そこに愛があるならば[1]
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「弁財ぃ……ナマエさんが足りない……」

無駄に柔らかい羽毛の枕に向かって泣き言を漏らした秋山の後頭部に、湿ったタオルが直撃した。
秋山は緩慢な所作でタオルを掴み、ごろりと寝返りを打つ。
仰向けになって確認すれば、どうやらそれは弁財が髪を拭いていたハンドタオルのようだった。
ベッドの足側で仁王立ちしている弁財にタオルを投げ返せば、弁財は受け取ったタオルで再び濡れた髪を拭き始める。
ツインルームに設置された二つあるベッドのうちの片方でぼんやりと相棒のバスローブ姿を眺めながら、秋山は深く溜息を吐き出した。

「辛気臭すぎるぞ、秋山」
「……だって、」
「だからだってはやめろと何度言わせるつもりだ」

隣のベッドに腰を下ろした弁財が、秋山を見下ろしてうんざりとした表情を作る。
秋山は再び俯せになり、寮のそれよりも余程寝心地の良いベッドに沈み込んだ。

「やっぱり連絡くれないし、」

それは、秋山とて予想していたことだった。
ナマエがまめに連絡をくれることなどあり得ない。
しかし実際に五日間も音沙汰がないと、分かっていても寂しいものだ。

「お前から連絡してみればいいだろ」
「それで返事が来なくて明日以降俺が全く使い物にならなくてもいいなら連絡してみる」
「前言撤回だ」

だろうな、と秋山は枕に埋めた顔で苦笑した。


事の発端は、茨城県結城市でストレインが発見された、という情報がセプター4に届けられたことだった。
局地的という表現を通り越し、ある人物の上にだけ狙い澄ましたかのように雨が降るという嫌がらせみたいな事件が連続して起こり、警察庁がストレインの介在を認定。
指揮権の委譲に伴い、誰かが現地に赴くことになった。
そこで選出されたのが、地方への出張経験をそれなりに積んだ秋山と弁財である。
二人は結城警察署に赴き、事態の対応に当たることとなった。
無論一日二日で片が付くなどと甘く見積もっていたわけではないが、予想以上の難航に秋山も弁財も精神的疲労を感じ始めているところだ。
長期戦を覚悟してホテルを取っておいたのは英断だった。
こういう時、セプター4の潤沢な予算はありがたい。
警察署の仮眠室より快適な空間のおかげで、二人は日中精力的に動き続けることが出来ていた。

地方での捜査において最も厄介なのは、ストレインという存在が現場の警官どころか署長クラスの人間にさえ殆ど認知されていないという点である。
都内であればある程度理解を得られる異能の存在が、隣の県に移動した途端に都市伝説扱いだ。
ストレインとは何か、異能とはどのようなものか、それらを説明するだけでも頭の痛くなる労働である。
さらに困ったことに、ではなぜそのようなものが存在するのかと聞かれると、秋山や弁財にも答えようがないのだから始末に負えない。
結局それらしい口八丁で誤魔化すしかなく、余計に疲労感は増した。

地理に明るくない場所で、パイプの弱い警察署の会議室に詰めて捜査の指揮を執り、それらしい目撃情報が入ればすぐさま現場に急行する。
一連の流れを何度か繰り返したが、未だ犯人逮捕には漕ぎ着けていなかった。


「まあ、あっちはあっちで忙しいんだろう。今日も出動があったんだろ?」
「ああ、ベータ・ケースだったそうだ」

シャワーを浴びる前に、秋山は淡島に定時連絡の電話を掛けた。
そこで聞いた話によると椿門も人手不足で忙殺されているということで、秋山としてはナマエに会いたいという私情を抜きにしても早く事件を解決させて屯所に戻らなければならないという思いを強くした。

「まったく、どこもかしこもだな。石盤とやらは何でこうも精力的なのか」

詮無きことを言う辺り、弁財も疲労が溜まってきているのか。
膠着状態に陥った捜査に苛立っているのは明白だった。

「……あーー、早く終わらせて帰りたい」

枕に顔を埋め、秋山は呻いた。
確かに寮のベッドよりも、このホテルのベッドの方が寝心地は良い。
しかし秋山にとって、寝具の質などは瑣末な事柄だ。
早くナマエの隣で寝たい。
広い幅も柔らかいマットレスもいらないから、愛する人の体温を隣に感じたい。
この出張のせいで潰れてしまったが、一昨日は元々二人揃って非番の予定だったのだ。
一日中ナマエを抱き締めて愛してたくさん触れ合うつもりだったのに、秋山の目論見は泡と消えた。

甘やかな声を上げて乱れる身体を目一杯に愛して、気持ち良くして、一番深いところに受け止めてもらうはずだったのに。

秋山は、脳裏を過ぎった淫らな光景を慌てて振り払った。
こんな時にこんな所で欲情するわけにはいかない。
ビジネスホテルのトイレは壁が薄いのだ。
まさか弁財に、もう一度風呂に入って来る、なんて言えるはずもない。
秋山はゆっくりと深呼吸し、必死に素数を数えた。

「そういえば、もうすぐミョウジさんの誕生日か?」

しかし努力も虚しく、弁財がさらりとナマエの名前を秋山の鼓膜に叩き込む。
恨みがましく、秋山は緩慢に顔を上げて隣のベッドを睨み付けた。
生憎弁財はタンマツを弄っており、秋山の視線には気付かない。

「……ああ、そうだな」

この馬鹿、と内心で罵りながら、秋山は問いに答えた。
弁財の言う通り、ナマエの誕生日は来月だ。

「何か考えてるのか?」
「まあ、色々。ただ、シフトがどうなるかは分からないし」
「それはそうだな」

残念ながら、週休二日制の安定した職場ではない。
仮に当日近くで非番が重なったとしても、事件が起これば休日など関係なくなってしまう。
まさに一昨日がそうであったように、この職業では前々から計画を立てることの虚しさを痛感させられることが多かった。

「ミョウジさんは、あまり興味なさそうだな」
「うん、まあ……そうだと思う」

多分、気にしているのは秋山だけだ。
ナマエは自分の誕生日など全く意識していないだろう。
当日誰かに祝われて初めて気付くような、そういうタイプの人だ。

「ま、精々頑張ることだ。間違っても馬鹿をやらかすなよ」
「どういう意味だ」
「そのままの意味だ。心当たりはあるだろう?」

ここで咄嗟に言葉を返せない程度には心当たりがあり、秋山は黙り込む。
弁財が吹き出すように笑った。

「まあ多分、あの人はお前のそういうところも気に入ってるんじゃないか?」
「……そういうところって?」
「馬鹿正直で嘘がつけないところだよ」
「褒めてるのか貶してるのかどっちだ?」

両方だ、と弁財が口角を上げる。

「……多分ミョウジさんには、全部筒抜けなんだろうな」
「だと思うぞ」
「そう、だよな」
「……だったら連絡の一つくらいくれればいいのに、か?」

弁財が静かに落とした言葉はまさに図星で、秋山は口を噤む。
秋山が自分から連絡を出来ないのに、それをナマエに求めるのは虫の良すぎる話かもしれない。
しかしナマエは秋山と違い、電話やメールをすることに怯えたりはしないはずだ。
別に、長電話をしたいわけでも大層な長文メールを送ってほしいわけでもない。
ただ一言でいい。
おはようだとかおやすみだとか、そんな簡単な挨拶でも構わない。
たとえ側にいなくても秋山のことを思い出してくれたのだと、その証拠がほしいだけなのに。

「あまり甘えるなよ、秋山」
「……ああ、そうだな」

弁財の忠告に、秋山は目を閉じて頷いた。


結局、互いに連絡を取ることは一度もないまま。
秋山が弁財と共にストレインを確保して椿門に帰投したのは、それから更に二日後のことだった。




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