何者をも恐れぬと言われた男が、唯一恐れるものがあった。





『眠れぬ男のジレンマ』





 「これで最後か」

 柔らかい肉からナイフを引き抜いて、フロストはぽつりと呟いた。目の前の"肉"はどしゃりと足元に崩れ落ちる。何人いたかは分からないが、いくつか転がる肉はむせ返りそうなほどの鉄臭さと生臭い臭いを放っていた。
 血の付いたナイフをハンカチーフで拭きながら、快適とは言えない空気の中で深く息を吸い込む。

 仕事は終わった、いつもと同じだ。
 本社に戻ろうと踵を返したフロストの爪先に、カランッ、と何かがぶつかる。

「…?」

 転がっていったその"何か"を目で追う、その何かは転がっている肉にぶつかって止まった。それが日本刀の鞘だと気づき、そのまま自然とその鞘がぶつかった肉のほうへと視線が向く。
 
 黒いシャツ、血に染まった白いスーツとネクタイ、眼鏡、地面に広がる血にひたった白い髪―――。

「…なに、?」

 一歩、その死体へ近づく、ふとその奥に目をやれば、青い髪の死体がふたつ、手を握り合っている。その隣には赤いマフラーを巻いた金髪の男。

 ドクン、と心臓が大きく脈打つ。なぜ、なぜ見覚えがある。

「………ありえない」

 疲れているのかと固く目を閉じ、頭を振る。その時真後ろで、ザリ、と足音がした。

「…!」

 生き残りがいたのか、と目にも止まらぬ動きで、躊躇なく、右手に握ったままだったナイフを背後の気配へ突き立てる。ドスッ、と手に伝わる確かな感覚、己の手元に目をやれば、相手の着ている白いコートにじわじわと血が染み込み、広がっていくのが見えた。刺された相手はナイフを握るフロストの手を、抵抗するように掴んだ、痛みに震える手の爪は長く伸びており、鋭利だ。

『旦那』

 バッ、と顔をあげると、目の前には、

「…ミミッ、ク」

 ごふ、とミミックは血を吐いた。フロストの頬へ血がピッと飛ぶ。

「なんで、どうしてだ、俺は」

 変わらずミミックの胸に突き刺さるままのナイフから手を離し、後ずさる。目の前にいるミミックはもう一度咳き込むと、ボタボタと口から血を流しながらその場に跪いた。顔をあげ、苦し気に眉を寄せながらフロストを見る。

『…だン、な』

 こちらに縋るように手を伸ばしたが、そのまま力なく、その場に崩れた。

「…うそだ、どうしてこんな」

 俺はなんてことを?

『嘘じゃない』

 また背後で誰かの声がする。振り返ると、目の前には自分がいた。

『嘘じゃない、これがお前の罪だ』

 ドクン、と心臓が脈打つ。

「黙れ」
『お前のしてきたことの代償、償い、戒め』

 鼓動がドクンドクンとうるさい。

「黙れ!!!!」

 そう叫び、ホルスターから銃を抜いて、目の前にいる自分を撃ち抜いた。ガァンッ!と重い銃声が響く。そのあとも何発か、息の根を止めてやろうと、何発も何発も、自分自身に向かって引き金を引き続けた。

「ハァ、ッ、はぁ、はぁッ」

 目の前の自分が倒れたころには、引き金を引いてもカチンカチンと弾切れを知らせる虚しい音しか鳴らなくなっていた。重い足を引きずるようにしながら、倒れた相手の元へと近寄る。しかしそこには、自分自身はいなかった。

「………どうしてだ」

 どさ、とその傍らに膝をつく。胸や腹にいくつも穴が開き、真っ赤に染まった白衣の胸元を掴む。握っていた銃を放り投げ、血を吐いて汚れた頬に手を添えた。

「……デ、リ」

 ヒュー、ヒュー、と微かにデリは息をしていた。だがそれも、だんだんとか細くなっていく。身体をゆすろうが、頬を撫でようが、同じだった。
 わかっていた、無駄なことは。デリ本人にトドメをさしたのは、まぎれもなく自分自身だ。

「おい……、待て…目を開けろ、デリ…!おい!!」




「逝くな!!!!!!」

 大声で叫び、弾けるように飛び起きた。
 目の前には誰もおらず、だただたシンと静まった自室の、質素な壁があるだけだ。

「夢……か………」

 カタカタと震える手を見下ろすと、顎の先から滴った汗がぽとりと手のひらに落ちる。着ているYシャツが背中や胸にベッタリと肌に張り付くほど、大量の汗をかいていた。

「……いつまで恐れている」

 自分自身にそう問い、フロストは震える体を抑え込むようにして膝を抱いた。




『眠れぬ男のジレンマ』Fin.



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