ごつ。頭の内側から直接耳に響く鈍い音。ちょっと遅れて左頬に鈍痛。突然の衝撃に対応出来ず、わたしの体は右に傾き、それを咄嗟に支えようとした足も絡まり、びたんと廊下に倒れていた。周りにはたくさんの生徒がいて、みんなわたしを見ていて、一瞬の静寂。えっなに、と声を出そうとした瞬間、止まっていた時間が動き出したかのように、みんながわたしを取り囲んだ。マジかよ!大丈夫!?うわあ痛そう!誰か先生呼んで!保健室!エトセトラ。男の子の声、女の子の声、先生の足音。色んなものが頭のなかをぐるぐるまわっていたけど、わたしはただひたすら呆然とするだけで、話すことも動くこともできなかった。ぜんぶよく覚えていない。でもひとつだけ言えることがあって、わたしは青峰大輝に殴られた。






「本当に悪かった」

目が覚めるといつのまにか放課後で、青峰くんともうひとりの男の子が保健室まで謝りにきていた。加害者二人を前に、さも被害を受けましたと訴えるかのような、情けない自分の姿を想像して恥ずかしくなった。
あのあと、すぐさま保健室に運ばれたわたしは、ベッドに寝かしつけられた。頬を殴られただけのに、何故寝かされたのかはわからない。脳に損傷でもあるのだろうか。なんて、先生たちの対応から考えてそれはなさそう。ちょっと大袈裟。廊下の外が静かになった頃、校長先生と教頭先生が、暴力沙汰の起きた学校というレッテルを張られたくないから今回の件は事故ということにしてくれと改まった様子で頼みに来た。骨が折れるとか、入院するとか、そんな大きな怪我ではなかったので、階段で転んだことにしますと答えた。教室に帰ったら質問攻めにあうのがわかっていて億劫だったので、午後の授業はさぼってずっと眠っていた。

「だいしょうぶだよ。気にしないで」

とは言ったものの、ふと保健室の鏡に映ったじぶんの頬が目に入った途端、びっくりして心の中で前言撤回。自分で想像した以上に痛々しく腫れて青くなっていた。なんだか、実際に見たら痛くなってきた。どうしてわたしがこんな目に。怒りを抑えて説明を聞くと、同じクラスのふたりは廊下でふざけあっていて、青峰くんがもうひとりの子、田崎くんを軽く小突こうとしたところ、ちょっと力が入りすぎてしまって、それに気付いた田崎くんがうまく避けたら、その先にノーガードのわたしがいた、ということらしい。つまり、わたしが青峰くんの恨みを買ったわけでも、男の子同士のガチ喧嘩に巻き込まれたわけでもなく、ただのおふざけの流れ弾に当たってしまった事故ということ。偶然って重なるものだなあ。ちょっと感心。そして自分の防衛本能の無さにも感心。彼らが話し終わった第一声に、ほんと喧嘩じゃなくてなによりだと言ったら、ちょっと呆れられて笑われた。二人とも面識はなく、ちょっと緊張していたので、ちょっと安心した。青峰くんの名前を知っていたのは、バスケがすごいと有名だからであって、話をするどころか目があったことすらない。ふたりはもう一度謝ったあと、わたしを気にかけながら帰っていった。






「はあ…もうやだ…」

次の日、やっと放課後になる頃には、わたしはすっかり気疲れしてしまっていた。早く帰ろうと荷物をまとめる。きょうはいやなことばっかりだった。朝、教室に入った瞬間みんなに心配され、質問され、全部答えていたら「席に着け」と先生に怒られた。ちょっとへこんだ。階段では左頬の大きな湿布のせいで他学年の生徒にまで振り向かれた。ちょっとへこんだ。本当は貼りたくなかったんだけど、これで隠しておかないとすごくグロテスクな色になっちゃったから、もっと振り向かれちゃうと思う。ちょっとへこんだ。移動教室のときはなるべく人目を避けた。ほっぺを怪我しただけなのに、嫌なことが重なるつながる。こういうときは何もしないほうがいい。家に帰って眠るのみ。どうせ勉強なんかしないんだから、宿題以外は置いていこう。リュックはからっぽでいいや。手早く荷物をまとめ、席を立った。アイス食べたいからコンビニにだけは寄っていこうかな、なんて思った瞬間、たくさんの視線を感じ、ぱっと顔を上げる。わたしの机の前に青峰くんがいた。

「えっあっ青峰くん、どうしたの」

「具合見に来た」

つっても、これじゃ見えねえか。ため息を吐いた青峰くんは、湿布の上から左頬を軽く押さえた。反射的にいてっ、と声を上げるとちょっと笑われた。ごめんなさい、触られたところより、まわりの視線が痛いんです。ただでさえ湿布だけでも目立つのに、青峰くんみたいな有名人と会話していたら、わたしは完璧に浮いた人になっちゃう。責めるつもりはないし、申し訳なさそうでもあれだけど、もうちょっと気を使ってくれてもいいのに。事故だったのだから仕方ないとはいえ、恨めしい気持ちは消えない。ちょっと強い口調で言い返した。

「だいじょうぶだよ。湿布貼っておけばすぐ治るし、痛くないし」

「そりゃそうだろうな」

「えっ」

「はあ?」

気がつくと、ギャラリーはゼロになっていた。青峰くんって、あんまりはなし通じない人みたい。






次の日も、そのまた次の日も、青峰くんはお見舞いに来た。放課後、毎日、わたしの教室に。あまりにも続くものだから、クラスのみんなも慣れてしまったようで、青峰くんが来てもちょっと振り向くだけで凝視はしなくなった。青峰くんはというと、わたしのことを心配する様子はあまりなく、教室に入ってきたときに「よう、だいじょうぶか」と挨拶がわりに言うだけで、あとは他愛もない話をするだけだった。どうやらわたしと雑談をするのが目的のようで、わたしが帰るというと、じゃあ俺も、と席を立つ。部活は?もう怪我もだいじょうぶだからお見舞いはいいよと何度も言ったけど、あんまりはなし通じなかった。
今日も放課後になると青峰くんが来た。そこで違和感。いつもの「よう、だいじょうぶか」のドヤ顔も、恒例になっていた左頬を触ることもない。どことなく元気がないことくらい、数週間の付き合いのわたしでもわかった。

「青峰くん、きょう元気ないね、なんかあったの?」

「べつに」

一呼吸置いてそう答えた青峰くんが、ひどく傷ついた顔をしたから、わたしは思わず質問を重ねた。

「なんか疲れてたりする?きょうは帰りなよ」

「べつに疲れてねえ」

「ていうか、もう来なくてもだいじょうぶだし、あっ明日から湿布とろうと思って」

「おう」

「青峰くんさあ、バスケ部だよね?中学校のころからキセキの世代って有名だもん、毎日わたしと喋ってて、練習しなくていいの?」

「俺練習できねえから」

「あっ、青峰くんも怪我なんだ?」

「ちげーけど」

「うん?」

「練習しなくても俺強いし」

なんだこいつ。自信過剰すぎでしょ。キセキの世代だからって、天狗になってんの。わたしはちょっとカチンときて何か言い返そうとしたけど、嘲笑した青峰くんが全然ドヤ顔じゃないから口を閉じた。やっぱり、元気がない。なんて言葉をかければいいのかわからなず、気の利いた励ましもできないわたしは黙るしかなかった。よく考えてみたら、わたしは青峰くんがバスケしてるところを見たことがない。もちろん、キセキの世代だった頃のバスケも。というより、わたしは青峰くんがどんな人だか知らない。スポーツも苦手だしバスケに興味もない。でもきっと、青峰くんの元気がない原因は、ぜったいにバスケだ。これまで会話をしていて気になったことがひとつ、青峰くんは自分の話題を振るくせに、語らない。バスケのルールを教えてもらった。黒子くんのはなしを聞いた。黄瀬くんのはなしを聞いた。緑間くんのはなしを聞いた。紫原くんのはなしを聞いた。赤司くんのはなしを聞いた。それから、うちの学校のバスケ部のはなしも聞いた。ぜんぶ青峰くんにのはなしにかすっては、避けていた。もしかしたら、青峰くんは聞いてほしかったのかもしれない。だれか、キセキの世代もバスケも知らない、わたしみたいなひとに。いままでの青峰くんの言葉を思い出してはつなげる。しかし、記憶力も構成力もないわたしにはなにも思いつかないままだった。なにか理由があるのかもしれない。キセキの世代にもバスケ部のひとにも言えない思いが。わたしになら話せると思ったのかもしれない。キセキ世代のこともバスケのことも、話したかったのかもしれない。わたしは、青峰くんのはなしを、

「なあ」

はっとした。青峰くんの絞り出すような声が、無意識につくられていた長い沈黙をやぶった。

「俺、帰るわ」

立ち上がった青峰くんは、黙って教室のドアに手をかける。待って、わたしは青峰くんのはなしを、

「次の試合で負けたら、はなしたいことがあんだ」

「聞きたい」

ほとんど同時だった。わたしがあっ、と口を押さえると、青峰くんは今日はじめてのうれしそうな笑いかたをして、歩いていってしまった。昨日だかおとといだか、次の試合の相手は海常高校って言ってたよね。キセキ世代の黄瀬くんがいるところだって言ってたよね。ぎらぎらした目で絶対負けないって言ってたよね。でも負けたらって、そんなのおかしい。はなしたいことがあるなら、もっとちゃんとはなしてくれなきゃ、わかんないよ。

「青峰くん!!」

気がつくとわたしは廊下に飛び出して、青峰くんの背中にむかって叫んでいた。

「負けろ!!!」

何かを言いたくて飛び出したのに、口から出たのはろくでもない応援。でも青峰くんはうれしそうに、

「無理。絶対勝つ」

そう言ってあきらめた顔をしていた。



青のヒールが削れていく音


わたしは次の日から、湿布を剥がした。





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