夢をみた。

彼はずっと、泣いているのか笑っているのか、
曖昧な表情のまま。





『利己的ヒューマニスト』




 ここはどこだろう。
 暗い。だが何も見えないという訳じゃない。手をかざせばちゃんと指は五本あり、見下げれば下半身もちゃんとある。

 水面に立っている。底など見えない程に仄暗く、一歩踏み出せばそのまま闇に飲み込まれて行くのではないかという程。だが体は自然と一歩を踏み出した。闇を覗いてみたい、その様な気持ちがあるからだろうか。だが、これは"自分"のものではない気がする。爪先が触れた箇所から波紋が広がる。ただそれをぼんやりと眺めながら、一歩、また一歩と歩き続けた。



「よぉ」



 唐突に、己を呼ぶ声が暗闇に溶け込む。

「…!」

 声のする方を振り向いて、愕然とした。目の前には、確かに自分が立っていた。間違いなく見た目は自分である。だが微かに、表情の作り方や歩き方が違っていた。纏わりつく、空気さえも。

「貴方…は、」
「俺だよ」

 沸々と、自分の中に怒りが沸くのを感じた。刀なら、ある。この男を殺せば、自分はきっと楽になれる。思えば全てがこの男のせいなのだ。全て、全て、全て!


殺シテヤル……!


 激しい感情に身を任せ、シープスは刀を自分と同じ姿の男に突き立てた。確かな感覚が手に伝わってくる。

「無理だ」

 男が発したのは否定の言葉。何を、そう問おうとしたが。

「……な……?」

 シープスの体はバシャリと暗闇の中に倒れ込む。手元にあった、確かにレスの体を貫いたはずの刀は、今やレスが握り、その刃は自分の胸に深く突き刺さっている。

「言っただろ、無理だって」
「どうしても、ですか」

 シープスは何の抵抗も見せずに、己を組み敷いたレスを見上げる。いつの間にか、先程体中を駆け巡った感情は消えてしまっていた。それは、もう諦めがついたからなのか。それとも、彼を殺す事の出来ない理由を、実は理解しているからなのか。

「いつもこうだろう」
「いつも、とは?」
「よく考えろ。お前が怒り、恨みの感情を抱いた時、代わりにそれを消化してやったのは誰だ?お前が初めて人を手にかけた時、実際にそいつを殺したのは、誰なんだ?」

 なぜだか分からないが、彼は少し、辛そうな表情を浮かべている。

「……俺だよ。怒りや恨みを受けてんのも、お前が壊れずにいられんのも、全部俺がいるからだ。お前も、よく分かってるんだろ?」
「………………」

 やはり、理解していた。否定など、出来る訳が無かった。全て彼の言う通りだ。もし彼が存在しなかったのなら、自分はどうなっていたか分からない。いつも、この手で奪った命を目の当たりにした時、表面上はそれを悲嘆していても、心の奥で"自分"がしたのではない、"彼"がやった事だ、と妥協している自分がいた。又、この様なニンゲンに生きる価値など無い、と何の感情も抱かずに人を殺める事が出来る"自分"が存在するのも確かである。だが結局、事実上殺害を犯すのは"自分"の中の"彼"であり、"自分"ではない。

 それが、"自分"が壊れずにいられる理由だった。

「そろそろ、受け入れろよ」
「……………嫌です」
「お前が嫌でも、これは事実だろ。それは、分かってるんだな」
「分かって、います。だからこそ、拒否するんです」

 真っ直ぐと、彼の瞳を見据えた。
 "自分"の目と、よく似ている。

「貴方は私であり、私は貴方である。それは紛う事なき事実です。その事は認めます。ですが、受け入れはしません」

 シープスの言葉に、レスは一瞬、その顔に憾悔の色を浮かべる。それを取り繕うかの様に、また笑みを浮かべた。刀を抜き、血の溢れる事の無いシープスの胸に手を添える。

「いつか、お前は俺を受け入れる。楽しみにしとくさ」

 瞬きをした刹那、レスは水となって、パシャリとシープスの上に崩れ落ちた。スーツにそれが染み込んでいくのを肌で感じながら、シープスは一人、笑みを浮かべる。

 その笑みは、スーツに染み込んでいった男のものに似ていて。
 それもまた、事実だった。


『利己的ヒューマニスト』 Fin.




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -