07





今日はシーザーとの波紋の修行は休み、リズは街の外れにある図書館まで出掛けることにした。
この近くにはギャングのアジトがあるという噂があり、用もなく近付く人はいないのだが、美術の専門書はリズのお小遣いではなかなか手が出せないため、ここを頼るしかない。
最初こそ強かったものの、何度か通ううちに、今では決まった道さえ通れば怖くはないとリズの恐怖心も薄れている。
貸出用の会員証と買い足す絵の具のリストを鞄の中に入れたことを確認し、シーザーに財布を忘れていることを指摘され、荷物の準備が済んだリズは家を出た。

リズは、ローマにある大きな美術大学に通うことが夢だった。
小さな頃から画用紙に絵を描いてはシーザーに見せ、それを褒めてもらうのが好きで、その延長で目指しているに過ぎないのだが、描いているうちに実力だってそこそこついてくる。
絵を描く才能も、特別なものだとリズは考えていた。
だから努力して上達しようとするし、目標だって高く持つ。
シーザーも、その目標のためになら波紋の修行を休むことに文句は何一つなかった。

「青色をもう少し増やそうと思うんだけど…でも、赤も少し欲しいし…」

「青色系統の絵の具は随分と買い込んだじゃあないか。この間なんて、二日続けて同じ色を新しく買ったりして…」

「それは、そうだけど…」

うんうんと悩むそぶりを見せてから、やっぱり赤色の絵の具を増やすことにリズは決める。
そのうちに図書館の目の前に到着しており、重い扉を開けて中に入った。
すうっと鼻から古紙の匂いを吸い込み、図書館の空気を楽しむ。
ついピリッと波紋が指先から流れ出そうになったが、わざと咳をして呼吸を見出し誤魔化す。
しかし、シーザーは誤魔化せずに緩く握った拳の甲でコツンと頭を小突かれた。
館内には休日でも人は少なく、窓から差す陽の光で昼寝を楽しむ老人と、日に焼けて変色した背表紙の本を読む司書が一人いるだけだった。
通い慣れたこの狭い館内も歩き慣れたもので、すぐにリズは美術書の集まる棚を見つける。

「シーザー、デッサンの本を見つけたら教えてね」

「ああ、分かったよ」

書籍の量は他と比べても多いのに、あまり整理のされていないこの本棚からお目当を探し出すのは困難で、リズはいつもシーザーに協力してもらっていた。
英語、フランス語、スペイン語など、母国語以外のものもある。
これはどうか、あれはどうかと次から次へと手に取り立ち読みしていると、自分から離れた本棚から、ふよふよと飛んでくる小さなものを目にする。
鳥や昆虫のように羽が付いているわけではなく、まるで人間のように手足が付いているが、だからといってこれは人間ではない。
よく見てみれば、泣いているようだ。
シーザーの服を引っ張り「あれ」と指差せば、シーザーもそれに気付いたようで、さらに向こうの小さいのもこちらの存在に気付く。

「なに…!?」

「ミ、ミエルノカ!?」

「ねえシーザー、あれなにぃ…!?」

小さな生物はピュンと来た方向に引き返し、あっという間に消えてしまう。
リズとシーザーは顔を見合わせて、いったいあれは何だったのかと首を傾げる。

「妖精?目の錯覚?」

「…害は内容だが、怪しいな。早めに帰るぞ、リズ」

シーザーに背中を押されるまま、リズは見つけてもらった本を手に取り司書の居る受付へと向かう。
財布からレンタル用のカードを取り出し、騒ぐ胸を押さえるように本を両手で抱きしめ外に出る。

下を向いて歩いていたのがいけなかった。

焦りから目の前に現れた存在に、シーザーに名前を呼ばれるまで、額に銃口を当てられるまで、気付けなかった。
恐怖に騒ぐ胸と肺。
顔を上げて相手を見ることも出来ない。
そんなリズを、幽体であるシーザーは助けられない。

「…スタンドが見えたらしいな」

銃を突きつける男が、感情のない声を発する。
リズはパニックに陥っていて、質問にどう答えるべきか、そもそもこの質問には答えるべきなのか、何も判断が付かず、ただ指先の冷たくなった手でスカートを握り、相手の派手なブーツのつま先を見ることしか出来ない。
しかし、何時までもその黙りが許される訳ではなく、向けられた銃口で額を押され、強制的にリズの目線が上を向く。

「話せないのなら、連れて行くまでだ」

「…っ!やだ!離して!」

「リズッ…!波紋だ!」

「無理だよシーザー…!」

リズの抵抗虚しく用意されていたであろうタクシーに乗せられる寸前、けたたましいクラクションが鳴った。
タクシーの後ろに着けたその音の正体はバイクで、乗っていたのは奇妙な服装に目を中途半端にマスクで隠した男だった。
リズの腕を掴んでいた男が舌打ちする。

「何の用だ?」

「君の単独行動を咎めにさ。ミスタ。その子は放してやったほうがいい。他の組織の人間じゃあない。俺が保証する」

「胡散臭い人間を信じろって方が、難しいと思わねーかァ?なァ」

「離してやれよ、ボス命令だぜ?」

「…嘘だったら」

「電話でもかけてみなよ。分かるだろ」

リズ抜きにして話は進んでいく。
この隙に逃げられないものかと、そっと一歩後退してみたが、リズの手首を捉える手の拘束は解けなかった。
ミスタと呼ばれた男は、苦虫を噛み潰したような顔をして、怯えるリズを見て、やっと解放してくれた。

「その子、うちのかかりつけ医の子なんだ」

「プロネルさんの子だろう?」とマスクの男に声をかけられる。
どうして彼が自分の父親のことを知っているのかはわからなかったが、シーザーは話に乗るようにリズに指示する。
小さく頷けば、ミスタは面倒くさそうに頭を掻いて「娘が居るなんて聞いてねーぜ…」と呟いた。

「すまないね、えーっと」

「…リズです」

「リズちゃん、ね。もうこんな危険な場所には来ない方がいいぜ。真っ直ぐ帰るんだな」

それだけ言って、マスクをした男はバイクを発車させた。
ミスタも一人でタクシーに乗り込みどこかへ消えてしまい、リズとシーザーが残される。
溜まっていた緊張感を全て吐き出すように「もおーー…」と情けない声でしゃがみこむ。
今回の件に関しては、リズには分からないことが多過ぎる。
必死に気遣ってくれるシーザーに向かって「ばか」と一言言うくらいしか、リズにはできなかった。





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