アイシテルの代わりに[1]
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R-18








ナマエが思うに、秋山のキスは巧いというよりも優しい。
秋山の名誉のために言っておくが、決して下手だという意味ではない。
だが技巧云々よりも先に、その優しさを感じるのだ。

僅かにかさついた唇が、音もなく静かに押し当てられる。
正面から、次に少し角度を変えて。
触れては離れ、また触れる。
重なるだけだった唇が、今度は少し啄んで小さな音を立てる。
下唇を食むように柔らかく吸って、温かい舌先でなぞる。
やがて緩やかに唇を割って、中に入り込んだ舌がまるで許しを乞うようにナマエの舌先を突く。
ナマエがそれに応えれば、優しく絡め取って愛撫する。
味蕾を、舌の付け根を、どこにも痛みを与えることなく穏やかに舐める。
歯列をなぞり、頬の内側を擽り、そしてまた舌先を触れ合わせる。
絡まる舌も唾液も呼吸も、頬に添えられた大きな手までもが、全て優しい。
何一つ強要せず、僅かな反応さえ見逃さないようにと慎重に、秋山はナマエに口付ける。
キスをしている間、言葉を紡がない声帯の代わりに、唇と舌が雄弁にナマエへの想いを語る。
好きだと、大切だと、愛していると。
そう言って、馬鹿みたいに優しいキスをするのだ。

いつの間に、こんなキスをするようになったのだろうか。
ナマエはぼんやりと考える。
確か、初めて唇を重ねた時はこうではなかった。
秋山は、小刻みに震えた唇でキスをしたのだ。
仮に人生のファーストキスであったとしてもこうはならないだろう、とナマエが些か心配になるような様相を呈していた。
その後もしばらくは、微かに震えた唇を押し当てるだけの健全すぎるライトキスが続いた。
だから、先にフレンチキスを仕掛けたのはナマエの方だった。
最初に舌で秋山の唇に触れた時、秋山は盛大に慌てふためいて飛び退いた。
ナマエが思わず、滅多に口にしない謝罪をしかけたほどの反応だった。
その後、少しずつ秋山も慣れてきたのか今では舌を絡ませるまでが普通になったが、そこまでは随分と長い過程だった。

そんな辿々しいキスしかしなかった秋山が、気が付けば随分と優しいキスをするようになった。
これまではどちらかというとリードしていたのはナマエだったはずだが、いつの間にか立場が逆転している。
秋山が仕掛け、ナマエが応えるようになった。
成長を見守る、なんて言い方をするのは失礼だろうが、でもナマエは何となく微笑ましい思いだった。

今夜も、秋山のキスはどこまでも優しい。
まるで硝子細工に触れるような手付きで顎を掬われ、丁寧なキスをされる。
そこまで気を遣わなくても壊れたりはしないのに。
だが、それが言うだけ無駄だということをナマエは知っていた。
キスに限った話ではない。
秋山は日常全ての場面において、ナマエに優しすぎるのだ。
遠慮が過ぎる、とも言い換えられるだろう。
常にナマエの挙動に気を配り、ナマエに何もかも合わせ、差し出してばかりいる。
決して自らを強引に押し通そうとはしない。
もう少し傲慢になったって罰は当たらないだろうに。
まるでナマエを中心に世界が回っているとでも考えているかのように、秋山はナマエに尽くすのだ。

実際、そう考えてそうだよなあ。

目を伏せて秋山のキスを受け止めながら、ナマエは少しだけ口角を上げて笑った。
それに気付いたのか、秋山が唇を離す。

「どうかしましたか?」

ほら、とナマエは内心で呟いた。
今も、丁度舌を差し込まんとしていたところだったのに、秋山はナマエの反応に気付いて動きを中断させた。

「んーん、」

ナマエは目を細め、秋山の首に腕を回す。
後ろ髪に指を絡めて続きを促すように少し力を込めれば、秋山は蕩けるような笑みを浮かべて唇を寄せた。
こんな些細なことで、こんなに幸せそうな顔をされてしまう。
秋山は欲がなさすぎると思った。
もしくは、欲を押し殺しすぎているのか。

付き合って半年以上、互いに二十代後半のいい大人、今日はもう風呂まで済ませてあとは寝るだけ、明日は揃って非番。
ここまで好条件が重なり合っているにも関わらず、秋山はこれより先に進もうとはしない。
いつもそうだ。
ナマエにこのままセックスをしてもいいかな、という気があっても、秋山は絶対に手を出して来ない。

「そろそろ休みますか?」

今夜もそれは、変わらない。
手を繋いで、抱き締めて、キスをして、そこで終わり。
十代の学生のような健全なお付き合いを、一体いつまで続けるつもりなのだろうか。
別にナマエは、どうしても秋山とセックスがしたいわけではない。
そんなに性欲が強い体質ではないし、プラトニックな愛を否定する気もない。
しかしここまで何もないとなると、多少は気になってしまうものだ。
ナマエはふと、数日前の弁財の言葉を思い出した。
持って回ったやり方をせず、正面から直接迫ってやって下さい、と。
せっかくだし、試してみようかと思った。
それが駄目でも困ることはない。

「……ねえ、秋山」
「はい」

首の後ろに回していた手を、秋山の頬に添える。
色を乗せて、頬に指先を滑らせた。
こんなことをするのは、何年振りだろうか。
秋山の息を呑む気配がした。

「しよっか」

何の捻りも駆け引きもない、ストレートすぎる誘い文句。
直接的に、と言われればこれしかないだろう。
さて反応は、とナマエが見つめる視線の先で、秋山が目を見開いた。
ついでに口も微かに開いている。
到底信じられないことを言われた、とばかりに硬直した秋山がその後十秒経っても微動だにしないので、ナマエはどうしたものかと頭を捻った。

なにこれ弁財、どうしろっていうの。

ここにはいない同僚に向けて、ナマエは内心で話が違う、と文句を付ける。
秋山にはまだ早かったのだろうか。
否、二十五だか六だかの男に早いなんてことはないだろう。
まさか童貞でもあるまい。
だがとりあえず、秋山にとってこの誘いが想定の範囲外だった、ということは十分に理解出来た。

嫌ならいいよ、と。
ナマエが言葉を足そうとした、その時だ。
頬に添えられたナマエの手に自らの手を重ね合わせて握り締め、秋山がくしゃりと泣き出しそうに顔を歪めた。

「……それは、その、……そういう意味、ですか?」

明らかに震えた声で、秋山が言葉の意味を確かめてくる。
"そういう"意味でなかったら、どういう意味だというのか。
意地悪く問い返したい気持ちを抑え、ナマエは素直に頷いた。
この状況で秋山を追い詰ると、結局は自分の首を絞めることになるのだ。
それはナマエとしても避けたい展開である。

「……ナマエさん、」
「ん?」

秋山は情けなく眉尻を下げ、今にも泣いてしまいそうな顔で小さくナマエの名を呼んだ。
そこに含まれた感情を図りかね、ナマエは続きを促す。

「嬉しい、んです。すごく。貴女に触れることを、許してもらえることが、信じられないくらい、嬉しいです」

自分の恋人を相手に随分と大袈裟な話だと感じたが、ナマエは口を挟むことなく秋山の言葉を待った。

「……もしかしたら、今から俺が言うことは貴女を不快な気持ちにさせてしまうかもしれませんが、」
「なに?」

気分としては嬉しいが身体は欲情しません、なんて言われたら流石に殴ってやろう、と心に決めて見つめた先。
秋山が、悲愴感さえ漂わせて小さく呟いた。

「………室長にも、同じことを許したんですか?」

掠れた声で問われたその内容に、流石のナマエも微かに表情を動かした。




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