なんとなく通っていた雷門中を一年足らずで中退すると言ったら、幼馴染にひどく反対された。
何言ってるんだ、作曲の勉強なんて中学どころか高校と大学出てからだって、全然遅くないだろ。
そう言った神童くんはひとつ年下で、素人のわたしから見ても才能のあるサッカー少年で、頭もよくって、そのうえピアニストで、とにかくすごい子で。そんな天才少年が、わたしと毎朝登校するのを楽しみにしてたらしい。なんて光栄なお話だろう。俺、やっと中学生になるのに、と俯いて小さく呟いた神童くんの顔を覗き込むと、今にも溢れ出しそうな水が、悔しそうな瞳のなかで必死に重力に抗っていた。
「ごめんね」
すごく申し訳なくて、かわいそうで、罪悪感がのしかかってきたけど、もう決めたの。考え直すつもりさえないの。いままでいっぱい相談にのってもらった。真剣なアドバイスももらった。でもこれは相談じゃない。アドバイスもいらない。報告なの。わたしは神童くんの肩に手を置き、なだめるように言った。
神童くんは雷門でサッカーする夢があるんでしょう。でもわたしの夢はここにはない。中学生の頃しか書けない曲を、子供の今しか書けない曲をつくりたいの。
だからごめんね、と。
今思えば、それこそ子供らしからぬことを言ったけれど、やっぱりあのときわたしは子供で、その証拠に、神童くんに納得して貰えるようなじょうずな説得がみつからなくって黙り込んでいた。あれから一年経った今もまだ子供で、神童くんが沈黙を破るように取り付けた約束、もう本人は覚えていないであろう約束、わたしに指きりまでさせて誓わせた約束を、今でも忘れられずにいる。
「それじゃあ君がちゃんと作曲の勉強してちゃんと自分の納得できる曲、つくれるようになったら…」



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そしてわたしは、音楽学校の先生たちに大げさにもてはやされて、基礎知識の習得もそこそこにどんどん曲を書かされた。幼い作曲家として売り出したかったんだと思う。書かされたと言っても、そのときの気分をメロディにして、ふと浮かんだ景色を楽譜にするだけの、大好きで大好きで堪らない作業。たとえば、道路のひび割れた白線の隙間から顔を出すたんぽぽだとか、静寂に包まれた夜の波打ち際だとか。言葉にすると安っぽくなるそんな情景も、音に乗せると色を増す。力強くてやさしくて、それでいて儚くて支えが欲しくなるような。口では表現しづらい微妙なニュアンスもフレーズに語らせて物語になる。たくさんのことを思って、たくさんの曲を書いた。ひとつひとつが全部思い出深くてきらきらで、これがわたしのやりたかったことなんだって思ってた。
でも、どれだけ自信があって気に入った曲を見せても、先生たち大人は眉をひそめて唸るだけだった。あれだけよいしょしておいてさあ、あれもだめ、これもだめ。何が足りないの、何がほしいの。そう思ったときに気づいた。「求めていることに答えること」を求めてるんだ。だめって言ってる本人にもわからない、音楽独特の感性という言葉で片付けられてしまう微妙な部分を理解して、それに答える曲がほしいんだ。
「需要と供給」を覚えた。
わたしがすきなものをすきなように書いても、相手がすきとは限らない。
わたしが聴きたい音楽を、みんなが聴きたいとは限らない。
天才だって、いい曲が一発でさらっとかけるわけじゃない。
どんなに苦労したって、ほとんどの場合だれかに認めてはもらえない。
ああでもない、こうでもない。否定ばっかりの曲づくり。ひとの顔色を伺いながら、認めてもらうのに必死。わたしの作曲方法は変わっていった。日常に転がっている音楽ではなく、夜机に向かって搾り出すように考える、音の寄せ集めになっていくのがわかった。書き終えるたびに番号ふるのやめとけばよかったな。20が23になって23が31になるたび、自分の曲がきらいになる。増えていく数字は、なりたかった自分との距離。離れる、離れる。でも書き続ける。矛盾してるのかな。きっと今の時代、世の中の作曲家さんたちはみんなこんなふうに悩んでるんだろうなあ。たとえば、ランダムに曲を集めてきたとして、その中で一番多いのは失恋とか片思いの切ないメロディばかり。それは作曲家自身が作曲行程での苦悩や辛酸を曲に起こしたものを、受け取る側が恋愛に転換して捉えるためで、さらに失恋や片思いなどは自分ではどうしようもなく、外部からの感覚を得ようとするため音楽を聴き、感動を受けやすい。自分が苦しめば苦しむだけ、いい曲と評される。書きたいものはただの自己満足なのか。そんな葛藤の中、書いてるんだろうな。でも、新米も新米、駆け出しのわたしが自己を確立できるはずもなく、できることは、流されようが呑まれようがただ書き続けるだけ。とにかく書くだけ。どうせ使い捨ての音楽なんだから、量産に限る。思い入れとかそんなこと言ってられない。ひとつでもあたればいい、すべてはきっかけを掴んでからだ。今はとにかく、たくさん。かなしくなんかない。くやしくなんかないよ。さびしくなんかない、けど、でも。一年前の自分はこんな自分になりたかったのだろうか。こんな音楽やりたくて、わたしは神童くんの腕を振り払ったのだろうか。涙目で、指切りまでさせて望んだことなのだろうか。ちがうかもしれない。でももしちがったとしても、あのときの自分が自分で選んだ道だからやるしかない。あきらめて、書くしかない。ぜったい、やめない。自分の選んだ自分で生きてくって決めたの。ひとつだけ、心残りがあるとすれば、あの約束。神童くんの指切り。それだけ。それだけは、守らなきゃ、守ってからあきらめよう。

わたしは無意識にずっと握っていたペンを五線譜の上に置いた。



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準備にはだいぶ時間がかかってしまったけど、ちゃんと納得のいく約束の守り方ができると自信をもって言えるようになったある日。かばんひとつぶらさげて、指切り以来会っていなかった神童くんのところへ。足取りは軽くて重い。神童くんに会うのが楽しみな気持ちと、約束を守るっていう厳粛な気持ち。でも、懐かしい雷門中の校門見えた瞬間、足から重さが消えてしまって思わず駆け足になる。毎日通ってた校門。神童くんと通ってたかもしれない校門。ひとりで駆け抜ける。本校舎を過ぎれば、部室という名のサッカー部専用別館。その隣には綺麗に整備されたサッカー場。期待通りの雷門のユニフォーム、と、知らない色のユニフォームも見えたからどこかの学校と試合みたい。練習試合かなあ、公式戦かなあ。そんなことはどうだっていい、神童くんは。神童くんは、どこだろう。あまりよくない視力で目を凝らし、ピッチを見回す。神童くんはMFだから、真ん中あたり…あれ、もしかしてもしかすると、あの赤いキャプテンマークしてるのって、神童くん?
え、そうだよね、神童くんだよね!思わずひとりで飛び跳ねた。すごいすごい、神童くん、二年生でキャプテン任されちゃうんだ、すごいなあ、かっこいいなあ、すてきだなあ!
あれ、いや、でもちょっと違うかも。なんか、サッカーの仕方が神童くんじゃないかも、見た目神童くんっぽいのに、ちがうかなあ?あんな動かないサッカーだっけ、それとも、体力温存?プレイが劇的に変わったとか…?
近くじゃないとわかんない、なんて、確認するために階段を駆け下りる。一歩、一歩下るたびに、違和感が絶望に変わっていった。わたしは石段にバランスを崩しながらも確信した。あれは神童くんだけど、体力温存でも、プレイが変わったわけでもない。それに、気分がのらないわけでもないだろうし、きっと、体調が優れないわけでも、監督と仲違いして落ち込んでるわけでもない。
やりたいけどできない。そんな顔してる。だって、ボールに気持ちが入ってない。わたしの知ってる神童くんのサッカーは、ボールに気持ちが入ってた。なんていうのかな、あか、おあ、きいろ、みどり、ボールを蹴るたびに色とりどりの音符がぽーんぽんと飛び出すような…とてもきれいなサッカーだった。きらきらまっすぐの眼差し。リズムを刻むようなドリブル。最初はメゾピアノのアダージョで、五線譜の上を踊るように相手チームをかわしてゴール前に出たら、いきなりシンコペーションを踏み込んでフォルテシモでシュート。神童くんのサッカーは、音楽だった。今、目の前の神童くんは、ただ地面を這うように走っているだけの運動に、ボールでおまけがついただけ。ねえ神童くん、なにがあったから、そんな神童くんになっちゃったの。あのときはまだ子供だったから、とか、そういう理由で変わっちゃったの。雷門にきてサッカーやるのが夢だったんじゃないの。夢追っかけてるのになんでそんなつらそうな顔してるの。あれ、わたしなに言ってるの。でも、だってあれじゃ、まるで
「わたし、みたいじゃんか」
脳みその皮が一枚、ぺり、と音を立てて剥がれ落ちた。神童くんは、わたしと違う道って思ってた。きらきらしていてほしかった。子供のくせに、あの時は子供だった、なんて、ばかみたいだよ。きっとこんなこと考えてる今だって、あのときは子供だったっていう、ばかみたい。じゃあさ、
「くそったれが」
君を想って書いたこんな曲、ばかみたいかな。


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そういえば、神童くんは、どんな喧騒の中だって、自分をしっかり持ってる人だった。自分勝手とか、そういうのじゃなくて、静かに周りを見つめながら思考する。そんなかんじだったと思う。そんなかんじの曲をつくりたくて、そんなかんじの神童くんを掴みたくて常連になってしまった、喧騒溢れるファストフード店。習慣になってしまっていたのか、放心状態で歩いていたのに、気がつけばいつもの店の奥、一番端っこの席。学校帰りの高校生。ちょっと休憩に立ち寄ったお姉さん。パソコンをひろげて、お仕事をしているのであろうサラリーマン。いろんな音。いろんな声。とてもにぎやか。このなかでずっと曲を書いた。
「無駄になっちゃったけど」
こんな曲、わたせない。
バニラシェイクとポテトSを注文して無意識に口に運ぶ。どうしてこうなっちゃったんだろう。わたしは約束守りたかっただけなのに。神童くんに胸張って会えるようになりたくて、あきらめるって決めたから約束だけは守ろうと思ったのに。渡すだけでも渡せばよかった?だめ、あの神童くんは、わたしが渡すために曲をつくった神童くんじゃない、わたしの知ってる神童くんじゃない。責めてなんかない。人のこと言えた立場じゃない。でも、今の神童くんに贈るんだったら番号31かそこらの使い捨ての音楽。失礼だよね、ごめんね。ごめんね神童くん、ごめん、ごめんね。ずずず、ストローが水分より空気を吸う割合が多くなった音で、喧騒に引き戻された。ポテトとシェイク、バランスよく食べ終わる感覚まで体が覚えてたんだね。やっぱり店の中はにぎやかで、楽しそうで、わたしの気持ちなんかしらんぷり。気づいてほしい、なぐさめて。だれに、神童くんに?ばかみたい。神童くんのせいなのに。自分のせいなのに。意味わかんない。逃げたくせに。逃げなければ、曲を渡すことも、理由をきくこともできたのに。ずるい。ばかみたい。ぐしゃり。中身のなくなったポテトの容器をつぶして、そのままゴミ箱へ。
「あれ」
え、なに、デジャヴ?この感覚を、わたしは、知ってる?あっ、やだ、うそ。これ、わたしが、曲を 書く かんかくに、に て


「 も     も う   や  だ 」


わたしは店を飛び出した。
ゴミを捨てるために、わたしは曲を書いてるの?空っぽのもえるごみを?ばっかじゃねえの、ばっかじゃねえか。
チョイスミスだったの?子供のあのとき選んだ道は、間違ってたの?ああ、そんなの知ってたよ、知ってた知ってた。あきらめるってばかみたいなこと考えたときから知ってた、あのときの自分は間違ってたって。認めたくなかったよ、こんなのもういやだよ。もういやだ、ごめんね神童くん。あのとき神童くんの言うこときいてれば、今頃二人で校門通って下校の時間だったのにね。もうばかみたいだや、どうしたらいいのかわかんない、わかんない。こんな粗大ゴミ、どうやったらいいの。最初はゴミなんか、つくる気なかったのに。そりゃそうか、さっきのポテトだって容器の役目を終えたからゴミになったわけで、最初からゴミなんかじゃない。そう考えれば、最初からゴミだったものなんてこの世にはない。逆に、ゴミにならないものなんて、ほんとに希少で珍しいものだけで、
「けっきょくぜんぶ、ゴミになるんだね」
だったらこんなもの。
駅前のゴミ箱、かばんから楽譜。先客のゴミのなかに勢いよく叩きつけた。ぐしゃり。同じ音、さっき捨てた、紙のゴミと同じ音がした。


「なんで捨てるの」


背中から声がした。わたしに言ってるんだって、すぐにわかった。
「いらないものだから、ゴミは、すてるの」
「ゴミじゃない」
「そうかもね、今はゴミじゃなくても、もう、すぐゴミになるの」
「いつ」
「たった今」
「ゴミって誰が決めたんだ」
「わたし」
「でもそれは俺のだよね」
ゴミの一番上から、ぱっ、と取ってひらりと降る。そのまますぐ楽譜に目を落としながら小さく笑う。ほんとに指切り以来会ってなかったんだね。背、伸びたね。すぐ後ろにいたんだね。足、速いんだね。
「し、 し んど うくん」
わたしが見てたの、気づいてたの?なんでここわかったの?あのあと追いかけてきたの?すぐ?ずいぶん時間経ってるよね?試合終わってからきたの?それとも、もしかして、ずっと探してくれてたりする?だったら試合どうしたの?抜け出してきてくれたの?ちゃんと勝てたの?なんでなんで、ねえ、しんど
「ゴミかどうかは、俺が決めるの」
背中に腕がまわってきて、ぐっと引き寄せられる。あっと声をあげる間もなく神童くんと0距離になった。肩にあごを乗せられて、くすぐったくて、意味わかんなくて
「くそったれが」
「口が悪いよ」
「くそったれ」
「俺、この曲みたいなサッカーできるようにがんばるよ、そのうちぜったい、できるようになる、から」
「泣くな、泣くなよ、おとこだろ」
「泣いてない」
間違いなく泣いてた。まだまだ子供だね、って笑った。




こども、ふたり、音なになる?




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