何もない午後。
足元が灰色の時間に、いつもの習慣で屋上へと向かった。
ドアを開け、まず目に入ったのは街の仄暗い景色では無く。
ハッとする程、見慣れた。
─────赤。






『思考する黒、笑う赤』






 先客は、物騒な血の色であった。が、それは血とは似て非なる赤で、もしかすると、血よりも物騒かもしれない赤である。
 自然と息を潜め、足音を消してそれに近付く。それでどうするという訳でもないが、屋上に寝転がっているその赤を覗き込んだ。

 寝転がる赤───フロストはどうやら屋上に侵入して来た我が身には気付いていないらしい。軍帽が影を落としているせいで目元は見えないが、規則的に呼吸を繰り返している所から、彼が寝ているのだと分かる。起こすべきだろうか?いや、起こしたとして何があろう。それに、デリがいつも言っていた。彼は疲れているのだと。

 これと言って何かをしに来た訳でもない。今日はもう戻ろうかと少し体を引いた時、目の前の赤が突然に体を起こした。それはあまりに突然の動作で、レイヴは指をピクリと動かすことしか出来なかった。体を起こす一瞬の間に抜き取ったのか、銃口がこちらを狙っている。揺れる細い髪の間から切れ長の隻眼がこちらを確認し、目が合うと、さらにその目が細められた。

「なんだ、お前か」

 ふっと息を吐き出して、フロストは銃を下げた。それと同時に、レイヴも体から力を抜く。張り詰めた空気が少し緩んだ。起きあがる際に落ちた軍帽を拾い上げるフロストに、少しだけ頭を下げる。

「ごめん、なさい」
「なにがだ」
「起こしちゃった…から」
「あぁ…別に、怒っちゃいない。驚いたがな」

 コンクリートに腰を下ろすフロストの横に自らも腰を下ろしながら、レイヴはじっとその横顔を見つめる。その視線に気付いたのか、フロストはレイヴを見て怪訝な表情を浮かべた。

「なんだ」
「……いつも、ここに…?」
「あぁ、ずっとビルの中じゃあ気が滅入るだろう?」
「うん…俺も、そう思う」

 まだまだ高い空を分ける飛行機雲を仰ぎ見ながら、レイヴは答える。冷えた風が二人の髪を揺らした。

「……レイヴ」

 しばしの沈黙の後、フロストが唐突に口を開く。

「お前は、何故ここにいる?」
「…それは、さっき…」
「違う。お前は、何故"Evil"にいるのか聞いてるんだ」
「……………」

 答えは分かっているはずなのに、何と言えば良いのか分からない。故に黙ったままでいると、フロストは視線をこちらに向け、言葉を続けた。

「別に、ここにいるなと言っている訳では無い。だが、お前は自ら"Evil"に入りたいと言った訳では無いだろう?ここにいる事は強制ではない。他の道ならいくらでもある。お前は、好きな道を選べば良い」

 レイヴは、困惑した。
 なぜこんなにも、この人の言葉は自分の中で響くのか。

「………俺は」

 慎重に言葉を選びつつ、また空を見上げる。

「俺は…ここに、いたい。確かに、自分から望んだ訳じゃ、無い。でも…俺は、ここの皆が、好き、だから…」

 言葉というものは、本当に難しい。自分の言葉はフロストに届いたのかと、その横顔を見やった。

「それは、お前の考えだな?」
「…ん」
「そうか。それなら良い」

 そう頷き、フロストはスッと立ち上がった。見上げると、空の青と軍服の赤が、見事なコントラストを描いている。

「…幹部」
「どうした」
「俺、少しだけ…貴方の事が、分かった気がする」

 レイヴの言葉に、フロストは驚いた顔をした。だがそのすぐ後に、少しだけ笑って、

「俺もだ」

 そう、繋いだ。

『思考する黒、笑う赤』 Fin.
(三千打を蹴踏した志闇様へ捧ぐ)




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