もしも世界から貴女がいなくなってしまったら[2]
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「夢を見たんです」

ナマエが潜り込んで二人になったベッドの中、秋山はそう切り出した。
悲しい夢を見たことを引き摺って話を聞いてもらうような年齢は疾うの昔に過ぎているのだが、つい口にしてしまった。
ナマエの無言に促され、秋山は先刻見た夢を簡単に説明する。
現実と同じ世界のようで、そこにミョウジナマエという人間が存在しなかったこと。

「どこにもいなくて、俺一人しか知らなくて、どうしようかと思いました」

静かに語り終えた秋山を、ナマエは特に何の表情もなく見つめた。
その唇から、ふうん、と聞きようによっては適当とも取れる相槌が漏れる。
しかし秋山は、ナマエが秋山の話をどうでもいいと流してしまったわけではないことを知っていた。
ナマエは自身の興味の有無に関わらず、秋山の話をきちんと聞いてくれる。
それは、ここ数ヶ月で秋山がようやく理解したことだった。

「俺はね、ナマエさん。ずっと、怖いものなんてなかったんです」

天井を見上げ、秋山は続ける。

「確かにまだ死にたくないとは思ってますけど、でもだからといって、前線に立って恐怖することなんてないんです」

それは、強がりではなかった。
命が惜しくないとは言わないが、しかし死が恐怖かと問われれば常に答えは否だった。

「……でも、貴女の側にいることを許されるようになってから、怖いと思うものが出来ました」

上を向いたまま、秋山はふっと微笑む。

「貴女を喪うことが怖い。貴女に棄てられることが怖い。誰かに貴女を奪われることが怖い。………ね、怖いことばかりです」

どれも、現実として起こり得る可能性が十分にあるものばかりだった。
出会わなければ、側に近付かなければ、一生知ることのなかった恐怖。

「後悔してる?」

それまで黙って話に耳を傾けていたナマエの問いに、秋山は身体ごとナマエに向き直った。

「まさか。一片たりとも後悔したことなんてありませんよ」

確かに、ナマエを好きにならなければ恐怖することも傷付くこともなく、数多の寂しさも惨めさも哀しさも知らずに済んだだろう。
だが秋山はそれ以上に、ナマエからたくさんの幸せを貰っている。
嬉しくて、恋しくて、愛おしい。
そんな、燦然と輝く感情と温かい時間を数え切れないほど貰った。

「そ。ならいい」

だが、たとえナマエから与えられるものに秋山への情が微塵もなかったとしても、秋山はナマエを愛しただろう。
幸せになりたくて、好きになったのではない。
ミョウジナマエという存在に焦がれてまやなかった、それだけの話なのだ。

「後悔はしてませんけど。でも、出来れば俺を置いてどこかに行ってしまわないで下さいね」

そうなったとしても、出会ったことを、愛したことを後悔はしないだろう。
だが秋山は、ナマエとの思い出を抱えたまま一人で生きていく自分などとても想像出来なかった。
そんな未来は、必要ない。

もし、いつかそんな日が来たら、きっと俺は。

「秋山、」

再び仰向けになって天井を見上げながら陰惨たる想像を繰り広げていた秋山は、ナマエの挙動に対する反応が一瞬遅れた。
掛け布団を押し退けたナマエが秋山を跨ぐようにして覆い被さり、まるでキスをする手前のような体勢で秋山を見下ろす。
天井との間を遮ったナマエの顔に、秋山は思わず目を瞬かせた。

「ひとつ。私は君に心配されるほど弱いつもりはない」

唐突な行動の次に、これまた突然の言葉。
何の感情も乗せない淡々とした声の指し示す意味を図りかねて口を挟みかけた秋山を制するように、ナマエの指が秋山の唇に触れた。

「ふたつ。私は確かにものに執着しないけど、君に関しては違う。話し合った結果ならともかく、一方的に棄てるつもりはない」

棄てる、という単語に、秋山はようやくナマエの意図を理解した。
これは、先に秋山が挙げた"怖いこと"の話だ。

「みっつ。残念なことに私のプライベートは君でいっぱいいっぱいだから、他に目移りする暇がない」

それは、あまりにナマエらしい告白だった。
少し遠回しで曖昧な、しかし綺麗事が一つもないからこそ信頼出来る言葉。

「敢えてもう一つ付け加えるならば。この状況で笑う前に泣いちゃう君のそういうところが、私は嫌いじゃないよ」

そう言って綺麗に笑ったナマエの笑顔が、じわりと滲んだ。
目尻から溢れた涙が、蟀谷を伝う。
秋山がそれを手で拭おうとする前に、ナマエの唇が雫を優しく吸い取った。

「……俺、頑張りたいなって思ってる、ことがあって」
「うん?」

脈絡のない発言に、顔を上げたナマエが首を傾げる。
秋山は、情けなく眉を下げて笑った。

「貴女より、格好良い人になりたいです」

珍しく驚いたように目を瞬かせたナマエが、やがて苦笑を零す。

「何それ、褒めてるの?貶してるの?」
「愛してるに決まってるじゃないですか」

二択で問われれば前者だろうが、そんな上の立場でものを言うつもりなど毛頭ない。
秋山の即答に、ナマエは目を閉じて笑みを深くした。

「じゃあ、手っ取り早く格好いいとこ見せてもらおっかな」
「はい?」

何の話か、と訝しむ秋山の上に覆い被さっていたナマエが、手足で支えていた自らの体重を秋山の下腹部に預ける。
伸ばされた指先が、先程とは打って変わり明らかな色を乗せて首筋を撫でた。
醸し出される妖艶な雰囲気に、秋山の背筋が粟立つ。

「夢なんて見る余裕もないくらいに、ね」

ひもり、と。
薄桃色の唇が、秋山の名を蠱惑的に紡ぐ。
理性など一瞬で灼き切れた。
秋山は腹筋の力で上体を起こし、太腿の上にナマエを跨らせたままその身体を抱き締める。

「……煽ったこと、後悔しないで下さいよ」

首筋に落とす口付けの合間に告げれば、ナマエが秋山の背に指を這わせながら笑った。

「一片たりとも、後悔しないよ」

鼓膜から熱芯までを全て震わせる、優艶な声。
秋山は息を詰め、これ以上煽らないでほしいと小さな唇を塞いだ。






もしも世界から
貴女がいなくなってしまったら

- きっと、独りで生きてはいけないから -




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