限界というものは、ふとした瞬間、簡単に到達するものだ。
『脳天から潔く』
────ガシャンッ
金網に叩きつけられ、そのままバランスを崩し倒れ込んだ。その少年の細い髪からは、ぱたぱたと血が滴っている。
「バーカ、バーカ」
「お前むかつくんだよ」
手を踏まれ、髪を掴まれる。整っているはずの顔には青痣や切り傷ができ、鼻血も流れていた。少年は大した抵抗もせず、ただ加えられる暴力、暴言に耐える。泣きもしない、怒りもしない。感情を全く表さず、まるで自分たちの事を無視しているようで、加害者である複数の子供は更に苛立ちを募らせた。
「何か言えよ!」
堪らずそう怒鳴り、一人の子供がその前髪を掴む。顔を上げさせれば、伏せられていた視線が、ゆっくりとこちらを射抜く。それを見た子供ははっとした。
少年は、加害者であるその子供の事を嘲笑していた。
更にその嘲笑には少しばかりの哀れみが含まれている事を幼いなりの感覚で掴んだ子供は、再び拳を振り上げその頬を殴った。少年は再びコンクリートに身を埋める。
「お、お前…ふざけんな!わ、わ…笑ってんじゃねぇよ!」
動揺を隠しきれず、子供は少年を更に蹴る。その動揺の理由を知らない他の子供たちは戸惑いながらも、再び優越感に浸ろうと少年に危害を加え始めた。殴る蹴るは勿論の事、頭上からは暴言が降り注ぐ。
「お前、なんか、弱い、癖に!」
子供の一人が少年の鳩尾を蹴り上げながら、一言一言叫ぶ。
「俺達は、お前、なんかより、強いんだ!調子に乗るんじゃねぇよ!」
ぴくり、少年の肩が揺れる。ゆっくりと顔を上げ、今まさに自らの顔面を殴ろうと振り下ろされた拳を手の平で受ける。突然の動作に、子供達は動きを止めた。
「馬鹿な奴は相手にしないと決めていたのに、残念だ」
はっきりと、しかし少し掠れた声で少年は言った。子供は慌てて捕まれた拳を振り払い2、3歩下がる。
「な、なんだよ!文句あんのかよ!?」
「文句は無い。ただ貴様等に失望を繰り返していただけだ」
子供達と同い年とは思えない言葉を並べ、少年は立ち上がり散った長い前髪を耳に掛ける。今まで虐められていた時とは明らかに違う態度、物腰に、子供たちは焦りを露にする。少年は子供たち全員の顔を見つめ、地面に転がっていた鉄パイプを拾い上げた。少年の雰囲気に異常なまでの危機感を感じた子供たちは後ずさる。
「それ、どうするつもりだよ…っ」
「今に分かる。黙って歯を食い縛れ」
「どういう………」
────ボクッ!
耳を塞ぎたくなるような鈍い音が鳴り、子供はその場に崩れ落ちた。脳天は少しばかり陥没し、鉄パイプには血が伝う。
「ぅ、うあああああああぁ!」
状況を把握した他の子供は恐怖におののきその場から逃げ出そうとする。すかさずその腕を掴んだ少年は、再び鉄パイプを振り上げた。一度殴り床に倒した後、鉄パイプを両手に握り直し再び殴りかかる。残った子供は腰を抜かし、恐怖に見開かれた目から涙を溢れさせた。
「あ…あああ…」
「見ろ、こいつらは強かったか、自分は強かったか?自惚れは破滅を導く、それをよく覚えている事だな」
「い…いやだ…いや、」
少年は鉄パイプを握ったまま、ぱんぱんと半ズボンの下から覗く膝に付いた汚れを払う。口元の血を拭うが、血は止まらず切り傷からジワリと滲んだ。
辺りに崩れている死体を見回す。何故か自然と笑みがこぼれた。
いつまでもこの場所にいると見つかる。拘束されようが別に構わなかったが、少年は凶器と化した鉄パイプを持ったまま路地から出た。
「楽しかった?」
路地を出た途端、背後から声をかけられた。驚いて振り替えると、少し年上なのだろう、背が高く茶色の髪をした青年が本に目線を落としながらそこにいた。いつから見られていた?今殺すべきか?
「警戒しなくていいよ、通報もしないし叫び声もあげない」
本を閉じ、青年は血塗れの少年に目を向ける。鉄パイプを見、路地を振り返り、そしてまた少年の顔を見った。その口元にはずっと笑みを浮かべている。
「早く逃げた方がいいね。14歳以下だから処罰は受けないだろうけど」
「…誰だ」
「君の味方」
「なぜ?」
「特別な理由は無いよ、ただ…君に興味があるだけ」
あぁそうだ、と青年は続ける。
「最初の質問に答えてよ」
「………?」
「初めての人殺し、楽しかった?」
その質問に、少年は無反応かと思われた。が、すぐに口元がフッと笑う。そして、答えた。
予想以上だ。
『脳天から潔く』 Fin.
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