今はまだ教えてあげない[2]
bookmark


秋山とナマエの関係を知るのは、特務隊の中では弁財だけだった。
ナマエに、誰にも言うなと口止めをされているわけではない。
交際を明かすのか否か、秋山とナマエとの間で話し合いが持たれたことはなかった。
もし口外するなと言われていれば、秋山は弁財にだって報告しなかっただろう。
もちろん夜に部屋を空ける度に不審に思われ、勘付かれたかもしれないが、秋山はナマエが隠せと言うならば絶対誰にも口を割らなかった。

ナマエから何も言われていないので、秋山は弁財にだけ事情を説明した。
国防軍にいた頃から、ずっと相談に乗ってもらってきた相棒だ。
話しておきたいと思った。
しかしそれ以外のメンバーに対しては、秋山は何一つ真相を明かしていない。
ナマエの職務中の態度から、きっと周囲に知られてはいけないのだろうと憶断したからだ。
だから加茂も道明寺も日高も、秋山とナマエが付き合っていることは知らないままだった。

「ミョウジさんはさ、なんかこう、すげー人と付き合いそうだよな」
「なんすか、すげー人って」
「なんていうの?ほら、例えば室長みたいな?」
「えっ?!室長っすか?!」
「いや、例えばだよ例えば」
「ああでも、ナシじゃなさそうっすよね。……え、付き合ってないっすよね?!」
「知らねーよ。でもまあ、そんな感じじゃあないよな」

好き勝手に盛り上がる道明寺と日高の言葉が、まるで重石のように秋山の胸に落ちて積み重なる。
完全に駄目出しをされている気分だった。

「ナマエさんって、彼氏とかいるのかな」
「聞いたことないな。加茂は?知ってる?」
「……いや、知らないな」

秋山は目を伏せ、口を突いて出てしまいそうな言葉を焼酎で流し込んだ。
言えない、言えるはずがない。
だけど、言ってしまいたい。
あの人の恋人は自分なのだと、声を大にして突き付けたい。
しかし、そういうわけにはいかないのだ。

「俺、俺っ、立候補してみようかと思うんすけどっ!」
「無理だからやめとけ馬鹿」

それが、酒の勢いによる冗談なのだと、理性では分かっている。
だが同時に、そんな冗談であったとしても、目の前で自分の恋人に欲を向けられているのに黙っていることしか出来ない自分が、酷く矮小に思えた。
弁財がちらりと気遣うような視線を向けて来るのが分かるが、それに対し笑って見せることも出来ない。

例えば俺が室長のような人だったら、ナマエさんは関係を隠したりしなかったのだろうか。

自らの未熟さが、この状況を招いているのかもしれない。
秋山がもっとナマエに相応しい男であれば、関係は公にされたのかもしれない。
考えたところで栓なきことと分かっていても、秋山の思惟は暗澹たる深みに嵌った。


「秋山もさぁ、そろそろ誰か他の子探せばいいのに。こないだ、庶務課に可愛い子入ったって噂だぞ?」
「……へえ、そうなんだ」
「いい年して、望み薄な相手にずーっと感けてていいのかよ」
「おい道明寺、それは喧嘩を売っているのか」

いい年、の部分を利用して、弁財が間に割って入る。
道明寺が、しまった、とばかりに弁財と加茂に言い訳を繰り出す姿を横目に、秋山はグラスを回して嘆息した。
道明寺や日高は、良くも悪くも嘘をつかない。
思ったことをそのままストレートに口に出す。
それは社会人として非常に危うい欠点であると同時に、一人の人間としては感嘆してしまう美点でもあった。
その道明寺が言うのだから、端から見た秋山は、叶わない想いを抱く諦めの悪い男なのだろう。
秋山はこれといって、自らに対する周囲からの評価を過剰に気にするたちではなかった。
常々、大切なのは己がどうしたいかであり、評価は後から勝手について来るものだと思っている。
しかしナマエとのことに関しては、不憫な目で見られているということが、どうにも心に引っ掛かりを残した。
別に、自分が憐れまれることを疎むわけではない。
ただ、ナマエも同じように「懲りない男だ」と思っているとしたら、それは耐え難いことだった。


六杯目の焼酎を飲み干し、秋山は少し逡巡する。
明日も仕事だ。
これ以上はやめておくべきだろう。
だが胸の閊えをどうにかしたくて、卓上の呼出ボタンに手を伸ばす。
と、その時不意にジャケットのポケットからタンマツの着信音が鳴った。
四人の視線が一斉に集まる。

「悪い」

秋山は端的に詫び、探り当てたタンマツを取り出した。
そして、画面に表示された名前に目を見開いた。
ミョウジナマエ。
まさにたった今まで秋山の脳裏に浮かんでいた人からの、しかもメールではなく電話の着信を告げるタンマツに、秋山は数秒間硬直し、我に返ると慌てて立ち上がった。
訝しげに見上げてくる同僚の視線を丸ごと無視し、個室の障子戸をスパンと叩きつけるように開ける。
そのまま手洗い用に備えられたサンダルを引っ掛け、通路に飛び出した。

「ーーはい、秋山です」

大股で数歩、個室から少し距離をとってから通話のアイコンをタップしてタンマツを耳元に近付ける。
ナマエから職務中以外に電話が掛かってきたのは初めてのことだった。

『お疲れ、今どこ?』

鼓膜に直接流し込まれるような声に軽く身震いしながら、駅前の居酒屋で飲んでいる旨を告げる。

「何かありましたか?必要であれば、すぐに戻りますが」
『ああうん、別に大したことじゃない』

店員に目配せしてから、店の外に出た。
涼しい空気に晒され、酔っ払いの喧騒から解放される。

「大したことじゃないって……そんなことはないでしょう」

ナマエの口調と言葉から察するに、この電話は業務連絡ではない。
それなのに掛けてきたということは、何かがあるのだろう。

『秋山。ほんと、どうでもいいことなんだって。わざわざ抜けて来てもらうようなことじゃないからいいよ』

暗に、席に戻れと促され、秋山は唇を噛む。
今この瞬間寮の部屋にいればナマエに会えたのかもしれないと思うと、あまりのタイミングの悪さに後悔が募った。

「聞かせて下さい、ナマエさん」

せめて電話の理由だけでも聞きたくて、秋山は食い下がる。
電波の向こうに数秒の沈黙が落ち、やがて小さな溜息が一つ。
その音に秋山が身体を竦ませる前に、耳元から諦念の混じった苦笑気味の声が聞こえた。

『ちょっと、声が聞きたかっただけだよ』

息を呑む。
秋山がタンマツを取り落とさずに済んだのは、奇跡に近かった。

ナマエさんが、そんな、そんなことを、俺に。

次の瞬間、秋山の取るべき行動は決まっていた。

「ナマエさん、今どちらですか?」
『ん?ああ、今部屋に戻って来たところだけど?』
「そこにいて下さい」
『……え、秋山?なに、』

通話終了に、指を滑らせる。
そのままタンマツをジャケットのポケットに仕舞い、秋山は駆け出した。
元いた座敷の方ではなく、屯所に向かって。
現場でも早々披露することのない、本気の全力疾走だった。


数分後、全身汗だくで息を乱し、居酒屋の名前がマジックで書かれたスリッパを引っ掛けて部屋に駆け込んで来た秋山を見て、ナマエは盛大に笑った。



prev|next

[Back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -