今はまだ教えてあげない[1]
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「秋山ってほんと懲りないよなぁ」

呆れたような笑みと共にさらりと零された一言が、殊の外強く胸に突き刺さった。


数日間、事件のない平和な日が続いていた。
セプター4はひとたび事件が起きれば昼も夜もない忙しさに見舞われるが、ストレインが大人しくしていてくれると一転して業務は単簡としたものになる。
戸籍課に登録されたストレインへの定時連絡や聞き取りなどのルーティン化された管理業務は主に一般隊員が受け持つため、特務隊はその確認をするだけでいい。
各省庁との手続きや宗像の護衛など、もちろんそれなりに仕事はあるが、どうしても事件を抱えている時に比べて気分が緩むのは致し方ないことだった。

この日、淡島とナマエは以前捕縛したストレインの関係で裁判所に出向いており、伏見は非番。
特務隊が詰める情報処理室は上役の不在を受け、普段よりも雑談の多い和やかな雰囲気が漂っていた。
手よりも口を動かしているのは主に道明寺と日高だが、いつもならば私語を叱責する弁財も苦笑を零すに留まり、秋山や加茂もその状況を黙認した。
誰も敢えて口には出さなかったが、たまにはそんな日があってもいいだろう、と思ったのだ。
もちろんここに淡島がいればそんなことにはならないのだが、鬼の居ぬ間に何とやら、である。
そんな気安い空気の中で定時を迎え、このまま飲みに行こう、という流れになったのはごく自然なことだった。
言い出しっぺは恐らく道明寺か日高で、しかし秋山たちにも特に断る理由はなかった。
手早くデスクを片付け、情報室を後にする。
男五人で繰り出したのは、椿門の駅前にある大衆居酒屋だった。

平均年齢が二十代前半ともなれば、求めるのは質より量である。
学生とサラリーマンで埋め尽くされたような安い居酒屋の座敷に腰を下ろし、テーブルには肉を中心とした高カロリーな大皿料理が並んだ。
生ビール、ハイボール、酎ハイと、グラスが次々に空いていく。
未成年の道明寺はカルピスソーダを飲んでいたが、まるで酔っ払いと変わらない様相を呈していた。

アルコールの回り具合によって、話題はどんどん移り変わっていく。
最初は業務の話から始まり、同僚の話、酒の席だからこそ零れる上司に対する冗談交じりの愚痴、最近のマイブームに悩み事。
一通り健全な話題を通過し、それぞれがグラスを五杯程度ずつ空にした辺りから、僅かに色の乗った話題に切り替わった。
男五人で飲みに行けば、大抵そんなものである。
巨乳がどうの、いやそれよりも顔がどうのと盛り上がるのは日高と道明寺で、どちらかといえばその手の発言を控える傾向にある秋山や弁財、加茂は聞き手に回る。
それでも酔っ払った日高と、酔っ払っているはずもないのにハイテンションな道明寺は、三人を巻き込まんと躍起になった。
女性の好み、過去の交際話、恋愛の失敗談。
次々に振られる話題を、秋山たちは苦笑と口八丁で躱していく。
しかし脳内に回ったアルコールの影響か、時折ふと本音で答えてしまっては嬉々として弄られる弁財がいたり、つい口ごもったところを追及される加茂がいたりと、年長者組が珍しく押され始めた。

「秋山さんは?秋山さんもなんかこう、ぽろっとうっかり喋っちゃって下さいよ!」

アルコールに頬を上気させた日高に催促され、秋山は苦笑した。
促されてぽろっとうっかり喋っちゃう、のは無理がある。

「なんか面白いネタないんすか?こっぴどく振られたーとか、二股かけられたーとか、セックスが下手だって言われたーとか」

ひどい振りである。
しかし秋山は、日高のそういうところが嫌いではなかった。
先ほどからずっと喋り通しているが、日高は絶対に相手の女性を悪く言わない。
それが過去の出来事であっても、あくまで自分の失敗談として語り、相手を批判したり貶めたりはしないのだ。

「残念だけどそういうネタはないな」

過去の恋愛を何となく反芻し、秋山は特別何の思い入れもないことに気付いた。
初めて女性と交際をしたのは、高校生の時だったと思う。
確かバレンタインデーに告白されて、付き合うことになった。
しかし秋山は、その時の相手の顔も名前も思い出せなかった。
その後、大学時代に一度、別の女性と付き合ったことがある。
確か同じゼミの人だった。
こちらは薄ぼんやりとではあるが、顔は覚えている。
だが名前までは思い浮かばなかった。
秋山の恋愛遍歴は、それで全てだ。
特別な思い出もなければ、別れがどのような形だったのかも思い出せない。
日高の言うセックスも、大学時代に交際した女性とは何度か関係を持ったはずだが、その内容がどのようなものであったかまでは覚えていなかった。

「えええ、秋山さんモテそうなのに!」

秋山は、自分が女性の目を引くのか否かなど、考えたことがない。
過去に、自ら告白してまで付き合いたいと思うほど好きになった女性もいなかった。

恋い焦がれる。
視線で追い続け、少しでも傍にいたいと願い、言葉を交わすだけで心が浮き立つ。
愛しくて、何よりも大切で、その人の全てが欲しくて堪らない。

そんなふうに想う相手は、ナマエが初めてだ。

ここにはいない人を思い浮かべ、秋山は胸の奥が震えるのを感じた。


「日高、やめとけよ。秋山はミョウジさん馬鹿なんだから、それ以外のネタなんて出て来ねーって」

面白くない、と唇を尖らせた日高の背を、明らかに力加減を間違えた道明寺が思い切り叩く。
いってえ、と日高が呻いた。

「な、秋山?」

物の見事に図星を指され、ちょうどナマエのことを考えていた秋山は言葉に詰まる。
その一瞬を、馬鹿二人は見逃してくれなかった。

「ああ、確かに。秋山さん、ナマエさんのこと大好きっすもんね!」
「そーゆーこと。この馬鹿はミョウジさんしか見えてないから、過去のオンナのことなんか覚えちゃいないって」

何の悪気もない無邪気な笑みを浮かべる日高と、若干の含みを持たせた道明寺。
秋山は曖昧に笑った。
日高が何の衒いもなく呼ぶ「ナマエさん」に嫉妬しただなんて、到底明かせるはずもない。

「いーっつも見てんだもん。秋山、前からずっとそうだよな」

否定出来ないところが、なんとも辛かった。
秋山は、自身のナマエに抱く好意が筒抜けであることは自覚していたが、流石にこうも真正面から指摘されると居た堪れないものがある。

「いいじゃないっすか、ナマエさん。強いしめっちゃ頭いいしカッコいいし、なんかもう憧れるっていうか、いいっすよね、ああいう人!」

日高が目を輝かせて語るナマエは、まさに職務中のナマエが周囲に与える印象そのものだった。
可愛い、綺麗、そんな女性向けの賛辞よりも先に、格好良い、という言葉が思い浮かんでしまう人。
日高は随分とナマエに懐いている様子だった。

「秋山ってほんと懲りないよなぁ」

グサリ、と。
道明寺が何気なく零した台詞が、胸に突き刺さる。

「ミョウジさん、まるで興味なしって感じなのにさ。秋山、全然諦めないんだもん、すげーよ」

道明寺、その辺にしておけ、と。
窘める弁財の声が、どこか遠くで聞こえた。




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