「やっ痛い!紅覇さま!」



やめて!と叫んだら、おんなのこさながらの美しいお顔にぎょっとされた。わたしはただ、紅覇さまの容赦ない連続蹴り(紅覇さまにとっては、ささやかなお戯れなのだろうけれど)に思わず制止の声をあげただけで、そんな驚かれるようなことだろうか。きっと皇子樣への不躾な言葉遣いにお気を悪くされたんだと思って慌てて頭を垂れた。紅覇さまはわたしを蹴飛ばしていた足を止め、目線をあわせるようにしゃがみこんだ。



「おまえ、男なの?」


「えっ…あの、はい?」


「男なの?」


「……畏れながら今一度」


「だから、男なの?」



男、でございますか。紅覇さまは私めが男子に見えるのでしょうか。紅覇さまの顔に冗談の色はなく、訝しげな表情でわたしの顔を覗き込む。まるで男である証拠を探るように。何度も「男なのか」と問われ、こんなに本気で疑われているあたり、わたしの聞き間違いではないらしい。でも、わたしは今までに男みたいだと言われたことはない。ガタイがいいわけでも声が低いわけでもなければ、男勝りな性分でもない。ましてや、男だと疑われたことなど決してない。もしかして、今日は描いた眉毛が濃かったのだろうか。



「ま、まゆげ太いですか」


「はぁ〜?眉とかじゃなくてえ」


男だから、蹴られて痛がるんでしょ?










す、すてき。なんて斬新な男女判別の規程なの!紅覇さまは、卑しい身分のため学を欠くわたくしめに、今日もすばらしい発想を披露してくださる。しかし浅学ながらも、外交官を目指して紅覇さまの国外交渉にご一緒する身。性別の隔たりに痛点の差異は含まれないと存じます。ただそのくらいの学問は修めております。故に、時には紅覇さまの知識の訂正もしなければならないはず。いまがその時にちがいない。だってわたしは、光栄にもご側近のお勤めを命じられているんだから。



「紅覇さま!あのわたし」


「ちょっと脱いでみせて」


「男じゃないです!」


「みればわかるでしょお〜」



あっ、と声をあげる間もなく間合いを詰められ、身動きを封じられた。さすが武の才に恵まれ煌帝国を担う皇子様、なんて感心するどころか一呼吸する隙も与えてはくれず、きつく巻いた帯に手をかけられ、胸元に手を突っ込まれる。制止しようとしたわたしの腕はするりとかわされ、今度は内腿を難なく撫でられた。紅覇さまの目がぎらりとひかるのを垣間見たわたしは途端に恐ろしくなって口を開いたものの、声は言葉にはならず、あられもない喘ぎしか出てこない。更に焦ったわたしは(まさか仮にも武術の稽古をしているとは思えないような体勢で)手足をじたばたさせ、必死にもがいた。



「んあっ、やだやだ困る紅覇さまっ、あっ…!」


「声は可愛いのにぃ」


「だっかっらっ」




わたしは!!!!男じゃ!!!!ないんですってばー!!!!


思わず帝国中に響くぐらいの大声(のつもり)で釘を指した。これには、さすがの紅覇さまも面食らったようだ。ぴた、と手が止まる。すると、それと同時に女官たちが揃って飛び込んできた。紅覇様!紅覇様!如何致しましたか!何か行き届かない事柄がおありですか!口々に叫びながらひどく慌てたようすで、我先にと紅覇さまの周りを取り囲んだ。



「大きな声をお聞き致しました!」

「皇子様、如何致しましたか」

「こんな若輩の側近では行き届かないこともございましょう」

「何か失礼がありましたでしょうか」



うわあ若輩だなんて。身分階級はわたしのほうが少しうえなのに。目敏いおば様たちはここぞとばかりに出世を狙う。とはいえわたしは一応ご老害、ではなくご年配の先輩方を立てるよう心掛けている。どんなときでも謙遜を忘れないように。大切なのは謙虚な精神だ。それを、わたしが言い返さないことを良いことに、いけしゃあしゃあと…
わたしが苛立ったのを知ってか知らずか、紅覇さまがゆらりと立ち上がった。



「ねぇ」



紅覇さまは一言で女官たちの騒ぎを制すと、囲みの女中をぐるりと一瞥した。全員が紅覇様の次の言葉を待つように口を噤む。すると紅覇様はいきなり、目に留まったひとりの女官の頬を思いきり張り倒した。ぱあん、と小気味良い音にわたしは身を竦め、殴られた女は床に倒れ込む。



「呼んでもないのに、誰が入室を許可したのお」


「しかしながら、紅覇様…」



倒れた女官を庇うように他の女が口を開くと、紅覇さまはその女の頬も容赦なく張り倒し、他の取り巻きたちまで次々と叩きのめした。わたしはその殺伐とした光景に殆震え上がっていたが、よく見るとある違和感に気付いた。女官たちも、満更でもなさそうなのだ。それどころか、恍惚とした表情すら浮かべ(若干、顔の見えない者もいるが)、謝罪の声もどこかうっとりとしている。もしかして、いや、まさか。



「下がれって言ってんだろ!!」


紅覇さまの怒鳴り声で、滑るように歩き去って行く女官たちを見ながら納得した。やはり、入ってきたときより嬉々としている。わかったぞ。紅覇さまの解釈の偏りは、ぜんぶあいつらのせいだ。紅覇さまのまわりには、あんな女しかいないのか。なんてお労しい。あれが、恐ろしい知識の偏りを生むのか。紅覇さままで巻き込むなんて、もう我慢ならない。あんな老害たちのように個の一時的な欲のためではなく、紅覇さま、いや煌帝国の未来のためにわたしは発言するべきだ。わたしは意を決して、穢らわしそうにご自分の服の袖を払う紅覇さまに向き直った。



「紅覇さま、出過ぎた真似とは重々承知ですが、あの…」

「ん〜、もうそのはなしいいや〜」



女官たちの介入により、紅覇さまのお心はどこか別の方向へ向いてしまったようだ。寸刻前のわたしであれば、ほっと胸を撫で下ろし、お茶菓子でも用意して次の外交についてのおはなしをするつもりであったが、この男女基準は甚だよろしくない。わたしは、得も言われぬ正義感に満々ていた。



「お言葉ですが紅覇さま、女の基準は痛がるかどうかではなく」

「ねえ、うざい、そのはなしもうおわったよねえ」

「こっ…紅覇さま…」



普段口答えなどしたことがないわたしに背かれたからなのか、紅覇さまの目は突然殺気を帯びた。謝罪をしなくては、と脳裏を過ったがわたしは間違ったことをしているわけではない。わたしがどうなろうと、紅覇さまの為、帝国のために誰かが言うしかないのだ。



「……女と………男の痛点に…差異はなく…」



そのとき、紅覇さまの腕がすっと伸びてきてわたしの喉元をきゅっと絞った。しなやかで隙のない、まるで氷をなぞって滑るような動きだった。一瞬目を奪われ、次の瞬間には首を横断する鋭い打撃。うっ、と息を詰まらせ、生理的に大きく息を吸おうとしたが、肺に入ってきたのは想像していた量の数十分の一しかない酸素だけだった。狭くなった気管のほんの一筋からどうにか空気を確保するが、そのか細い線すらぎりぎりと締め上げられ、次第に鈍痛に変わってしまった。わたしは、紅覇さまに乱暴なことをされたのはこれが初めてで、突然の予想もつかない行為に頭のなかはただ真っ白くなりつづけていた。



「くび、いいでしょ?おまえ、すきそう」



紅覇さまが何を仰っているのかわからない。聞こえてはいるものの、頭で理解ができない。ただ音としての解釈。きっと、脳まで酸素がゆき届いていないのだ。



「だんだん気持ちよくなるよお」


ぼんやりとした頭の隅で、紅覇さまの言葉の意味をさがす。ようやく意味にたどり着いたが、理解はし難く、訪ね直そうとも思ったが、何にせよ呼吸すら儘ならないのだから無理なはなしである。それはもうわたしが息をすると、ひゅう、ひゅうと、喉が乾いた音を立てるくらい。目も開けられず、ただ息苦しさと首元の感覚だけが、その時間、わたしのすべてだという錯覚に陥った。首の痛みがじわじわと海馬へ響いてゆき、そのままじんじんと波打つように広がってゆく。どうしよう、どうしよう。しんじゃう、しんじゃう。阿呆みたいな言葉がぐるぐると回り続けるのを意識し始めたころ、じんじんと脈打つ波紋は下腹部にまで浸透してくる。寄せては帰す波がお腹の真ん中まで来たそのとき、じぶんでは意図せず、腰の筋肉がびくんびくんと収縮しはじめた。じぶんの体なのに、じぶんの知らない動きをする。膝の力も入らなくなり、紅覇さまの手で動脈を塞がれている首だけがどくんどくんとわたしを支えていた。



「ねえ、わかった?気持ちいいでしょお?これ以上やってると、ほんとに死んじゃうよお」



言いながら、紅覇さまは一度ぐっと掴み直し、ぱっと放した。今度こそほんとうに膝の力がなくなり倒れこんだわたしは、咳き込みながら息を吸い、下腹部を押さえた。



えっ、下腹部を?



じぶんの体なのに、またわたしの知らない動きをする。捕まれた首はまだじんじんと鈍痛が残り、呼吸はまだ乱れたまま。それなのに、手が一番労るべきは下腹部だと示唆する。たしかに、そこにもまだ波紋がじわりと残っていて、えっ、やだ、なにこれ、どうしよう。残留分子の違和感は鈍痛とも苦痛ともつかない、わたしの知らない感覚となって、まだわたしのお腹で揺らめいた。ただひとつわかるのは、それが揺れる度、力が入らないはずの膝が痙攣するということだけ。



「ほおら、女になった」



紅覇さまのお言葉の意味も、今のわたしでは解り兼ねた。




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