初めて両親と喧嘩をした。理由は些細な事だったと思う。勝手に怒って怒鳴り散らして、止める声も無視してそのまま家を飛び出した。心配しているであろう両親の顔を思い浮かべて、やっぱり…と思いとどまって帰路についたのは日が暮れてからだった。扉を開けて真っ先に鼻についた血の匂いを辿って奥まで踏み入れれば、父が母に覆い被さる形で死んでいる2人の姿。目の前に広がる血の海を見ながらぼんやりと数時間前まで笑顔だった両親の顔を思い出していた。どうして、誰が、何のために。自分に問うても答えなんて分からない事を延々と心の中で繰り返す。
ぎしり、と床が軋む音が微かに聞こえる。この時の私は両親を殺した犯人が未だ近くにいるかもしれないという懸念さえ抱けなかった。否、抱く事さえしなかった。両親が死に自分1人で生きていくという選択肢は元よりなかったから。2人が死んでいる部屋の襖の陰からぬるりと何かが這い出てくる。人ではないと何故か直感した。窓から僅かに射し込んだ月の光がその何かを照らした時、その直感は当たる事になる。ギラギラと怪しく光る双眸。赤黒い液体が口元から顎を伝って床に落ちる。薄く開いた口元に見えたそれは鋭く尖った牙。溜息にも似た濃い息を吐き出すそれは、今まで生きてきて見た事がなかった。

「…っ!」

ひゅ、と喉が鳴る。どっと身体中から吹き出る汗を拭う事も出来ずに、かと言ってそこから動く事も出来ず。ただ傍観する私と得体の知れない何かの目が合った。

瞬間、私は死ぬのだと確信した。
その牙と爪で喉を、腹を、脚を裂かれて死ぬのだと。大切な両親を失った時点で死ぬ事は決まっていたのだから手段がどうであれ、遅かれ早かれこうなっていた。そうやって自分を納得させこのまま身を委ねる。

筈だったのに

どうしてだろうか。私の手に握られているのは玄関に立て掛けてあったただの棒きれで。何の役に立たないであろう、それでもそれを両手で握り締め構える。突然の出来事と両親を失った喪失感。悲しみ。ごちゃごちゃな負の感情が頭を支配して、この時の私は冷静な判断等出来る筈も無かったのだ。

「…父と母を手にかけたのはお前か」

奴に届いたかどうかも分からない声量で問う。答えには期待していない。実力の差は歴然で、私が仕掛けた所で結果は目に見えている。けれど死ぬ前に…一矢報いてやる。両親の仇をとってやる。馬鹿げた考えだも分かっていたけれど両親が死んだ時の痛みや苦痛を考えたら。こんな化け物に殺された両親の無念を考えたら。ふつふつと沸き上がってくる怒りによって感じていた恐怖は完全に存在を消した。

脚に力を込め、一気に距離を詰める私に少しだけ怯みを見せた"何か"。その隙のおかげで首元に鋭い爪が食い込む前に身を捩らせ何とか避ける。が爪先が肩口に掠ってしまい、鮮血が床や箪笥に飛び散った。少し当たっただけなのに傷が深いのだろうか、再び棒きれを構えるだけで傷口が悲鳴をあげる。

「…化け物め…!」

棒を持つ手に力が入らない。血で滑って上手く掴めない。でも、このまま簡単にやられてたまるか。痛む身体を無理やり動かして私はそのまま"何か"の頭頂部目掛けて腕を振り下ろす。

振り下ろした瞬間だった。視界は青に遮られ、温もりに包まれる。私の手からはいつの間にか棒きれは無くなっていて、誰かの腕の中に抱き抱えられているという状況を把握するのには時間を要した。恐る恐る顔を上げると天狗の面を付けた男性があの"何か"と睨み合っていて、その手には紛うことなき真剣が握られている。刀身全体が薄く青がかっていて普通の刀とは何かが違う。

「少し目を瞑っていなさい」

男性の声を聞いて、咄嗟に目を瞑ったと同時に"何か"が発したであろうくぐもった声と、何かがさらさらと空気に溶けていくような不思議な音が聞こえた。

「もう大丈夫だ」

大きな掌が私の頭を撫でる。安堵と、悲しみが勢いよく溢れ出して名前も知らない人の腕の中で声を上げて泣いた。
泣き疲れてか、緊張の糸が切れてか、私の意識が無くなるまでその人はずっと私の頭を撫で続けてくれたのだった。




最初
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -