願わくば貴女の心を[2]
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弁財の指示の下、第一小隊の隊員たちが拘束された犯人を護送車に押し込む。
撤収作業は滞りなく進んでいた。


「ミョウジさん!」

秋山は、建物を出たところで先を歩くナマエをようやく呼び止めた。
道明寺と並んで歩いていたナマエが立ち止まる。

「先行ってて」

ナマエは道明寺にそう声を掛け、秋山を振り返った。

「なに?」

向けられた視線も声も、先ほどナマエが秋山を庇ったという事実を見出せないほどいつも通りだ。
秋山は勢い良く頭を下げた。

「申し訳ありません!」

あの時、もしナマエが踏ん張りきれなければ、秋山の代わりに攻撃を受けることになったのはナマエだった。
秋山のせいで、ナマエは危険に身を晒したのだ。

「何に対する謝罪?」
「………え、」

頭上から降って来た、いつもより若干冷えた声音に顔を上げる。
ナマエは、真っ直ぐに秋山を見据えていた。

「ミョウジさんに庇って頂くなど、とんでもないことです。俺のせいでミョウジさんを危険に晒してしまい、申し訳ありませんでした」

秋山は、忸怩たる思いで俯く。
ナマエに庇ってもらうなど、あってはならないことだった。
確かに、ナマエの実力は十分に理解している。
秋山よりもよほど強い。
だが、膂力の観点で言えばナマエは男よりも非力なのだ。
そのナマエに庇われたことが、あまりにも申し訳なく、そして情けなかった。

「……何考えてたの」
「え……?」
「あの時、集中力切らしたでしょ。何、考えてたの」

その問いに、秋山は唇を噛んだ。
言葉が出て来ない。
集中力を切らし、油断をしたのは事実だった。
だが、その理由が自分でも思い出せないのだ。
何かに気を取られた記憶もなければ、脳裏に何か別のことが浮かんでいたわけでもない。
秋山はあの時、きちんと状況を把握しているつもりだった。
しかし、ナマエの問いにまさか「別に何も」と答えるわけにもいかず、秋山は押し黙る。
十数秒の沈黙をどう解釈したのか、ナマエが短く溜息を吐いた。

「あのさぁ、秋山。別に、私が庇ったことを問題にしてるんじゃないんだ。そうじゃなくてさ、」

基本的に怒りを露にすることがないナマエに、珍しくあからさまな苛立ちを孕んだ口調で突き付けられ、秋山は拳を握り締めてそれを甘受する。
怒られて当然のことをした。
どんな叱責でも、どんな処罰でも受けるつもりだった。

「……ああ、もういいや、」

しかし途中で言葉を止めたナマエは、一転して投げやりな口調になると、興味が失せたとばかりにひらりと右手を払う仕草で話を打ち切った。
秋山は、急転した態度に戸惑う。

「え……、あの、」
「秋山。もういい」

呼び掛けは躊躇なく遮られ、秋山は叱責も処罰も覚悟していると深謝することさえ許されなかった。
ナマエの目は、すでに秋山の方を向いていない。
ちょうど犯人たちを全員乗せ終えたのか、大きな音を立てて閉まった車両のドアを見ていた。

「秋山、撤収」

まるで何事もなかったかのように、ナマエが踵を返して歩き出す。
そして、思い出したとばかりに肩越しに振り返った。

「それと、今日来なくていいから」

咄嗟に、何を言われたのか理解出来なかった。
一拍遅れて、それがプライベートの話であることに思い至る。
今日は互いに早番なので、ナマエの部屋で夕食を一緒に食べる約束だったのだ。
ナマエの言葉は、その約束を反故にする、という意味に他ならなかった。

ああ、これはきっと、見限られたのだ。

秋山は、遠ざかる青い背を見つめて立ち尽くした。




「……で?お前は何も言えないまま引き下がった挙句にそうやってこの世の終わりみたいな顔をしているわけか?」

弁財の容赦ない追及が、ただでさえ不調を来している秋山の胸に突き刺さる。

「……だって、弁財……」
「その年でだってはやめろと何度も言っているだろうが」

退勤後、寮に戻った秋山は制服の上着すら脱がずに部屋の隅で膝を抱えた。
ナマエとの約束がなくなった以上、秋山には何の予定もない。
仮に何か他の用事があったとしても、キャンセルは確実だっただろう。
弁財の指摘通り、秋山は今この世が終わりを迎える気分を味わっていた。
秋山の世界においては中心がナマエなのだから、当然の結果だ。

「……怒っても、くれなかったんだ」

秋山とて、身の程知らずではない。
まさかナマエが「大丈夫?」だとか「間に合って良かった」だとか、そんな、誰何を問いたくなるほど優しい言葉をかけてくれるなんて微塵も思ってはいなかった。
しかし、叱責はされると予想していたのだ。
普段、隊員たちが何かミスを犯しても苦笑と共に嗜めるくらいで基本的に怒らないナマエだが、秋山も今回ばかりは身構えた。
怒られると、怒ってくれると思っていたのだ。
しかしナマエは、苛立ちすらきちんと秋山に向けてくれなかった。

「どうでもいい、って感じだった」

怒る、という行為は、笑うよりもよほどエネルギーを消費する。
他人を褒めるより、叱る方が何倍も大変だ。
秋山は、普段ナマエが怒らないのは、もちろん元々の気質や、他人に感情をそのまま曝け出さないという習慣も理由として含まれているのだろうが、何よりも、それが面倒だからではないかと思っている。
つまり先ほど、ナマエは面倒だったのだろう。
ナマエにとって秋山は、わざわざ怒ってあげる価値もない相手だったのだ。

「……もっときちんと、謝りたかったのに」

秋山が自己嫌悪に陥っている最大の理由は、自分のせいでナマエを危険に晒したということだった。
もし万が一、あの時ナマエが怪我を負っていたら。
秋山は、己を一生許せなかっただろう。

「ミョウジさん、なんで俺なんか庇ったのかな……」

もういいや。
来なくていい。
まるで、遊び飽きた玩具を捨てるような躊躇のなさで、ナマエは秋山を切り捨てた。
それなのに、どうして庇ってくれたのだろうか。
なぜ、危険だと承知の上で飛び込んでくれたのだろうか。

こんな風に捨て置かれるなら、いっそ。

「俺が、斬られてればよかったのに、」

秋山が膝頭に顔を埋めて独り言を零した言下、その頭に弁財の拳が落ちた。




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