いつの間にか、トレンチコートだけでは足りない季節になっていた。
名前はコートのポケットに手を入れて、少しでも素肌が外気に晒されないように努める。
手首に引っ掛けた紙袋が重く負担になるが、寒い思いをするよりはマシだ。
しかしあまりにも寒いので、少しくらいのんびりと暖を取ってもいいだろうと、踵を返してカフェに駆け込み、カウンターへと並びカフェラテを注文した。
土曜日のイタリア、ガラス越しに見るネアポリスの街は、夜にさしかかっても賑わっていた。
日曜になれば多くの店が休みに入るのもあるが、新年を迎える前はどうも皆が浮き足立つ。
名前は、また自分の周りの人間はそういった行事ごとを楽しむタイプの人間ではなく、こうして人混みの中に居ても、自分はうまく周りに溶け込めていないように思える。
けれど、周りはそんな名前を不審がらず、むしろ気にすることなく盛り上がる。
久々に砂糖を入れて飲んだカフェラテは、そんな名前を励ますように体を温めた。
一緒に盛り上がるような人が欲しいとも思わない。
そういう男は名前の仕事に支障を来すこともあり、また付き合うこと自体面倒くさそうだ。
ギャングの一員になった時点で幸せなど諦めたも同然だし、現状に幸せこそなくても不満だってない。
永遠に正解が出ないようなことを考えていたら、それを止めろとでも言っているかように、携帯電話の着信音が鳴る。
画面には、仕事仲間であるギアッチョの名前が表示されていた。
「ギアッチョ、どうかした?」
仕事以外での必要以上の連絡を取ろうとしない彼から電話が来るのは珍しい。
「何もねェよ。…お前、今何処にいる?」
ギアッチョの声以外に、エンジン音と走行音が微かに聞こえる。
おそらく、彼に与えられていた任務からの帰り道なのだろう。
何事にも正確な答えを求める彼を刺激しないよう、「ネアポリスのカフェ」と端的に伝え「仕事お疲れ」と付け加える。
「流石だね、一日もかからず終わるなんて」
「お前のスタンドだったら、三日はかかってただろうな」
今日はちょっとした雑談にも乗ってくるところから、名前はギアッチョの機嫌が悪くないことを察する。
そんな気難しい彼が、わざわざ連絡をしてきた理由がわからない。
「お前、ネアポリスのどのカフェにいる?」
「迎えに行く」と言葉が続く。
「珍しい」という言葉を飲み込んで、「ありがとう」と伝える。
「ネアポリスならもう五分で着くから、外で待ってろよ。お前何処にいる?」
「市電沿いの、…前に話してたカフェ、わかる?」
「随分と洒落たところにいるじゃあねーか」
「寒くてね、ふらっと入ったの。黒いトレンチコートに白いマフラーしてるからね」
「おう、今行く」
ハンドルを切って車の方向を変える音がする。
それから、また後でと電話を切って、残りのカフェラテを飲み干す。
少し量が多くて気持ち悪くなりそうだったが、外のヒンヤリした空気を吸い込めば、スッと胃の不快感も消える。
外灯が着き始めた夜の街は、やはり騒がしい。
ロマンチックな考えができる人間だったなら、名前も雰囲気に酔えただろうが、今ならただ寒さで輝きを増して鬱陶しいだけだ。
もう少し店内で待っていれば良かった、と暖かそうな中の様子を伺ってどうしようか迷っていたところで、クラクションが鳴る。
見慣れた赤い車に駆け寄れば、窓が開きギアッチョが運転席から顔を出す。
「随分と薄着じゃねーか。アタマイカれたのかァ?」
「私も失敗したと思ったよ。だから、迎え助かった」
「後ろは荷物積んでるから、助手席乗れよ。轢かれんじゃねーぞ」
ギアッチョの指示通り、後ろから回って、素早く助手席に乗り込む。
こうしてみれば、そこら辺にいる恋人と変わりないのだが、シートベルトを締めながら見てしまったクーラーの送風口の崩壊が、やっぱり普通じゃないことを表しているようだった。
「また壊したんだ」
「嫌なこと思い出させンなよ」
「修理代、後で渡すね」
名前が荷物を落ち着けてから、ギアッチョは合図なくアクセルを踏む。
荒々しい運転によって、素早く消えていく街の灯りを眺めていたら「イルミネーションなんて、ゴミみたいなモンじゃあねーか」と名前を嗜めるようにギアッチョは言う。
「私がそんなロマンチックに見える?」
「うっせェな」
image music(ミッドナイト・クラクション・ベイビー/THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)