手錠を掛けた。
「ポイントA、対象二名確保」
『ポイントB了解。こっちも終わった』
『ポイントC。こちらも確保しました』
最後に弁財の報告を聞き届け、秋山は駆け出す。
そのまま先程割った窓ガラスに体当たりし、四階から飛び降りた。
作り出したシールドをクッション代わりに地上へと降り立ち、未だ火を燻らせる指揮情報車に駆け寄る。
「ミョウジさんっ!」
震えそうになる脚を叱咤し、秋山は半ば喘ぐように息を乱した。
どうか、どうか無事でと祈りながら、一直線に黒焦げの車両を目指す。
「ミョウジさん!!」
秋山が血を吐くように喉を引き絞ったその時、車両の影から青いオーラの片鱗が見えた。
こつり、とブーツの音が響く。
白いワイシャツ、青いベストとスラックス。
目の前に現れたのは、宗像礼司その人だった。
「し、つちょう……」
宗像が、一人の人間を横抱きにしている。
身体の上に掛けられているのは、宗像の制服だ。
だらりと垂れ下がった腕を伝う赤い血。
それがナマエだと気付き、秋山は息を呑んだ。
「ミョウジさん……っ!」
駆け寄った秋山に、宗像は僅かに目を細める。
「安心して下さい。気を失っているだけですよ」
宗像の常と変わらぬ硬質な低音が、秋山の鼓膜を撫でた。
生きている。
ちゃんと、生きているのだ。
安堵し崩折れた秋山を見下ろし、宗像は薄っすら微笑むと、その背後に視線を送る。
弁財と伏見が、それぞれ他の二人に現場を任せて駆け付けていた。
「弁財君、彼らを任せます」
宗像の後ろに情報課の隊員が二人、所在なく立っている。
ナマエは見事に二人を守りきったのだ。
「伏見君。こちらの犯人は一名、拘束済みですので後の処理はお願いします」
宗像は部下に指示を残し、ストレッチャーを下ろした状態で待機する救急車に足を向けた。
王が、一人の麾下を抱えて歩く。
その後ろ姿を、秋山は何も出来ずにただ視線だけで見送った。
ナマエを助け出し、その後病院まで付き添った宗像から、現場の状況と容体について特務隊に説明があったのはその日の夜だった。
指揮情報車を狙撃した男は、恐らく病院の側に建つビルの屋上にいた。
着弾の直前でレーダーに掛かり、それに気付いたナマエは咄嗟にシールドを展開。
しかし隊員二名を庇うべく力を分散させたため、自らの防御が手薄になって衝撃に吹き飛ばされ、一時的に気絶した。
秋山と伏見の怒鳴り合いが、奇しくもナマエの意識を引き戻すきっかけとなった。
通信を終えたナマエは隊員二名を連れて車両から這い出し、現れた狙撃手と対峙。
この相手もまたストレインで、一定範囲の空間を閉鎖するという特殊な異能を持っていた。
ストレインは自らとナマエを空間に閉じ込め、小隊の隊員たちに加勢をさせることなく一対一の戦闘に持ち込んだ。
その後宗像が現れるまで凡そ一時間、ナマエは怪我を押してストレインと戦い続けた。
宗像の登場により、王の力に敵うはずもなくストレインの能力は打ち消され、ナマエは宗像の手によって救い出されると同時に意識を失った。
身体中傷だらけではあったが、幸運なことにどれも命に別状のあるものではなく、数日間の入院で済むだろう。
現場の状況、情報課隊員の報告、そして医師の見立てを全て総括し、宗像は部下たちにそう説明した。
「よかったあ……」
椿門に位置するセプター4提携病院の一室で宗像を待っていた特務隊の面々は、上司の前だということも失念して脱力したようにテーブルや椅子に崩れ落ちた。
伏見でさえ、舌打ちも零せずほっと息を吐き出す。
その姿から、伏見がどれほどナマエの身を案じていたのか、秋山には余すところなく伝わった。
安堵の溜息を吐いた弁財、頬を緩めた加茂、テーブルに突っ伏した道明寺、半泣きの榎本、床に座り込んだ布施、天井を仰ぐ五島、柱に抱きついて男泣きをかます日高。
ここにいる誰もが心の底からナマエを心配し、そして無事であったことに安堵している。
車両が爆破されたあの瞬間、助けに行きたかったのは決して秋山だけではなかった。
あの場にいた誰もが、駆け付けたい衝動を堪えて拳を握り締めていたのだ。
そのことに、秋山だけが気付いていなかった。
部屋の片隅で、秋山は項垂れる。
伏見の怒声が、道明寺の叫び声が、そしてナマエの冷然とした叱責が、耳にこびり付いて離れなかった。
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