ああ、そんな顔が見たいんじゃないのに、


そんなに眉間に皺を寄せて、そんなに悲しみの色を携えて。違う。そんな顔を見たいんじゃないのよ。いつもみたいな、そう、片眉を上げて自信に満ち溢れた笑顔が見たいのに。 「…ね、……わら、て、泣か、な…で」音を絞り出した口は、とても自分のものとは思えなかった。「馬鹿、しゃべんな、すぐに船医が来っから、な?それまで頑張れ」励ましているはずなのに、サッチの顔は、わたしの体を支える、震える腕は、きっと大丈夫なんて思ってない。彼は幾度も修羅場を潜ってきた強者なのだから。本当はわたしがもう保たないことも分かっている。「サ、…ち」「ん、どした、」不安に揺れる 顔がわたしの声を聞き取るために近づいてくる。腹部の傷から止まることなく湧き出る赤。自分の手と、それをすっぽりと覆ったサッチの大きな手が傷口を押さえているはずなのに、そんなの意味を持たないと嘲笑うかのようにどんどん体内から逃げていくわたしの生きるための水。どくどくという音は、わたしの全体を支配している。違う。聞きたいのはこの音じゃない。空いた手を、近くなったサッチの顔へと伸ばす。「、サッチ」弱々しく添えた手は今にも力が抜けそうだ。「あんだよ」「ね、す、きだよ」「…」「あい、してる、」「…っ」「ごめ、ね」「っ、…名前」今までで一番歪んだ愛しい人の表情。落ちる、と思った手は温かいものに力強く包み込まれた。わたしの手を握ったサッチのそれが、サッ チの頬に押しつけられる。代わりに、傷口から溢れてくる血液の量が増した。真っ白なコックコートの袖が、驚愕する程に赤に染まっていて申し訳ないことをしたな、なんて場違いなことが頭を過ぎった。「なァ、馬鹿、死ぬなよ名前、なァ、お前が隣に居ねェとおれァ駄目んなっちまうって…、な、名前、」ごめん。ごめんね。頭の中ではこんなにも響くわたしの声は、最も聞いて欲しい人の耳にはこれっぽっちだって届かない。ああ、目蓋が重い。もうそろそろお別れの時間。後悔は山のようにあるけれど、今ひとつはっきり浮かぶのは――。


『おれ、この花好きなんだよなァ』


いつだったか、ぽつりと横で零れた言葉。サッチの目線の先には小さな白 の、柔らかな花をつけた、カスミソウ。急に花なんてどうしたのかと思ったけれど、その瞳があまりにも優しくて。いつ、どこで、なんてさっぱり覚えていないのに、その言葉と穏やかな表情だけがわたしの記憶に残った。


直前の上陸でふと思いついた。カスミソウの大きな花束を買ってサッチに渡したら驚くのではないかと。「普通、逆だろ?」とか言って顔をしかめて。それでもきっと、そのしかめっ面をうっすら赤くしたりして。普段はこっちばかりがサプライズされてるから、たまにはわたしからなんて。「何してんだ?置いてくぞ」でもその時は驚かせたい本人が一緒に居たし、もっと段取りをきちんと立ててからの方がいいかと思い直したのだ。別に急ぎではないし、と。いつでも出来るからと高を括っていたのだ。まさか 、こんなことになるなんて。


「名前!!!」



宇宙船に乗り込んで一番後悔したことは、
あなたの好きなを摘まなかったこと。




途絶えた意識が浮上すると、そこは今まで一度も見たことのない景色が広がっていた。目の前には海。わたしは小さな入江のような場所に膝を立てて座っていた。わたしは敵から刺されて命尽きたはずだ。あの出血ではまず助からない。サッチだってそれを悟っていたからあんな顔を…、そうか。つまりここは、そういう場所なのだ。大方、眼前に広がる海の向こう側が今までわたしが存在していた世界なのだろう。
隔たれた世界から目を背けたくて、でもこの場を動く気にもならずわたしは再び膝へ顔を埋めた。


(みんなに、…サッチに会いたい…)


それが叶わぬ夢であることなんて、自分が一番分かっているのに、。
それでもあの大家族に慣れてしまった自分にはこの静寂が、あのお調子者で格好つけで、それでいてすこぶる優しい人物の温かさを知ってしまった自分には隣の温もりがないことが、あまりにも寂しすぎた。



「…何してんだよ、こんなとこで」



可笑しいな。逢いたいっていう気持ちが強すぎて、幻聴が聞こえる。


「名前」


みんなと居る時よりも低く、落ち着いたトーン。わたしはこの声に逆らえた記憶がない。引き寄せられるように、重い頭をゆっくりと起こす。まず目に入ったのは自分に差す影。わたしの周りには影を作るようなものはなかったはずだ。そして白いズボン。白いコックコート。首元に巻かれた黄色のスカーフ。歪む視界。人というのは死んでも泣けるものなのか。震える口から零れた「な、んで、」は、今度はきちんと伝わった。気まずそうに視線を逸らし、頬を人差し指で掻く。困ったときいつもするその仕草。目の前にいるのは、紛れもなく、わたしが今しがた強く欲した人物だった。
溢れる涙は、会えた嬉しさなんかでなく、彼が、サッチが私と同じ場所にいるということに対して。だって。サッチが、ここにいるということは。




「あー、…ちとしくっちまってよ、」




彼もまた、命を落としてしまったということだ。あの、サッチが。
普段はヘラヘラしてばかりいるけれど、彼だって白ひげ海賊団の隊長の一人なのに。そんなに強い敵がサッチを襲ったのだろうか。

相も変わらずぼやけたままの視界。それでもサッチが苦笑を漏らしているのが分かってしまうのは、長年彼の横に居たからだ。だからさっきだって逢いたいと願った。

…願ったけど、わたしが望んでいたのは決してこんな形で、ではない。


「あー、泣くなって、ほら、確かにおれ死んじまったけどよ、。親父のこともまだ海賊王にしてやれてねェし、後悔全く無ェか、って聞かれりゃそうでもねェ。…でもよ、お前ンとこ 行けんだって、名前にまた逢えんだって、そう思ったらよ、悪くねェかなって。な?だからお前は笑っとけってんだ。それにほら、これやるから泣き止め」


バサっと音がしたら、目の前が白でいっぱいになった。涙の溜まる瞳を擦って視界をクリアにすると、そこには大きな、大きなカスミソウの花束。


「え、な、なんでサッチ、こんなの―」

「お前、前にじっとこの花見つめてたろ?欲しかったんかな、って、あんとき買ってやんなかったこと、すげェ後悔した」


両手で抱えなければならないほど大きな花束なのに、中身がカスミソウだからかそこまで重さは感じない。…あの世に、"重さ”なんてものが 存在するかどうかも分からないけど。潰さないように包み込んで、花束越しにサッチを見やる。


「…ほんとはわたしがあげたかったのに、」

「なんだそりゃ。花束なんざ男が貰うもんじゃねェだろ?」


やっぱり、想像どおりの顔をしてサッチが笑った。


「びっくりさせようと思ったの。サッチ、この花好きって言ってたし」

「おれが?」

「覚えてないの?」

「あー…、ん?あ、…そうかもな。これ、お前に似てんなって、思ってたからよ」

「わたし?何でまたこんな可愛らしいのに…」

「何てェか、ほら、主役 級に美人なわけじゃねェけどよ、でも居なくちゃ物足りねェし、居たら安心するってェか。そういうのお前に似てんなって」

「最初の余計」


ぼす、とサッチの腹にパンチ。あぁ、いつものやり取りだ。生きているときと、同じ。
もう一度、顔を上げると、とても穏やかに笑うサッチと目が合った。言葉も何も出てこなくて、ただただ、その翠に心を奪われる。


「…なァ、名前?」

「…ん、?」

「抱き締めてもいい?」


そっとカスミソウの花束を取り上げられて、そうされてもサッチから視線を外せずにこくり、ひとつ頷くと、きつく、強くその逞しい腕の中へ 閉じ込められた。
サッチの匂いだ。わたし、今、本当にサッチといる。


「っ、逢いたかった。まじ、お前居ねェと、おれ、無理」


耳元で、絞り出したような声。
それに応えるように背中に腕を回して、ぎゅうっと強くコックコートを掴んだ。


「もう離さなねェ」

「うん」

「ずっと一緒だ」

「、っ、うん、」



風に揺れるカスミソウ。


二人を見守る、小さく、細やかなそれ。
その花言葉は――




『切なる願い』





(貴方の隣に、ずっと)

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -