冬の枷はひどく冷たい。人の手は、いつもより温かい。






第ニ話『スピカが告げる安息日』








 知識の山、と言うべきだろうか。目の前にそびえる本棚には、溢れんばかりの本が並べられている。表紙の素材や、大きさに、厚さ、さらには書かれた言語までもが様々で、中には古すぎる故に文字が掠れ読めなくなってしまったものもあった。そんな本棚に掛けられた梯子にのぼり、ミシェルは自分でも読むことが出来そうな本に手を伸ばす。だが、梯子からその本までは少々距離があった。梯子から身をのりだし、思い切り手を伸ばす。

「もう、少し……、っうわ!」

 悲しくも伸ばした手は目当ての本には届かず、バランスを崩したミシェルの体は梯子を踏み外した。咄嗟に本棚へ手をかけたと思えば、棚が真っ二つに折れてしまう。派手な音をたてながら何十冊という本と共に、ミシェルは床へ落下した。

「いっ…たぁー……」
「オイオイ、何暴れてんだ?」

 ドシンッ、という音を聞き、水槽の底にいたヴィクスが浮上してきた。本の山に埋もれたミシェルを見て声を上げる。

「ミシェル!どうした!?」
「ちょっと…本を取りたかったんですが…」
「待ってろ、今行くからな」

 スイ、とヴィクスは更に浮上した。こちらから見えている範囲の外へ姿を消したヴィクスだったが、暫くすると奥の部屋へと続くドアから現れる。この地下の構造はどうなっているのかとミシェルが思考を巡らせている間に、ヴィクスが手を差し出した。その手をとり、痛む腰を庇いながらミシェルは立ち上がる。

「怪我はねぇな?」
「はい、少し打った位で…大丈夫です。それより、本棚を壊してしまってすみません…」
「ん?あぁ、古い本棚だからな、簡単に壊れちまうんだ。それに、ちったぁ片付けねぇとって思ってた所だし」
「あ、僕が片付けます。大学、今日は休みですから」
「んな寂しい事言うなよ、俺もやる」

 そう言って笑うと、ヴィクスは落ちた本を拾い集め始める。ミシェルもそれに続き、知識の山から崩れ落ち、足元に広がる知識の海となったうちの一部を拾い上げた。










「あー…、案外片付かねぇな…」

 腰や首をボキボキと鳴らし、ヴィクスは唸る。折れた棚は新しい板で修復し、落ちた本も全てその棚へ並べた。これで部屋は元の状態に戻ったのだが、2人は気付けば部屋全体に手を伸ばしていたのだ。そんな中、部屋中の埃をはたいていたミシェルがある物を見つけ動きを止めた。

「これ、もしかして…?」
「ん?何だ?」
「ヴィクスとシェイドさん…ですか?」

 ミシェルが見付けたのは古い写真だった。今より少し髪が短いシェイドと、まだあどけなさが残るヴィクスが手を繋ぎ写っている。2人ともカメラを見ていない事から、ふいに撮影されたものだろうと分かった。ヴィクスはその写真を見ると、思い出したように苦笑した。

「俺とマスターが知り合って間もねぇ頃の写真だな。ガキくせぇ顔してやがるぜ」
「なんだか凄く痩せていますね」
「俺か?…んー、あぁ。まだ小屋から出たばっかの頃だろうからな」
「小屋…?」
「あぁ、【見世物小屋】だ。俺ぁ物心ついた頃にはもうそこにいた」

 そう言ったヴィクスの顔が、少し曇った。聞いてはいけない事を聞いてしまった、とミシェルは謝ろうとしたが、ヴィクスは再びいつもの笑顔を浮かべるとミシェルの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「んな顔すんな。もう昔の話だからよ。…まぁ、人間の目が全く怖くねぇのか、って聞かれれば、そういう訳でもねぇけどな」
「その…小屋からは、どうやって出てこれたんですか?」
「あぁ、俺を助けたのはマスターだ。まぁ、話すと長くなるんだけどよ…」
「聞いてもいいなら、聞きたいです」
「なら…」

 つまんねぇ話だぞ、と断りをいれてから、ヴィクスは話し出した。


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