[3]緩やかに前へと進む日々
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ナマエの読書ペースは、宗像が驚きを通り越して若干の呆れを感じるほど速かった。

一日に二十冊を超える書籍の内容が、ナマエの脳にインプットされていく。
それはジャンルを問うことなく、まるで乾いたスポンジの上に零れた水のようにナマエの中に吸収され、そして定着する。
視力が回復した一月後には、宗像の書斎に並んだ本は全てナマエに制覇されていた。
さらに書籍を購入することも吝かではなかったが、なにせ場所を取る。
十冊二十冊購入したとてすぐに読み終えてしまうので、きりがない。
そう判断した宗像は、書斎に置いてあるPCの使い方をナマエに教えた。

とある日曜日の夜、PCをリビングに持ち出し、電源の入れ方やキーボードの扱い方、簡単なゲームの仕方やネットの使い方など、基本的なことを教え、明日から好きに使っていいと告げた。
すると翌日、ナマエは完璧なブラインドタッチをマスターし、凄まじいスピードでキーボードを叩き宗像を瞠目させた。
水曜日には、PCとインターネットの仕組みを余すところなく理解した。
金曜日には自力でプログラムを組み立て、宗像のPCのセキュリティを強化してみせた。
そして土曜日の朝食の席で、このPCのスペックだと物足りない、と言って専門用語を羅列し、宗像を苦笑させるに至った。
宗像は午前中のうちにナマエを連れて電器屋を訪れ、その場でナマエのリクエスト通りのPCを購入した。

「君は本当に、何をさせても優秀な子ですねえ」

宗像とて、機械に弱いわけではない。
それどころか、人並み以上には理解している方だ。
だが、ナマエには到底敵いそうもなかった。

インターネットという世界を知ってから、ナマエの知識はさらにその幅を広げ、量を増やした。
無尽蔵に溢れる情報を取捨選択し、必要なものを吸収し、理解し発展させ、そして応用をきかせて生活に取り入れる。
それを日々目の当たりにする宗像は、ナマエの優秀さに舌を巻くと共に、そうでなければ生きていられなかった境遇を思い、胸を締め付けられた。


ナマエが自らの過去を宗像に打ち明けたのは、視力が戻ってから半月が過ぎた頃のことだった。

その日もいつもの通り、夕食を済ませ一段落したところで、風呂に入ろうということになった。
風呂といっても湯船ではなく、シャワーだ。
水を怖いと言ったナマエは、一ヶ月半経っても未だその恐怖には勝てず、毎日シャワーで済ませていた。

「ナマエ、シャワーを浴びにいきましょうか」

宗像は着替えとバスタオルを用意し、リビングで本を読んでいるナマエに声を掛けた。

「…………ん、」

文字を追っていた視線を宗像に向けたナマエが、曖昧に頷く。
そこに躊躇を見つけ、宗像は内心で首を傾げた。
最初の頃ならともかく、最近ではシャワーにも大分慣れてきた様子だったのに、どうかしただろうか。
宗像は問い質すことなく、黙ってナマエの次の行動を待った。

「………礼司さん……お風呂、入りたい……?」

その言葉に、宗像はおや、と目を瞬かせた。
本来、十七歳という年齢では到底考えられない国語力を持ち合わせているナマエの言葉遣いがひどく幼くなるのは、何かを不安に感じていたり恐れていたりする場合が多い。

「今日は入りたくありませんか?私も今日は外出していませんので、入らなくても構いませんよ?」

基本的に宗像は、外出していようがいまいが風呂には毎日入る。
だが、いまそのようなことはどうでもいい。
今日はやめておきましょうか、と微笑んだ宗像の前で、ナマエは困ったように言葉を探した。

「そうじゃ、なくて………湯船、つかりたい……?」
「……え?」

宗像は驚いた。
ナマエの口から湯船という単語が出てきたのは、初めてだった。
どういう心境の変化だろうか。

「………この本で………疲れてる時は、湯船につかるのがいいって………礼司さん、いつも………大変、だから……」

俯いたまま、ぼそぼそと小さな声で漏らされた言葉たちに、宗像は感極まった。
大股でナマエに近寄り、その身体を抱きすくめる。

「ナマエ……!!」
「わ、……っちょ、礼司さん……っ」

ぎゅうぎゅうと強く抱き締められ、ナマエは慌てたように身を捩った。
だが、そこに抵抗はない。
驚きはあっても、宗像を恐れることはない。
それが、宗像にとっては堪らなく嬉しい。

「ナマエ、君は優しい子ですね」

読書の最中に、風呂の効用について知ったのだろう。
そこで、いつもナマエに合わせてシャワーしか浴びない宗像を心配したのだ。
そう理解し、宗像は胸が熱くなる。
ナマエが宗像に対し気を許すばかりでなく、宗像を気遣うようにもなってくれた。
そのことが、ただただ嬉しい。
いつも大変だから、だなんて、そんなことはないのに。
きっとナマエは、宗像が毎日家のことを熟しているのを見て、そう思ったのだろう。
宗像にしてみれば、ナマエのための行為は何一つ苦にならない。
ナマエに温かい食事をとらせてやりたいし、それを残さず食べてくれれば嬉しい。
ただ、それだけのことなのに。

「………では、一緒に入ってみますか?」

宗像とていつか、ナマエを湯船に入れてやりたいとは思っていた。
血行も良くなるし、身体を温めれば良質な睡眠にも繋がる。
だがそれは、精神に多大なる負荷をかけてまですることではなかった。
しかしナマエからそう言ってくれたのであれば、今が挑戦してみる時なのだろう。
宗像の腕の中、ナマエがおずおずと頷いたのを確認して、宗像はそのままナマエを抱き上げた。




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