そこに愛があるならば[3]
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一時間待ってもナマエが情報室に帰って来なかったので、秋山は書類をファイルに纏め、付箋にメモを残してナマエのデスクに置いた。
伏見に退勤の挨拶をし、情報室を後にする。
夜になり、ようやく常の静謐な雰囲気を取り戻した廊下にブーツの音が響いた。

伏見の言葉が脳内で繰り返し再生される。
平然と返してみせたが、秋山の胸裡は言葉ほど穏やかではなかった。
報告のために執務室を訪れているならば、一時間以上も掛かるはずがない。
何か他に用事があるのか、それとも宗像に引き留められているのか。
どちらにせよ、随分と長時間一緒にいることになる。
決して、ナマエの想いを疑っているわけではなかった。
宗像とは何もなかった、というナマエの説明も信じている。
ただ、宗像がナマエに好意を抱いているのは事実だった。

今は秋山の側にいてくれるナマエが、今後もずっとそうだとは限らない。
宗像の方がいい、とナマエが思ってしまえばそれまでだ。
元々、秋山など比較の対象としてはお粗末すぎるのだ。
秋山は、自身に宗像よりも勝るものがあるなど欠片も思っていない。
これは恐らく誰もがそうだろう。
王と普通の人間なんて、比べ物にならないのだ。
仮にその肩書きを抜きにしても、宗像は人として非常に優れている。
非凡な才能、人を惹き付けるカリスマ性、勿論外見もトップクラスの更に上だ。
何を取っても秋山には到底敵わない。
同じ土俵にさえ立てない相手に勝とうなんて、端から無理だと分かっていた。

だからこそ、怖いのだ。
いつか宗像に、ナマエを奪われてしまいそうで。

秋山は、一体全体なぜナマエが自分を選んでくれたのか、皆目見当もついていない。
同時期に二人の男に好意を寄せられ、片や王の肩書きを持つ完璧な男、片やどこにでもいるような一介の公務員。
どちらを選ぶかなど、普通は聞くまでもなく前者だろう。
それなのに、なぜかナマエは秋山を選んでくれた。
宗像の手を取るという選択肢が目の前に用意されていたにも関わらず、それを敢えて避けてまで秋山の手を掴んでくれた。
その理由は、一体何だったのか。

多分、珍しかったんだろうな。

秋山は立ち止まり、廊下の高い天井を見上げてぼんやりと考えた。
恐らく、秋山はナマエの興味を引いたのだろう。
今まで秋山のように形振り構わず縋り付く相手など、きっといなかったのだ。
だからナマエは興味を持った。
切っ掛けはそのようなものだろう。
勿論、それを悪いと言っているのではない。
むしろ些細な興味でも向けてくれたというのなら、それは秋山にとって十分すぎる僥倖だった。
それがあるから、秋山は今ナマエと一緒にいられるのだ。
だが、例えばナマエが秋山に対して抱いた以上の興味を宗像に持ったとすれば、一瞬で状況はひっくり返るのだろう。
その可能性はいくらでもあると思った。

「……ああ、駄目だな、」

いつもは考えないようにと頭の片隅に仕舞っていることが、こうも簡単に他人の言葉で引き摺り出される。
思考を切り替えよう、と再び歩き出したその時、不意に前方の曲がり角から人影が現れた。

「ミョウジさん……」

まさに今思い描いていた人の姿に、秋山はそっと口元を緩める。
タブレットを操作しながら歩いていたナマエが、秋山の声に気付いたのか顔を上げた。

「秋山、戻ってたんだ」
「はい、今日の昼過ぎに」

距離を縮めるように歩きながら、ナマエがお疲れ、と笑う。
ようやく見ることの叶ったその姿に、秋山はほっと安堵した。
宗像とのことは、聞かない。
信じると言った以上、ナマエから何かを言われるまで口は出さない。
秋山は、問い質したい衝動を無理矢理腹の底に沈めた。

「淀宮の事件のファイルをデスクに置いておいたので、確認して頂けますか?」
「ん、分かった」

目の前に立ったナマエを見つめ、秋山は職務中の態度に徹する。
一週間ぶりの再会は嬉しくて切なくて、胸が押し潰されそうだった。

「……では、お疲れ様です」

本当はもっと話していたい。
顔を見て、触れて、抱き締めたい。
だがナマエはまだ仕事中で、他の隊員同様かそれ以上に疲れているだろう。
秋山の我儘で困らせるわけにはいかなかった。

一礼し、秋山はその横を通り過ぎる。
しかし、三歩進んだところで不意に左の手首を掴まれた。
驚いて咄嗟に振り返れば、同じように振り向いたナマエが秋山を見ている。

「……ミョウジ、さん……?」

本棟の廊下という場所で一体何事か、と目を瞠った秋山の視線の先。
ナマエが、静かに笑みを浮かべた。

「すぐに戻るから、……氷杜」

息を飲む。

無言のままに唇を開閉させるしか出来ない秋山の手首から、ナマエの手がするりと離れていく。
そのまま背を向けて歩き出したナマエの後ろ姿を、秋山は呆然と立ち尽くしたまま見送った。

勿論、周囲に人の気配がないことを確認してからの行動だったのだろう。
しかしこんな、いつ誰が通るとも分からないような場所で、あんなことを言われるなんて。
秋山は、ナマエの姿が見えなくなった頃になってようやく状況を把握し、崩折れるようにその場にしゃがみ込んだ。
顔が熱い。
胸臆が震えて、涙が出そうだ。
ナマエは、秋山が一つも言葉にしなかった不安を感じ取ってくれたのだろうか。
それともこの一週間で、会いたいと思ってくれたことがあったのだろうか。
久しぶりに会った恋人と触れ合いたいと、そう望んでくれたのだろうか。
足の間から見下ろす廊下の床すら輝いて見えて、秋山は思い切り髪を掻き乱す。

「っ、あーーー………」

思わず漏らした呻き声は、自分でも驚くほどに切羽詰まった音だった。

早く、早く触れたい。
抱き締めてキスをして、この人は自分のものなのだと感じさせてほしい。

秋山は勢い良く立ち上がり、先ほどまでとは打って変わって足早にナマエの部屋を目指した。






そこに愛があるならば
- 幸せを半分差し出すでしょう -





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