不確定な未来を想像する[1]
bookmark


「ブルームーンを。それと、粒あんをいつものトッピングでお願いするわ」

何度聞いても途中で遮りたくなる注文を平然と済ませた年下の上司を横目に、ナマエは内心でこっそり苦笑した。
バーカウンターの内側、一つも顔色を変えることなく「畏まりました」と答えたバーテンダーのプロ根性は尊敬に値する。

「ヘネシーをダブルで」

しかしナマエのまともな注文を聞いてほっと目元を緩めた辺り、彼にも人間らしい部分があった。

「あら、あんこを入れると美味しいわよ?」
「私、あんまり甘いのは駄目だって前に言いませんでしたっけ?」

仮に甘味が好きであってもブランデーには混ぜない、などという当然の指摘が言うだけ無駄なのは疾うに承知しているので口にはしない。

「残念だわ」

これが悪意でも諧謔でもないのだから、この人の味覚は恐ろしい。
この悪食さえなければ、淡島は大層男に持てるだろうに。
日頃、バーで一人酒を飲んでいても男に声を掛けられないのは、確実に目の前に置かれた下手物カクテルのせいだ。

「お疲れ様」
「お疲れ様です」

濁ったカクテルの入ったグラスに乾杯し、ナマエは琥珀色の液体に口をつけた。

淡島と二人、早番の後に錦布町のバーに来ている。
この店は淡島曰く、あんこをストックしておいてくれる数少ない貴重な行きつけのバーだそうだ。
ナマエと淡島が共に酒を飲む時は、大抵この店だった。

「それにしても初めてじゃない?貴女の方から誘ってくれるなんて」
「そうでしたっけ?まあ、副長に話しておきたいこともあったので」

二口、三口とカクテルを飲んだところで、淡島が口火を切った。

「それは仕事の話かしら?」
「いいえ、プライベートですよ」

だったら、と淡島が首を捻ってナマエを見つめる。

「副長、はやめてほしいわね、ナマエさん?」
「……了解、世理ちゃん」

年の差は四つ。
職場では上司と部下だが、プライベートでは友人という間柄になるのだろう。
満足げに笑った淡島を見て、ナマエも微かに笑みを浮かべた。

ナマエにとって淡島は、自分とは正反対の存在だった。
自分に厳しく、他人にも厳しい。
良くいえば規律に忠実で、悪くいえば融通が利かない。
職務中は実直で四角四面、プライベートになると女性らしく繊細。
男を挑発するような大胆なスタイルを持っていながら、フェミニンな服装や小物を好む。
何もかもがナマエとは真逆だからこそ、二人の相性は悪くなかった。

「それで?どうかしたの?」

制服を脱ぐと急に女らしくなる淡島のギャップを、ナマエは可愛く思っている。
ナマエにはない繊細さだ。

「いえね、別に大したことじゃないんですけど」

ナマエはグラスを手で温めるように持ちながら、揺れる液面を眺めた。
話というのはもちろん、秋山のことである。
宗像と特務隊の全員が知ったことにより、ナマエと秋山の関係を告げていないのは淡島だけということになった。
別に報告の義務はないし、淡島が知らなくても問題はない。
だが、他が全員知っているのならば、一応淡島の耳にも入れておくべきかと思ったのだ。

「特務隊の皆が知ってしまったので、世理ちゃんにも伝えておこうかと」

正確に言うと特務隊の全員にわざと知らせたのだが、その辺りの表現を誤魔化すことは許してほしい。
何、と不思議そうに首を傾げる淡島に、ナマエはやんわりと苦笑した。

「私、秋山と付き合ってるんですよ」

その報告が淡島にとってどれほど驚愕の事実であったのかは、その手から滑り落ちたグラスを見れば明らかだった。
咄嗟に手を伸ばし、カウンターに落ちる寸前でグラスの脚を指先に引っ掛ける。
幸い、中身が少なくなっていたため液体が零れることはなかった。

「……ちょっと待って頂戴、ナマエさん」
「いくらでも」

戸惑いが大半を占める声で制止され、ナマエは自分のグラスを傾ける。
恐らく今、淡島の脳内では様々な電気信号が走っているのだろう。
職務中、余程のことでは動じない淡島の珍しい姿に、これが見れただけでも報告の価値はあったかとナマエは内心で笑った。

「……秋山って、うちの秋山のことかしら?」
「正真正銘、特務の秋山氷杜ですよ」
「……付き合っているっていうのは、男女交際をしているということでいいのね?」
「愛を囁いてキスしてセックスする仲って意味です」

男女交際、なんて単語は久しく聞いていなかった気がする。
ナマエが露骨に説明すれば、淡島が若干怯んだように視線を泳がせた。
こういうところが可愛いのだ。

「……貴女と、秋山が?」

それでもまだ信じられない様子の淡島に、ナマエは思わず失笑する。

「そんなに意外ですかねえ。そりゃまあ、驚かれるだろうとは思ってましたけど、まさかそこまで信じてもらえないとはこっちが驚きですよ」

隣に視線を流せば、淡島が慌てたように首を振った。

「ごめんなさい。別に変な意味はないのだけど、驚いてしまって」
「ふふ、分かってますよ、世理ちゃん。揶揄っただけです」
「……さっきの話も、冗談?」
「いいえそっちは本当です」

面白い反応に、ナマエはくつりと喉を鳴らす。
若干頬を染めた淡島が、気まずさを誤魔化すように小さく咳払いした。

「信じられないみたいなんで、具体的な説明を足しましょうかね」

ナマエはグラスを置いて、シェルフに並ぶボトルを眺めながら言葉を続ける。

「十ヶ月くらい前に秋山に告白されて、それから付き合ってます。秋山は私の部屋の合鍵も持ってます。公私の一線は引いてますが、このことは伏見さんを含めて特務隊の全員が知ってます。ちなみに、室長もご存知ですよ」

恐らく、最後に付け足した"室長"という単語が効いたのだろう。

「そう……、そうだったのね」

ようやく淡島が納得した様子で頷いた。

「まあ、話したから何をどうこうって訳じゃないんです。一応耳に入れておこうと思っただけなんで。言うまでもないと思いますけど、仕事中もそんなことは一切考慮しなくて大丈夫ですから」
「ええ、それは分かっているわ」

それは恐らく淡島からナマエへの、そして秋山への信頼だろう。
迷わず答えてくれた淡島に、ナマエはゆっくりと微笑んだ。




prev|next

[Back]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -