ぎたい【擬態】
─ある物の様に似せる事
─環境に似せ目立たなくする事
『擬態する捕食者』
鋭角に冷えた冬の夜の空気が、風に乗って頬をチクチクと突き刺してくる。本社まではまだ遠い、近道でもするか。いつもは通らない路地を曲がり、足早に本社へと向かう。ふと、何かが聞こえて立ち止まった。何か、粘着質のある水分を含んだものを掻き回す様な、グチャグチャという音。
「……!?」
右手の路地は行き止まり、その路地のつき当たりにいたのは、一人の子供。紫の髪をズルズルと伸ばし、ボロボロの短パンだけを身につけている。口の周りは汚れているが、暗いせいでそれが何なのかは分からない。ただ、俺の目を引いたのはその子供ともう一つ。その足元に崩れ落ちているバラバラの死体だった。腹は裂け、内臓が引きずり出されている。腹部から取り出された小腸は、その傍らに跪いている子供の手に握られていた。まさか…、この子供は、"喰った"のか?子供は動かずにいる俺に気付き、ふらふらと一歩ずつ近付いてきた。背後から取り出したのは、刃の欠けたナイフ。
「おにイさン」
口をきいた。微かに牙が見えたのは気のせいではない。子供はナイフを揺らし、俺を脅すように言った。
「おにイさン、おかねちョーだイ」
「…金?」
「うン。くれるよねェ?」
「いくら欲しいんだ」
「できるだけいっぱい」
ここで俺が財布から札を抜き取ったのは、怯えからではない。俺は銃を持っている。ただ、この子供に対する好奇心が、俺をそうさせた。金を手渡してやると、子供は嬉しそうな表情を浮かべ、ナイフを下ろした。
「それで何を買う?」
「おみず」
「水?」
「あかいの、のどかわく」
赤…、血の事か。
「………たくさん買うのか?」
「うン、たくさんかう」
「持ちきれるのか?重いぞ」
「わかンない」
「俺も手伝ってやる」
「わかった」
「ナイフは置いていけ、また取りに帰ってくればいいから」
「…うン」
子供はそう言い、地面にカラン、とナイフを落とした。
近くにあった店で大量の水を買い、催促されるまま手渡してやると、よほど喉が渇いていたのか、驚くほどのスピードで飲み干していく。しばらくそれを眺めていた俺だが、あることに気づいた。手首にラベルを巻いている。
「これ、なんだ?」
しゃがみ込んで視線を合わせながら聞くと、子供はピクリと反応し、手首をかかげた。バーコードの横に"CP-N07"と書かれている。
「なまえ」
「名前?」
「ぜろななッて呼ばれてた」
「誰に?」
「………こわいヒト」
呟く様にそういうと、子供はしゃがみ込んで頭を抱え、ぶるぶると震えだした。
「たたカレタ…イタイ…ボク、なにもやッてナイ…」
明らかにこの子供は、何かに怯えている。よく見ると、その痩せ細った体には無数の切り傷や痣があった。子供に何か声を掛けようと手を伸ばした、その時、
「やぁっと見つけたぜ」
声のする方を振り向くと、そこにはスキンヘッドの男がニタニタと笑みを浮かべナイフをクルクルと弄んでいた。
「何の用だ」
立ち上がり男と向き合う。男は俺を見下げニヤニヤと笑いながら首を振った。
「旦那さんに用はねぇんだ、用があるのは……」
男は腕を上げ俺の背後を指差す。
「そのガキだ」
警戒しつつも背後に目をやると、さっきまでぶるぶると震えていた子供は俺のコートの裾を掴み、顔に恐怖の色を浮かべ、スキンヘッドの男を見つめている。この子供が言っていた「こわいヒト」というのはこの男の事か?俺は子供を背後に隠し、男に気付かれないようホルダーに手を伸ばした。男はゆっくりと近付いてくる。
「旦那さんよぉ、そのガキは俺んとこから逃げ出しやがったんだ。大人しく返してもらえねぇか?」
「労働でもさせているのか?それとも、人体実験か?」
「そんな事は言えねぇよ。ほら、早く返してくんなぁ」
ここで素直に子供を譲れば、面倒臭い事にはならなかったかもしれない。だが、俺は見てしまった。恐怖に支配され、助けを求める目を。
「それは出来ないな、俺でも人の子だ。酷い事をされていると分かって、素直に返すと思うか?」
「そうか、それは残念だなぁ………旦那さんには死んでもらわないと」
言うが早いが、男は懐からナイフを取り出す。だが俺も、伊達に殺人を生業にしていない。 ホルダーから拳銃を抜き、男の手元を狙い引き金を引く。キィンと高い音が響き、ナイフが宙を舞い、男の後方の地面に突き刺さった。
「クソッ…」
「残念だな。俺の方が一枚上手らしい」
苦渋の表情を浮かべる男を一瞥し、拳銃を向けたまま後ろにいるはずの子供を振り返る。振り返った瞬間、目の前が白くなった。正面から殴られたと理解するのに、そう時間はかからなかった。まともに頬に入った何者かの拳に吹き飛ばされ、路地の壁で頭と背中を打つ。殴られた反動で、思わず銃を手放してしまった。朦朧とする意識を奮い起こし立ち上がろうとしたが、その前に襟元を掴まれ、ズルリと体を持ち上げられた。既に足が地面に着いていない。周りには、俺を掴んでいる男の他に、数人の男が見えた。目の前にいる男は、俺にナイフを投げた奴よりも一回りデカかった。俺を片手で持ち上げ、しかもさっきの子供を脇に抱えている男は、俺の顔と腕章を交互に見ると驚いた表情を見せた。
「なぁ兄貴、こいつ"Evilの鬼"ですぜ」
「なに?…あぁ確かに、ひでぇ隈に軍服姿。旦那さんよ、アンタ"Evil"の組員だったのかい」
スキンヘッドの男はおやおや、とおどけながら、落ちていた俺の銃と軍帽を拾い上げる。その軍帽を被りながら、男は満足そうな笑みを浮かべ、男達におい、と合図を送った。デカい男は脇に抱えていた子供をスキンヘッドの男に託す。途端に、鳩尾に男の膝がめり込む。咳込む暇もなく、次は頬に拳が入った。また続けざまに数回殴られ、視界が歪む。俺が殴られる度に、周りから歓声があがった。こんな奴らに俺は殺されるのかと、自分に絶望した。その後に沸いてきた怒りとも言えない感情に、俺は大男を睨み付ける。
「あぁ?んだよその目はよ?」
俺に睨まれたのが癪に障ったのか、大男は眉間に皺を寄せる。それを見ていたスキンヘッドの男が、そうだ、と思いついた様に言った。>「"任務遂行率100%の鬼才"と呼ばれた旦那さんが、俺に殺され死んだとなったら、この街の裏社会の住人はどんな反応をするんだろうねぇ?…決まってるさ、皆が俺を褒め称える。『"Evil"の次期殺人班幹部候補を殺した猛者だ』ってなぁ」
スキンヘッドの男が優越感に浸りうだうだと演説をしている間、俺は起死回生の策をたてていた。だが、あれこれと考えても、身動きが取れないんじゃあどうしようもない。
その間も、スキンヘッドの男は演説を続けている。
「その為には証拠がいる。首を落とすのも良いが、やり方が古いからな。ってことで、俺の子分も旦那の目が気に入らねぇみてぇだし、目玉を貰って行くとするぜ。苦しんでもらう為に、片目ずつな」
男の言葉を、一瞬疑った。ただの悪い冗談だと、そう思いたかった。だが生憎、これは逃れようのない現実だ。
「ぐっ、あぁ゙ああ゙あ!!」
痛い。熱い。熱い!
いっその事、さっさと殺された方がマシだ。叫ぶ事しか出来ずに叫んでいても、痛みが収まるなんて事は無い。あっと言う間に右目は見えなくなり、大男の左手に握られた目玉を見ても、もうそれが自分の目玉だとは思えなかった。目が見える間に、せめてこの男の顔に血反吐でも引っ掛けてやろうかと無駄な思考が頭をよぎった時、男が抱えている子供と目が合った。今、子供が笑った様な…。
「ギャアッ!」
俺の襟元を掴んでいた男の後ろで、スキンヘッドが短く悲鳴を上げた。その悲鳴を聞き驚いた男が手を離したせいで、俺はドサリと地面に倒れ込む。すぐに顔を上げると、子供がスキンヘッドの腕に小さな牙を食い込ませていた。
「こ…のやろっ!」
大男はどうにかして子供を振り落とそうと、腕を無茶苦茶に振り回す。だが子供は離れるどころか、更に牙を深く食い込ませ、肉を噛み千切った。
「うわぁあ!」
大男は骨の露出した自分の腕を見て、叫び声を上げた。子供は男の腕から離れると、周りにいた男の一人に飛びかかり、首元にかぶりつく。スキンヘッドの男や周りにいた男たちは、一瞬状況が掴めずに立ち尽くしていたが、ハッと我に返り一斉に子供に飛びかかった。一瞬それを傍観してしまっていた俺だが、すぐに意識をハッキリさせた。血の流れ続ける右目は、未だにズキズキと痛む。俺の銃はスキンヘッドの男が握り締めたままだが、自分の子分が子供に噛み千切られ死んでいくのを目前にして、完全に腰が抜けたようだ。尻餅をつき、ガチガチと歯を鳴らしている。俺はふらつく視界をそのままに立ち上がり男に近付くと、その顔面を思い切り蹴り上げた。軍帽が飛び、男は銃を手放す。俺は軍帽と銃を拾い上げ、銃口を男の額に向けた。男は口を切ったのか、血を顎まで伝わせながら、完全に怯えきった表情で俺を見上げる。
絶望、恐怖、懇願。この表情が、いつも俺を昂ぶらせる。
「さっさと殺せば良かったと、後悔しているだろう?」
この瞬間を出来るだけ長引かせたくて聞くが、男はパクパクと口を動かすだけで答えない。この男も、先程の俺の様に「早く殺してくれ」と考えているのだろうか。いや、むしろ恐怖で何も考えていないかもしれない。軍帽を被り、引き金に指をかける。無意識の内に口元が緩み、思わず笑みが零れた。
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