目蓋を閉じた途端に、まっくろな壁のまっくらな部屋にいた。ほの暗い空間を、小さな炎がひとつ、赤やら橙やらに照らしている。感じの悪い夢だ。わたしはそう思った。この息苦しい場所が「部屋」だとはにわかに信じがたかったが、区切るための壁が四方にあるため、やむを得ず部屋だと判断した。こんな場所でも、どこまでも続く常闇よりは良いのかもしれない。薄ぼんやりと照らされたじぶんの真っ黒なセーラー服は、スカーフだけ赤かった。真っ黒なセーラー服?わたしはこんな服を持っていた?思い出せぬまま、辺りを見回した。ここはどこ、わたしはだれ、という疑問よりも、これはなに?という言葉が意識の中に先行して浮かび上がった。浅黒い色をした壁は、どくん、どくんと一定の間隔で脈打つ。まるで、だれかのおおきな心臓が、この壁の向こうで動いているような。もしくは、この部屋が心臓を持つ生きもののような。なにを莫迦なことを。わたしはいよいよ気味が悪くなって、慌てて目を開けようとしたが、どうにも目の開け方がわからない。しばらく試してみた結果、開け方がわからないのではなく、開けづらくなっていることがわかった。今まで目が開けづらいなんて思ったことは、一度だってなかったのだけれど。それでもどうにか瞼を抉じ開けると、一瞬だけ見えたのはアスファルト色。そして全身を駆け巡る鈍痛。何か他の色も蠢いていたが、体の痛みで目を開けていられなかった。そしてまたまっくろの部屋が現れる。一体どうしたということなんだろう。唖然と座り込むわたしの前に、いつの間にか絢爛な作りの仰々しい机が鎮座していた。



「アッ今度は見えちゃったカンジ?」

「大王、JKに合わせないでください」


人がふたり、黒い服のひとと、角の生えた鬼、こちらを見据えて口を開いた。



「ビックリしちゃったでしょ、パンパカパーンここは冥界の入り口でえす、死んじゃったものはしょうがないネ、ドンマイドンマイ」

「えっ」



わたし死んでるんですか。思わず聞き返すと、問われた二人は顔を見合わせた。黒いひとがアヒル口で目線を反らしたあと、鬼のひとが目を丸くして言った。



「君はついさっき、飛び下り自殺で死んでる」






うそ。



わたしは死んでる?自殺で死んでる?でもこうして話をしたり、考えたりしているじゃない。でも、胸を張って生きてますと言えない何かがあって、わたしは混乱した。その半面、だからさっきアスファルト色が横向きだったのか、救急車の音は空耳じゃなかったのかと納得している自分もいた。心臓が動く、生きてる、ってどんな感覚だっけ。



「オレは閻魔大王、こっちは家来の鬼男クン」

「秘書です」

「ウーン君は天国行きコースなんだけど、自殺しちゃってるコはちょっとセミナー受けなきゃなんだよネ」

「セミナーというより余計なお説教ですけどね」

「鬼男クンいちいちうるさい!」


二人の会話の間に、少しずつ自分は死んだという実感が沸いてきて、柄にもなく感傷に浸ったり、ありもしない郷愁に思いを馳せたりし始めたころ、閻魔様はネエネエとわたしを呼んだ。



「自殺しちゃったコってほとんどそうなんだけど、輪廻する前世でも自殺してるんだよネ、覚えてる?」

「前世のことですか、いや、ちょっと」

「じゃなくて、今さっき。なんで死にたくなっちゃったのカナ〜」



今さっきのこと。今さっきのことなのに、何も思い出せない。アルツハイマー、認知症、古い言い回しで痴呆。そんな類いの病気にはかかった覚えがないのに、ここに来る前のことは、ぽっかりと抜け落ちてしまっていた。漢字テストの問題で熟語がひとつわからなかったときに似ている。釈然としないのではなく、最初から知らなかったみたいだ。



「わかんないです」

「ウンウンそっかそっか、わかったわかった」



閻魔様は大振りな帳面に何かを書き記した。鬼男さんは、それを汚いものを見るかのような呆れた顔をしていた。書き終えたらしい閻魔様は、ぱたんと黒い表紙の帳面を閉じると、じゃあちょっとお説教開始〜と間延びした声でわたしに向き直った。


「実はね、前世の君に頼まれてたんだよ。前世で自殺しちゃってるヨって言えば、来世のわたしはきっと思い出すから、って」

「前世のわたしに?」

「そ」



君にこの説明何度したかわかんないけど、どうして自殺したのか、オレ達は教えちゃいけないんだ。均衡が崩れちゃうらしいよ。よくわかんない。話きいてなかったから。閻魔様は続けた。きっと辛いこととか、逃げたいこととか、あったと思うんだけど、君はそれを自分で解決して自殺を回避しなきゃいけない。出来るかどうかはわからない。


「だって君は自殺する担当の魂だから」

「担当?」

「担当」



閻魔様は心なしか楽しそうに、指を空でくるんと回す。



「すべての魂は、ぐるぐる廻って何度も同じ運命を繰り返すんだ。どんなに違う生い立ちでもネ」



つまり、閻魔様の仰ってること。それは、わたしは生まれる前から自殺をする運命にあって、また来世も自殺をすることになっているということ。そしてそれを回避する方法は自分で見つけなきゃいけないということ。漸くわかってきた。



「アッでも、ひとつだけやめる方法があるよ」



閻魔様は悪戯した子供が、訳を言いたがらないときみたいな言い方をした。鬼男さんは、ちょっと目を伏せた。



「自分のだけど、一応、命を奪ってるって罪を犯してるからサ、地獄に落ちればおしまい」



オレはお薦めしないな〜。地獄って超苦しいし、なによりボクたちの楽しみがなくなっちゃうしね。



「君、イレギュラーなんだよ、現に前世ではしなかった、目を開けるってことをしてる」



そうなんだ。前世のわたしにはできなかったことを、わたしはした。肝心な自殺の原因はわからないけど、解決への糸口になる一歩なんだ。わたしは無意識のうちに生きたかったのかもしれない。前世のわたしは、わたしに生きてほしかったのかもしれない。今度こそ、来世こそ、と。それこそ、今のわたしみたいな気持ちで。



「わたしは、何度も繰り返してるんですね、見つけるために」

「何度目になるかわかんないくらい、ネッ鬼男クン」

「そもそも、ここには数という概念がありませんから」

「鬼男クゥ〜ン」

「今回のあなたは、どうしますか?」

「えっ鬼男クンそれオレのセリフ…」



わたしの答えはもう決まっていた。前世の自分への償い。最初から決められている運命に逆らえない怒り。そして、来世の自分への挑戦。そこで初めて立ち上がったわたしは、鬼男さんの目をしっかりと見て、少しだけ微笑んだ。



「今度は、救急車のナンバー覚えるのを目標にします」

「そうですか、わかりました」

「チョットォ…蚊帳の外ヤダヨー」



閻魔様は少しいじけながら何か呪文を唱えた。わたしは眠くなる、という感覚を覚え、閉じたままの目蓋を更に閉じる。これでおわりだ。そして、またはじまる。



「じゃあちゃんとナンバー覚えてきてネ」



ハッピーバースデイ。何億何千万回目の胎児。閻魔様の声が残響になって消えてゆき、わたしは急に大声で泣きたい気持ちになって、思わず息を吸った。





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