「あんたまだここにいたんだ」

後ろから聞こえた声に、わたしは振り向かなかった。だって誰かなんてもうわかってる。きらきらひかる湖の水面をぼんやり眺めた。すると、そこに写った色素の薄い銀色の目と目があった。

「よお、おっひさー」
「うん」

軽く手を挙げて軽く挨拶したキルアくんは、ひょいとわたしの隣に腰を下ろす。緑の地面がふわっと音を立てた。ちらりと横目で見る白黒のキルアくんはなんだか目に優しくなくて、空と湖の青や森の木々の緑しか見てなかったわたしの視覚は違和感を訴えた。

「なあ、ここネッシーとかいんの?」
「キルアくん、わたしとの約束覚えてる?」

質問に答えず、質問で返す。こういう話はちゃんと目を見て話すべきだと思うのに、見れなかった。

むかしからそう。
答えたいのに応えられない。見たいのに観られない。ずっとこうなのだ。

先天的な障害だか、後天的な第三者による念能力の使用だか知らないけど、わたしはとても不安定なのだ。心ではなく、体が。
いや、正確にはどちらかが、なんだけど、やっぱりにんげんだもの心を優先したいよね。

わたしは、わたしの体がなにを考えているのかわからない。例えば、おいしいケーキを食べてご機嫌のときでも急に暴れだしたりすることがあって(そのせいで両親はおびえて、こんな山小屋にわたしを捨てていったのだが)、心と体の意思がリンクしない状況が頻繁に起きる。でも心は至って平静なので、わたしはなんでそんなにめちゃくちゃにしたがるかなあ、なんて、なかから観てるだけ。こんなふうに、心がいたくても体は辛くないし、体がうれしくても心は楽しくない。でも実際の優先順位は行動が起こせる体。そうやって振り回されながらわたしは生きてきた。

でも数年前のある日。この場所でキルアくんに出会って、心と体が一致する。見えたのはキルアくんの白黒と真っ赤な手。キルアくんの血かな、って思ったらわたしの血だった。体はいたいのに、心はうれしい。心が体を上回る。それはだんだん、心と体がおわる感覚に変わっていった。やっと、つながった。その後は心も体もいたくて辛くて、しにたい殺してと切望した。心と体はこのままずっと一緒になるんだって思った。朦朧とする意識のなか、鳥みたいな名前のひとが来て、キルアくんとちょっとお話をしたのを見た気がした。しばらくしてキルアくんはそのひとにチッ、と舌打ちをすると、わたしのほうを振り返って笑って言った。

「次に会ったらころしてあげる」

その途端、またばらけた。心はしにたいころしてと叫び。体は死にたくない殺さないでともがく。頭がぐわんぐわんと揺れて、二つの均衡を保てなくなって、そのまま気絶したんだと思う。
なつかしいなあ、いつのまにか、ものすごい月日が流れていた。




「オレ、ハンターになったんだよね」

キルアくんは、わたしの質問には応えなかった。わたしが答えなかったから、仕返しかも知れない。

「ハンター試験、いっかい落ちてさあ、マジ予想外。でもまあ二回目はよゆーで合格したし、たしかその年は合格したのオレだけだったわけ。すごくない?で、そこでなんか変なやつに会ったんだけど、そいつすっげえバカでさあ、あ、おまえほどじゃないよ。んーなんてゆーか、ジャングルで野生動物にでも育てられたんじゃないの、ってかんじ。でもそいつ、見てるこっちが恥ずかしくなるくらい真面目っていうゆーか、まっすぐってゆーか、まあ単純なだけなんだけど、でも、まあオレあんまこーゆーこと言うタイプじゃないんだけど、そいつのことすきになっちゃったんだよね」
「惚気話?」
「そいつ男ですー」

湖の向こう岸を見ながら、そこまで一気に呟いたキルアくんはわたしに向き直った。

「だから、あんたとの約束覚えてるけど、オレそーゆーのやめたから」

かっと頭に血が昇るのがわかったかと思ったら、ぱん、という乾いた音が響いてこだまに変わった。
わたしの右手が、キルアくんの頬を張り倒した音。キルアくんのほっぺは赤くなっていた。
わたしはびっくりして謝ろうと口を開いた瞬間、体はまた身勝手を起こした。

「うそつき」

あっ、と心が口を押さえようとしたけど、体はぺらぺらと述べ続けた。

「わたしのこと可哀相じゃないの?あのときは可哀相って、そういう目してたじゃない。どうしてころすつもりもないのにここに来たの?ひやかし?それともアレ?キルアくんって自分より可哀相なひとがいないと生きれないタイプの人だっけ?そうだよね、わたしがいなくなっちゃったら自分が可哀相だもんね、だってキルアくんのおうちは可哀相なひとが可哀相なひとを殺したり作ったりするのが仕事だもんね、あ、わかった、そのお友達に感化されてそんなこと言ってるんだ、キルアくんって流されやす」

きゅっとわたしの喉が鳴って、それ以上なにも話せなくなった。わたしの首をつかんでいるのは、たかがキルアくんの片手。そんな細い腕のどこからそんな力が出てくるの、とにかく、これでいいの、ありがとう。
苦しい苦しいと体が喘ぐ。けど心はとってもしあわせ。心が体を凌駕する、あの感覚。ああしぬことができる。湖の水面にぽたん、ぽたんとしずくが垂れて、今度はわたしの血かなって思ったらキルアくんの涙で、きっと見間違いだと思って、じゃあキルアくんの血かなって思ったらわたしの涙だった。そうだよね、よく考えたら血は赤いもんね、でももう赤ってどんな色か忘れてしまった。やっぱり体はわたしの心のいうことを聞く気はないらしい。勝手に泣いて、勝手に血だと錯覚するなんて。

「おまえほんとにバカ」

しにそうなのに、まだ体が、心が、なんて考えてるのがわかったのだろうか。呆れたような声を出したキルアくんは、わたしの首からぱっと手を離した。その手で自分の涙を拭って、そのあとわたしのうでを強く掴む。酸欠で頭が働かないうえ、その一連の動作に見入っていたわたしは、もう鉄だか塩だかよくわからない味のする口で思わず、なんで、と呟く。血だとか、涙だとか、しにたいとか、ばかだとか、もうこころはごちゃまぜだった。

「いいじゃん、もう」

血だらけの心をかき消すように、キルアくんは薄く笑った。

「ふたりでネッシーでもさがそーよ」

ぐっ、と腕をひっぱられたかと思うと、ばしゃん、と、どぼん、ふたつの音がふたり分聞こえた。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -