小さな妖精だった。彼が連れ立つそれは、ふわりと舞った。淡いケシ色。花の香り。きれいだね、と率直な感想を伝えると、彼はちょっと驚いたように呟いた。


「きみ、見えるの?」









どこからともなく現れた少年。彼はリゼルグと名乗った。シャーマンなんだ、とも言った。初めて聞く言葉だった。孤児のわたしが住み着いているこの空き家も、そのシャーマンの能力と、妖精モルフィンの力で見つけ出したらしい。僕も行く当てがないんだ、しばらくここに置いてよ。他にはなにも言わなかった。でも、自分と同い年くらいで同じように困っているんだと思ったから、いいよ、と言った。









リゼルグ・ダイゼルという少年は、とんだ甘ったれだった。すぐに落ち込むくせに自信過剰。否定されるたびに傷ついては泣き言を言う。口癖は「だって」「どうせ」。
諦め癖が強く、自分は非力だと思い込んで疑わなかった。ケシの妖精に向かって「僕だけでは足りない」だの「僕一人じゃできない」だの「強い仲間を見つけなきゃ」だの、しきりに話をしていたが、自分から動く様子はなかった。
わたしが思うに、彼は非常に客観的に自分を分析することができるが、その分析結果に伸縮はない。つまり、誰かに頼る予定は立てても、自分が変わる気はないのだ。そして、そんな自分に気づいては自己嫌悪に苛まれ、また泣く。そんなリフレインに、わたしは口を出すことはできなかった。もともとわたしたちは、言葉をかわすことはあまりなかった。それは、音を発するたび、子供二人には大きすぎる空き家の余った空間に静かに響いて寂しくなるからでもあったし、彼は死を見たことのある目をしていたからでもある。聞いてはいけないことなんだろう、と子供ながらに察していた。きっとシャーマンだからだと思う。瞳にはいつもどこかとおくの火が映っていて、その火はちらちら揺れるたびに冷たくなった。火が炎になって彼の眼球すべてを燃やし尽くしたとき、諦めでも自己嫌悪でもなく、意味もなく表情もなく、彼は泣いた。泣くというよりも、ただ止め処なく涙を垂れ流す。いつもは彼が泣こうが落ち込もうがかまわぬわたしも、そんなときだけは、彼の氷みたいな手をぎゅっと掴んだ。
やっぱり言葉はなにもなかった。









らごう。

赤い流れ星を見た彼はそう呟いた。

そのまま何かに憑かれたように立ち上がると、だれのものでもない家から出て行こうとした。荷物をまとめて、靴を履く。そのとき、わたしは聞いた。唆すようにひらひら浮いている妖精に、ふと呟いた言葉。

「ころさなきゃ」

彼はここに来たときから、いなくなる前提だった。いついなくなるかはわからなかったけど、でもそれだけは決まっていた。彼と妖精のおかげで、拾ったものを売って食を繋ぐ生活は、ずいぶん豊かになった。見つけたものをなんでも売る作業は、ちょっと高価なものをダウンジングで探して回収する作業に変わった。それが元通り淘汰せず、何でも拾い集めて片っ端から売る作業になるだだった。しかしわたしはリゼルグのケープの裾を引っ張った。ころすという言葉が引っかかったのかもしれない。


「どこへいくの」

「…ニッポンなんだ」

「なにが、ニッポンってなに、なにしにいくの」


うしろを向いたまま、彼はわたしに顔を見せなかった。わたしの顔も見なかった。わたしは掴む手を、ケープから手に移動させた。いままでで一番冷たい手だった。絶対零度。わたしにはわかった。今リゼルグはあの目をしている。泣いている。彼はその冷たい炎のところにいくんだ。ちがいなかった。

そして彼は、言葉を選ぶにしては長すぎるほど、たっぷり時間を取って言った。


「星を落としに」


その星は、あの「らごう」という赤い星を指しているのではないことがわかった。リゼルグはもっと遠くを見ていた。とおくの火を見ていた。そしてその火は星だった。彼が見ていたものは、火ではなく、燃える星だった。輝くために何億光年も燃え続ける星を落としに行くんだ。それは何の比喩でもなかった。


「だれをころすの」


わたしたちの質問は噛み合わなかった。いままで質問することはなかったから、練習が不足しているのかもしれない。質問だけではない。会話自体、こんなに交わすことはなかった。でも、人殺しをするかもしれない人間を黙ってん見送るわけにはいかなかった。彼が「ころさなきゃ」と口走ったのを、わたしは聞いたのだ。わたしにもまだ、いいひとのこころが残っていて安心した。


「ねえ」


そんなわたしに釘を刺すように、リゼルグが音を発した。家のなかにすっと馴染んで、向こうのほうで鳴っていた。ぎゅっと手を掴み直すと、ずっとうしろを向いていたリゼルグはちゃんとわたしの顔を見た。めらめらと静かに燃えていた。


「きみは、ぼくのなんなの」


泣いていなかった。泣いているかと思った彼は、ただ静かな目でわたしを見据え、踵を返した。


わたしは彼のなんになりたくて、なんになれるんだろう。


彼がいなくなったあとも、わたしが立ち尽くしている間中、わたしを責めるような音は大きくなった空き家のなかで反響していた。

















大きな天使だった。彼が連れ立つそれは、ずしんと降りた。宇宙みたいな藍色。土の香り。ころしたの、と物騒な質問をすると、彼は得意げに笑った。


「きみ、どっちかわかる?」









どうやら自慢をしに来たらしい。ヨーくんとその仲間たちのこと、エックスローズのこと、天使ゼルエルのこと。知らない単語。知らないひと。知らない場所。知らない景色。こんなにたくさん話をする彼を、わたしは知らない。そうしてわたしは気付いた彼の瞳の炎が少しだけ近くなり、少しだけ温度を持っていることに。

ああ、ころさない。
彼はぜったいころしてないし、ころさない。

わたしが知っている、あの冷たく燃える目の甘ちゃんリゼルグはもういなかった。日々妖精に嘆いた彼も、あの日「ころさなきゃ」と呟いた彼も、もうそこにはいない。己を氷のように冷たく保ち、火を否定し続けていた彼。氷が溶けた涙を流した彼。わたしの知らない出会いをして、わたしの知らないリゼルグになった。長いあいだ所有し続けた空き家も、もう空き家とは呼べないくらいに馴染んでしまったし、わたしの成長につれ、音のこだまは返ってこなくなった。また彼はいなくなる。今度こそ、彼がどこへ向かうのかわかった。反響しない玄関で、リゼルグはわたしを振り返って静かに問うた。


「ぼくは、きみのなんなの」


彼はきっと、滅びに向かって燃え続ける星のゆくえを見つけに行く。
三度目に帰ってくるとき、彼は小さな妖精の模倣でも、大きな天使の虚像でもなくなっているだろう。
今よりもっと熱い炎、彼がずっと見つめ続けた本物の星になって。
そうしたら、わたしも、あのふたつの質問にまとめて答えることができると思う。



わたしはきみの、持霊になりたい。







小学生のときから、
彼はわたしの「甘さ」と「優しさ」の境界であり、
不安定で不確かな基準でした。

彼がいちばんきらいなものに
彼がいちばん似ているのです。

いちばんきらいなものを
認めて、受け入れて、ゆるしたとき
彼は「甘い」のではなく
「優しく」なれるんだと信じています。

うまれてきてくれてありがとう。




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