あの話を聞かせて

人に近付くために
心を忘れないように






『あの日から変わらない心を』







 コトリ、とテーブルの上にマグカップが置かれ、何故か優しく感じる音が耳に届いた。白い陶器の中で、黒とも茶色とも言えない液体が踊る。

「ありがとうございます」

 シープスは穏やかな笑みを浮かべ、珈琲を淹れた人物を見上げた。その人物────レイヴは、礼には及ばないという風に首を振り、近くにあった椅子を引き寄せ、自らも珈琲を口にしながらそれに腰掛ける。シープスは珈琲を一口嗜んでから、ほ、と息を吐く。

「珈琲を淹れるのがお上手ですね」
「淹れるのも、飲むのも、好き、だから」
「この間、街で小さなカフェを見つけたんです。今度一緒に行きませんか?」
「うん…行く」

 嬉しそうに頷くレイヴを見て笑みを零してから、シープスはキィ、と椅子を軋ませ辺りを見回した。病院かと錯覚させる様なこの部屋は、少しばかり消毒液や湿布の匂いがする。

「デリさんは何処へ行ったんですか?」
「多分…幹部の、所」
「フロストさんの?あのお二人は本当に仲が良いんですね」

 クスクスと笑いながら、シープスはまた一口珈琲を啜った。その様子を一瞥してから、レイヴは窓の外へ目線を移す。開け放たれた窓からは、肌に心地よい涼しさの風が吹き込み、医務室の白いカーテンを揺らしている。

「デリが、もう、秋だって、言ってた」
「そうですねぇ、夏も終わり…長かったような、短かったような」
「あの…さ、シープス」
「何です?」

 レイヴの問い掛けに、シープスはマグカップを傾けながらその先の言葉を待った。
 レイヴは、何と言えばいいのか分からない、という風に口をパクパクさせたが、やっとの事で、言葉を選び出す。

「夏は…、どこに、行く?」
「夏………ですか?」

 レイヴの唐突で変わった質問に、シープスは一瞬答えに詰まり怪訝な表情を浮かべたが、すぐに口元を緩ませた。こういう質問には、昔から慣れている。

「夏は、冬の間は海の底に身を隠すんです」
「海の、底?」
「えぇ、ですから皆は暑くなってくると海開きをして、夏を起こすんですよ」
「でも、どうして、隠れる?」
「それは、夏が冬と喧嘩してしまうからです」
「けん、か?」
「夏は、冬の自慢である雪を溶かしてしまいますから。それに対して、冬は夏の自慢である活発さを失わせる」

 シープスの話に、レイヴは成る程、と頷いた。話の内容はどれもシープスの想像に違いないが、レイヴにとってそれは、初めて耳にする不思議な事実である。彼の胸には様々な疑問と感心が渦巻き、その内の疑問は、思うがままに口から零れる。

「それなら、秋、は?」
「秋は…世渡り上手なので、夏とも冬ともやっていけます。だから夏と冬の間に立つんです」

「春は?」
「春、は………」

 ふと、シープスは言葉を濁した。どう説明すれば彼は喜び、納得してくれるのだろうか。ふと、シープスの言葉の続きを待つレイヴに、聞いてみる事にした。

「貴方は、どう思いますか?」
「…………俺?」
「私は、貴方の話も聞いてみたいです」

 予想外の問い掛けに、レイヴは腕を組んで考えた。それはそれは、長い間。待ちかねたシープスが声を掛けようと口を開いたのと同時に、レイヴは顔を上げる。

「春は、綺麗だ」

 嬉しそうに紡がれたその言葉に、シープスはまばたきを一つした。

「どういう事ですか?」
「春は…綺麗な、人なんだ。鳥と歌って、花と、遊ぶ。綺麗で、爛漫だから。夏も、冬も、文句が言えない」

 その言葉に、シープスは驚きの表情を浮かべたが、それはすぐに感心と喜びへと変わる。

「貴方がそんな考え方をするだなんて、嬉しいです」
「嬉、しい…?どうして」
「いえ、何でもありません」

 笑みを浮かべ首を振り、また珈琲を啜った。人としてでは無く、殺戮人形としてこの世に生を受けたレイヴが、まるで人の様な考えを持っていた事が、シープスにはただ嬉しかった。マグカップを置き、腕時計を確認すると、無意識の内に落胆の溜め息が漏れる。先程の歓喜も、ここで終わりだ。

「珈琲、ご馳走様でした」
「もう、行くの?」

 立ち上がったシープスを見上げ、レイヴは少し悲しそうな声を出した。すみません、と謝ってからドアへと向かう。ドアノブに手を伸ばしながら、そういえば、と振り返った。

「レイヴ、貴方は今日、仕事がおありですか?」
「うん……午前、2時から」
「そう、ですか…。それでは、行ってきますね」
「行って、らっしゃい」

 ひらひらと手を振るレイヴに軽く礼をして、シープスは廊下へ出た。

 レイヴは少しずつ、人間へと近付いている。感情を表すのにはまだ慣れていない様だが、シープスが初めてレイヴに会った頃より、顔つきは優しくなっていた。
 だが、彼には毎日のように任務がある。
 昨日も人を殺し、今日も人を殺す。そしてきっと、明日も人を殺すのだろう。戸惑いや後悔などは、彼の中には存在しない。それが彼の存在理由だからだ。毎日少しずつ得ていった人間らしさを、レイヴは毎日少しずつ、任務の度に殺していく。

 人を殺す度に、己さえも殺している。

 シープスにはそれが、只々、悲しかった。




『あの日から変わらない心を』Fin.




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