鳥籠の鍵はやがて外れ「君のお姫様、随分と人気みたいだね」
ねえ、土方くん、と。
気持ち悪いほどにこやかに同意を求められ、ぐっと奥歯を噛み締めた。
ここで下手なことを言えば墓穴を掘ることになると、経験則が警鐘を鳴らす。
そんな俺の様子を楽しむかのように、窓際に凭れかかった上官は喉を鳴らした。
「最初から、男にしては随分と華奢だとは思っていたけどね。まあ、流石にもう誤魔化せないもんねえ」
机に広げられた書類に意識を向ける。
訓練の報告書、戦闘演習の予定、武器弾薬の管理報告。
白い紙をびっしりと埋める文字を追った。
「彼女が何て呼ばれてるか知ってる?」
島田の元で銃の扱いを学んでいた隊士が怪我を負った。
ここ数日続く大雪の影響で、演習は延期。
仏蘭西から取り寄せた弾薬は、
「戦場の女神、だってさ。なんだかそれって、」
「大鳥さん!」
字面を上滑りしていく思考がついに限界を訴え、絶え間なく続く上官の軽口を遮った。
書類から顔を上げれば、そこには悪戯が成功した童のような笑みを浮かべた大鳥圭介陸軍奉行がいた。
「なんだい、土方くん」
大鳥さんの白々しい態度に、頭が痛くなる。
蟀谷を曲げた指の関節で揉めば、じわりと痛みが移動した。
「……なんでもねえよ、」
この人とは、言い争うだけ無駄だ。
そんなこと、とっくに分かっていた。
飄々としていて掴み所がなく、いつも笑っている姿はとても俺より年上には見えねえ。
だが、ともすれば軽薄にも思えるその態度の裏には、冷静で知的な策士としての一面が隠されている。
俺にとって大鳥さんは、尊敬に値する知将だ。
だが、たとえそうだとしても。
この手の揶揄を黙して聞き流すのは至難の技だった。
そして大鳥さんも、それを分かっている。
その上で、暇を見つけては俺の所にやって来るのだ。
大きく息を吐き出し、椅子の背もたれに身体を預けたその時。
こんこん、と部屋の戸が叩かれた。
最近ようやく慣れてきた、西洋式の入室の合図だ。
「噂をすれば、かな?」
そう言いながら振り向いた大鳥さんの視線の先。
入って来たのは、予想通りナマエだった。
「失礼します、土方さん………あ、申し訳ありません。お話し中でしたか、」
ナマエが大鳥さんの姿を認め、慌てて頭を下げる。
そんなナマエを見て、大鳥さんはにこやかに笑った。
「大丈夫だよ。僕はただ、ちょっと君の上官を揶揄って遊んでいただけだから」
あっけらかんとそう言ってのけた大鳥さんに、ナマエが反応に窮して苦笑する。
俺はもう一度溜息を吐き出し、重い腰を上げた。
「大鳥さん、あんたはそろそろ仕事に戻ってくれ」
出来れば、言いたくない台詞だった。
案の定、俺を振り返った大鳥さんは、楽しげに目を細める。
「つまり、僕はお邪魔ってことかな?」
それを言葉の通りに受け止められたならば、何も問題はねえ。
その通り、いつまでも雑談をしていれば仕事に差し支える。
だが、言葉の裏に隠された意味に気付いている俺としちゃあ、気まずいことこの上なかった。
疚しい気持ちがないとは言えねえだけに、尚更だ。
だが、今はそれでも構わなかった。
揶揄されようが、笑われようが。
「そう言ったつもりだぜ、大鳥さん」
俺の言葉に、大鳥さんは珍しく意表を突かれたような顔をした。
そして次の瞬間、破顔した。
「まさか君のそんな顔を見られるなんてね。素直な君に免じて、ここは大人しく引き下がろうかな」
ばつが悪いことこの上ねえ。
思わず漏らしそうになった舌打ちをぐっと堪えながら、じゃあね、と部屋を出て行く後ろ姿を見送った。
「すみません、お邪魔してしまいましたか?」
部屋の戸が閉まってから、ナマエが俺に近寄ってくる。
男物の服を身に付け腰に刀を差してはいるものの、確かにもうその性別を偽ることは出来ちゃいなかった。
「いや、そんなこたねえよ」
理解していたつもりだった。
今更男の形をさせたところで、もう性別をごまかせるはずもねえ。
いくら刀を振るったとて、滲み出る雰囲気は女そのものだった。
そんなナマエが、この男ばかりの場所でどう扱われるのか。
「……分かっちゃ、いたんだがな」
不思議そうに首を傾げたナマエに近付き、その身体を抱き寄せる。
大人しく腕の中に収まった姿を見下ろして、ようやく苛立ちが凪いだ。
「土方さん?何かありましたか?」
「いや……なんでもねえよ」
結局のところ、どこにいても同じことだ。
試衛館にいた頃も、京の屯所時代も、そしてこの蝦夷の地でも。
この腕の中に閉じ込めて、独り占めしていたい。
ただ、それだけのことなのだ。
それが所詮叶わねえ願いだと、知っていても。
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