落ち着かない。
 胸騒ぎがしてカーテンを開ければ、やはり外は今にも泣き出しそうな曇り空であった。雨が降り出すのも、きっと時間の問題だろう。溜め息を一つ零し、シープスはネクタイを締め直す。

 雨の降る日は、どうにも落ち着かない。





『雨はぼくを溶かして』




 夜になる前に、やはり雨は地面を叩き始めた。水溜まりを避けて道を歩く。だがそれでも道路自体は濡れていて、跳ね返ってくる水滴はもはやどうしようもない。スーツの裾に付いた汚れの酷さを想定し、益々雨に嫌気をさしながら、シープスは本部ビルへ急いだ。
 ふと、足が止まる。建物と建物の間の路地に、人影が見えた。影は2つ、揉み合う様にして重なったり離れたりを繰り返している。よく目を凝らして見てみると、それは暴行を受けている女性と、下劣な笑みを浮かべ暴行を加える男だった。弱々しい悲鳴をあげながら、女性は少しでも抵抗しようとバッグを振り回す。甲高い悲鳴は表通りまで届いているはずだ。もし届いていないなら、シープスの鼓膜は震えない。だがそれでも表通りを行き交う人々が女性を助けようとしない理由は、考えずとも明白だ。

(……醜い)

 愚かだ、どうにも堕落している。心の底からの嫌悪感。吐き気まで催すそれに、思わず顔が歪む。ふと、男が此方に気付いた。

「おい、何見てんだぁ?」

 お決まりの台詞を並べ立てながら、男は脅すような目つきでシープスへと近付く。女の腕は、しっかりと掴んだままだ。

「何か文句でもあんのかよ?」

 シープスが怯える様子を見せない事に苛ついたのか、男はシープスの胸倉を掴む。

(耳鳴りが酷い…頭が痛くなってきた)

 男を見る事も無く、シープスは鼓膜に纏わりつく甲高い騒音と、脳を叩き続ける痛みに舌打ちを一つ鳴らす。その舌打ちは自分へのものだと勘違いしたのか、男は顔を赤くし、乱暴な口調でシープスを脅す。だがそれすらも、シープスの鼓膜を振動させた時にはただの耳鳴りに変換されていた。

「…………すみません、少し黙ってくれませんか」

 それとも、と言葉を繋ぎ、男を見上げる。

「私が黙らせましょうか」

 しまった、と男が後悔した瞬間には、時すでに遅し。胸倉を掴まれている男は、ゾッとする様な、穏やかで猟奇的な笑みを浮かべていた。





 土砂降りと言っていい程の激しい雨の中、白いスーツを着た男は傘もささずに立ち尽くしていた。右手に握り締めた傘を、目の前まで持ち上げる。傘の貧弱な骨は真ん中で折れ、先端はブラブラと揺れるがままになっていた。

「折れちまったじゃねぇか…。まぁどうせ、もうずぶ濡れだけどな」

 クックッと笑みを浮かべ、レスはしゃがみ込み目の前で先程絶命した男の屍を眺めた。幾度となく傘で殴られ変形したその顔面は、もはや鼻や口がどこにあるのか分からないまでになってしまっている。この男が暴行をはたらいていた女は、いつの間にか何処かへ消えていた。逃げる際に悲鳴をあげていたが、その悲鳴は、暴行を受けた事の恐怖が原因では無さそうだった。

「会社行かないとな」

 折れてしまい用済みになった傘を、どうしようかと辺りを見回す。再び視界に入った屍を見て、そうだ、と思い付いた。何の戸惑いも無く、眼球に傘を突き立てる。

 眼球を、脳を掻き分け見事に突き刺さった傘は、またブラブラと貧弱な体を揺らしていた。







「あれ?シープスさん、びしょ濡れじゃん、傘は?」

 ポタポタと滴を落としつつ本社へと姿を現したシープスを見て、双子は首を傾げる。シープスは滴のついた眼鏡を拭きながら、困った様な笑みを浮かべた。

「傘は…どこかに忘れてしまったみたいです」
「風邪ひくっしょ?タオルならあるけど?」
「いえ、大丈夫です」

 有難う御座います、と断り自室へと向かう。エレベーターの中、壁にもたれ掛かり顔に張り付く前髪を掻き上げた。目を閉じると、浮かぶのはあの男の顔。それと、脳裏に焦げ付いている、自分の物では無い記憶。

(……醜い)

 愚かだ。どうにも堕落している。



『雨はぼくを溶かして』 Fin.





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