「月見酒でもしない?」

 唐突な提案、ただの我が儘。了解してくれるはずが無い、無理も承知で言った言葉に、

「いいだろう」

 そう二つ返事で了解されれば、天変地異でも来るんじゃないかと、少し心配になった。






『全てがハイリスク』






 カツンカツン、と革靴の音が階段に響く。先に階段を登って行く僕より小さな背中が、やけに大きく見えるようになったのはいつからだったか。この背中には、沢山のものがのし掛かってる。"Evil"の最高幹部である責任、殺人犯幹部の席を狙う組員から、いつ命を奪われるか分からない恐怖、任務遂行率100%というプライド。それだけでも、押し潰されそうになるほど重いんだろう。なのに、ロスティは弱音を吐こうとしない。階段を登っている間、お互い会話を交わさなかった。でも確かに心地良い静けさに、更に月見酒が楽しみになった。
 あまり開けられる事の無いドアを開け、屋上へと辿り着く。予想以上の明るさに、思わず息を飲み、

「眩しい……」

 そう呟いた。月のせいなのか、それとも眼下に広がる街の明るさのせいなのか。柵に近付いて、二人して下を覗き込んだ。やたらと高い本社から眺めた地上には、ポツリポツリと人が見える。

「こんなに腐りきった街でも、綺麗に見える時があるんだな」

 少し顔に笑みを浮かべ、ロスティはぽつりと呟いた。右側に立っている僕からは、その隻眼が何処を見ているのか分からない。まぁ分かった所で特に何もしないんだからと、また景色を眺めた。

「おい」
「ん?何?」
「酒は呑まないのか」

 何の為に此処に来た、と言われれば、あぁそうだった、と思い出す。屋上に座り込んで、白衣のポケットからコルク抜きを取り出した。コルクを抜くと、キュポンッと特有の音が鳴る。その音を聞いて、ロスティはパッとこっちを振り向いた。ボトルのラベルを凝視して、怪訝な表情を浮かべる。

「そんな良い酒、何処から持って来た」
「昨日ZONE-1まで行ってきたんだよ」
「わざわざ?」
「うん、わざわざ」

 たまには休んで欲しくて。それは言わずに飲み込んだ。きっと、大きなお世話だと言われるだけだから。

「ほら、座って座って」

 一度だけ、ロスティに1日のスケジュールを聞いた事があった。朝から昼までは依頼の整理と承諾、それからその依頼をレベルの合った組員に振り分け。夜はというと自ら街に出向いて交渉をし、任務があるならそれを遂行する。それから、真夜中に本社まで帰って来て、また机に向かって書類と睨めっこ。それが終われば本社に設備されてるシャワールームで体を洗い流し1日の仕事は終了。だけど、彼が疲労を消す事は無い。いや、出来ないんだ。

「何をボケッとしてるんだ。早く注げよ」

 ほら、と差し出されたグラスを見てから、一度ロスティの顔を見た。相変わらず、切れ長の隻眼には隈が纏わり付いている。

「どうした?」
「ううん、何でもないよ」

 いつもの様にヘラ、と笑ってグラスを受け取る。二つのグラスにトクトクと注げば、月の光に照らされて、ワインは何とも言えない色に光る。

「何も無い夜にかんぱーい」

 チン、と高く音を鳴らして、それと同じ様に高らかに言えば、眉根を寄せて苦笑を浮かべながらただ一言。

「なんだそれ」
「"Evil"の組員になってから夜は大忙しでしょ?特に、幹部になってから」

 コクリと一口飲み下すと、すぐに喉がかぁ、と熱くなる。僕はお酒に強い訳では無い。ほわほわとした熱に心地よさを覚えながら、無理して一気に飲み下した。

「なる程、そういう事か」

 ふいに、ロスティが呟く。

「デリ、また余計な事を考えただろ」
「僕が?」

 キョトンとした表情を作ってみせて、首を傾げても、ロスティはただ困ったように笑って、

「俺は大丈夫だ」

 そう言った。途端に、カッと頭に血が登る。怒りの様で、怒りじゃない感情にムシャクシャして。気付いた時には、グラスを放り投げ、目の前にいる分からず屋に飛びかかっていた。彼の襟をキツく掴んで見下ろせば、ロスティは顔色一つ変えずに僕を見上げた。ずっと言いたかった不安が、ドクドクと脳内に流れ込んで来る。

「あのさぁ、なんでいっつもそうやって余裕のフリするの?寝てないんでしょ?疲れてるんでしょ?どうせ誰も心配しないとか思ってるんだ。それとも死にたいの?俺が死んでも誰も悲しまないって、自分で勝手に決め付けて…。」

 次々と言いたい言葉が溢れて来て、だけどそれを上手く言い表せない事に、またイライラした。悔しくて唇を噛み締めてると、ロスティが真っ直ぐ僕を見たまま、口を開いた。

「俺の事が心配か?」
「…なっ…当たり前だよ!心配しない訳無いでしょ!?」

 そう反論を返した途端、グルリと視界が回転する。背中にトンと軽い衝撃があって、今度は僕がロスティを見上げていた。

「心配してくれるのを不愉快だとは思わない。だがな、デリ、大きなお世話だ」

 やっぱり、と溜め息混じりに心の中で呟いた。僕の心配なんて意に介せず、か。僕の意中を察する事は無く、ロスティは眉間に皺を寄せて、また口を開いた。

「いいか、俺が夜遅くまで街に出てるのは、殺しが楽しいからだ。己が好きな事で疲労は感じない。それに、睡眠を摂る事が出来ないのは、俺に不眠症を患う様な過失があるからだ。だからといって睡眠薬などに頼る気は一切無い」

 それに、なぁデリ。
 ククッと苦笑を漏らし、ロスティは僕の胸をトンと突いた。

「俺が死にかけたら、死に物狂いで助けてくれるんだろ?」

 嗚呼、そうか、そういう事だったんだ。ロスティが大丈夫と言ったのは。彼が疲労で倒れたんなら、僕が看病すればいい。彼がもし任務に失敗して死にかけたなら、僕が治療すればいい。だがら、彼は大丈夫と言ったんだ。"倒れないから"大丈夫、じゃなくて、"倒れても"大丈夫と。

 きっと、僕はどんな大罪を犯してでも、彼を生かそうとするんだろう。どうせ表の世界じゃ、僕は既に犯罪者。今更罪が増えたって、何も怖くない。それで命が狙われる様な事になっても別に良い。二十年以上を一緒に過ごした大切な友達が、助かるなら。



『全てがハイリスク』






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