ポケモンリーグに向かう途中、僕は一人の女の子に逢った。全てを終わらせるためにちょっとだけ急ぎ気味だったから、本当は声をかけるつもりなんて全然なくって、しかも「そらをとぶ」で飛行中だったから降りるのも億劫だったのに。
それなのにその子が、たった200円かそこらのモンスターボールを凄く大切そうに投げるものだから、思わず話しかけてしまったのである。


「今捕まえたの、モンメン?」
「…っえ、あ、そうです!」
「よかったね、トモダチが増えて」
「あ、いえ、わたしの初めてのポケモンなんです」


あれ?

ちょっと違和感。カノコから来たあの3人組と同い年くらいなのに、これが初めてのポケモン?そんな疑問が伝わってしまったのか、女の子は付け足すように言った。


「両親が旅に出るのを許してくれなくて…。ポケモンを持つのも駄目って言われてたんですけど、塾の帰り道でいつも会うこの子が『連れてって』って言ってるような気がして…」


嬉しそうに、えへへと笑った。その顔を見た瞬間、僕は自分がとんでもなく悪い事をしているような罪悪感に襲われた。どうにか、そうなんだ、と相槌を打って笑顔でいられたけど、彼女の大切なポケモンを、しかも生まれて初めての自分のポケモンを強制的に解放させようとしているのは、なんだか後ろめたい気持ちになった。こんな、この子みたいに優しいヒトだけなら…いや、駄目だ。僕がやらなきゃ、僕がやらなきゃ、誰もできない。冷静になって考えてみれば、この子のようなヒトはほんの一握りで、世界には最低なヒト達ばかりが溢れ返っている。例えば、モンスターボールをまとめ買いしてゴミのようにポイと投げ、捕まえたポケモンが不必要だと思った日には一方的に解放してしまうか、最悪の場合半永久的にボックスに預けっぱなし。そんな身勝手な仕打ちの所為で苦しんでいるトモダチが沢山いるんだ。
この子だってそうだ。
もっと強いポケモンに会えば、初めてのポケモンのことなんか必要ないと思う日がきっと来てしまう。だからボクがやらなきゃ、ボクが変えなきゃ。

「…あ、あのぅ、」

突然、女の子がボクの顔を覗き込んだ。
あんまり顔、見られたくないのに。
折角深く被った帽子も、これじゃ意味がない。

「あなたの、お名前は…?」

気遣うようなやさしい声色。きっとこの子は大切に、大切に育てられたんだろう。
そんな「愛情」が「うらやましい」?否、そんな感情は全部あの部屋に置いてきた。だからもう戻れない。あの部屋にも、過去にも、思い出にも。戻るつもりもない。うしろには何もない。ボクには何もない。

「ボクはN」

何もない「nothing」のN。世の中を否定する「no」のN。きっとそんな感じだと思う。あの人のことだから、ボクにヒトらしからぬ怪物みたいな名称を付けたかったのかもしれないし、それとも呼ぶときに不便だからとかそんな機械的な理由で品番みたいな記号を付けたかったのかもしれない。そもそも、あの人が付けたのかすら、怪しいよね。

「え、ぬ…さん、ですか…、変わったお名前ですね…!」

彼女はボクの名称を、品番を、一音一音大切そうに呼んだ。ちょっと不思議な気持ちになって、痛い。痛い?馬鹿な。何が?何処が?

「あ、もしかして、Nさんの名前の由来って…」

ごめんね、名前の由来はボクも訊いた事がないんだ。そんな受け答えの言葉を用意していたら、予想外の言葉が飛んできた。

「Nって、不確定整数のnじゃないですか?」
「え、」
「わたし、ポケモン禁止だから、家で勉強ばかりやらされてて、だから数学は得意なんです!」

ボクだって、数学は得意だし大好きだけど…そんな風に考えたことはなかった。でも自分なんかの名前に大好きな数学が…、いや、名前とすら呼べないような名称、品番が、偉大な数学的要素を孕んでいるなんて許せない。受け答えの内容変更。そうじゃない、そんなんじゃないと思うよ。こっちにしよう。

「素敵な名前ですね!」
「そうじゃない、そんなんじゃ…」
「だって、nは決まってない整数…、整数ならどんな数字にだって変われるんですよ!なんにでもなれるってことですよね!」

《なんにでもなれる》?なんにでも?ちがう、ボ    ク は、


その瞬間、ボクの頭の中を、大きな波がざざぁっと駆け抜けた。打ち寄せた。全身が固まって、息が止まって、ここに居ちゃいけない、そう思った。そして気が付けばレシラムの上、空の中にいた。

ちがう、ボクは変われない。
世界を変えるために。

これ以上あの子と一緒にいたら揺らいでしまいそうだ。挨拶くらいはした方が良かった?いや、駄目、駄目だ。ボクにしかできないことを、ボクがやらなきゃ誰がやる?ボクじゃなきゃいけないんだ。もう戻れない。あの人が正しくても、正しくなくても、
ボクが間違っていても、間違ってなくても。

もう気が変わる前に、過ちに気付く前に、全てを終わらせるから。



だから君は、
どうか
ボクにはならないで




終わりを始めようか。






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