銀の長い前髪の下から、男の目が管理人の目を見る。その途端、管理人は声を上げた。

「ああああああああああ」

 悲鳴とも嘆きともとれない、単調な叫びだった。目を閉じたままのヴィクスは、震えだした自分の肩を抱く。悪寒が背筋を舐め、何者かが耳元で何かを囁いていくのだ。今感じている恐怖は、先ほど管理人に殺されかけた時に感じた恐怖を、あっさりと上回ってしまった。絶望や悲恨が、自分の感情を支配していく。このまま永遠に目を閉じていなければならないのかと錯覚し始めた頃、男の声がした。

「もう目を開けても良いぞ…なんだ、泣いているのか?」

 恐怖のあまりに涙を溢すヴィクスの頭を撫で、男は穏やかな笑みを浮かべる。あの恐怖を生み出した目は、再び目隠しが覆っていた。管理人を見ると、膝立ちになりゆらゆらと体を揺らしている。その膝から伸びているはずの影は、どこにも無かった。男の目をしっかりと見た管理人のそれは、ひどく虚ろで、どこも見ていないようだ。

「…死んで、ない?」
「あぁ、死んではいない。だが、生きているともいえない」

 魂は永遠に煉獄で苦しみ続けるのだと、男は──シェイドは、静かに言った。








「…そん時に、マスターに対する恐怖が無かったとは言えねぇが、俺を助けて、しかも世話までしてくれた命の恩人には違いねぇ。まぁ、俺がマスターの元にいさせてくれってワガママ言ったんだけどよ」

 これが俺たちの出会いだと、ヴィクスは写真を眺めながら話を締め括った。シェイドとヴィクスの仲がメアとクロウの仲の良さとは何かが違うのは感じていたが、そんな過去があったとは知らず、ミシェルは胸が熱くなった。ミシェルが何も言わない所へ、ヴィクスは聞く。

「ミシェルは…俺が気持ち悪く無かったか?」
「え?」
「お前が初めてここに来て、俺を見た時に何も言わなかった。俺と普通に喋りもするし、平気で俺に触れたりする。確かに、触った感じは人肌と変わらねぇが、鱗があるのには変わりねぇ。そんな俺が…気持ち悪くないのか?」

 それはミシェルが予想もしていなかった質問だった。先ほどの話を聞いて胸が熱くなっていたのもあり、気付けばボロボロと大粒の涙が、その蒼い瞳から零れた。

「なっ…ミシェル!?」
「…き…、気持ち悪いなんて、僕が思うと、思いますか?あなたは僕と同じ様に息をして、話して、笑って泣いて、生きています。鱗があってもいい、水掻きがあってもいい。違いは、たったそれだけの事なんです…っ、なのに、気持ち悪いだなんて…!僕が、思う訳ないでしょう…っ!」

 ミシェルは嗚咽を漏らしながらも言いきると、真っ直ぐにヴィクスを見た。こんなにもはっきりと、自分の存在を認めてくれた人間はいただろうか、そしてそれを自分に伝えてくれた人間はいただろうかと、ヴィクスはつられて目頭が熱くなるのを感じた。

「お前の言葉はすげぇな…ありがとう、ミシェル」
「いえ…泣いてしまってすみません」

 そう言ってミシェルは涙を拭う、そこへ、地上から帰ってきたシェイドが部屋へ入ってきた。幾分かすっきりした部屋を見渡し、シェイドは関心したように言う。

「掃除していたのか、すまないな。…ミシェル、目が赤いが大丈夫か?」
「あ、はい、大丈夫です。目にゴミが入ってしまっただけですから」
「そうか、大丈夫ならいい。…ん?それは何だ?」

 ふと、シェイドはヴィクスが持つ写真に手を伸ばした。写真に手をかざし、あぁ、と頷く。

「昔の写真か。お前もまだ幼い」
「マスターは毛の長さ以外変わらねぇ」
「老けたと言われるよりずっと良い。懐かしいな…丁度この頃は俺が影を操れるようになった頃だ」

 昔を懐かしむように、シェイドは笑みを浮かべながら言う。それを聞いて、ミシェルはつい、以前からの疑問を彼に投げ掛けてしまった。

「シェイドさんは、どうして影を操れるようになったんですか?」
「……あぁ、簡単な事だ」

 シェイドは表情一つ変えず返したが、ミシェルは聞いてしまった事を後悔した。自分が踏み込むには、それはあまりにも奥深くにありすぎる。そんなミシェルの胸中を察してか、シェイドはうっすらと笑みを浮かべ、問いに答えた。

「一度、地獄に行けばいい」

 つまり、一度俺は死んだのだと、シェイドは直接言葉にする事なく、静かに告げた。




『スピカが告げる安息日』 終


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